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“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
「自分は何の為に大学で学ぶのか」という迷いのはじまりは大学が「自由」だからこそでした。では、なぜ大学は自由なのでしょうか?私たちが思っているよりもずっと複雑な世の中の真髄に立ち向かうということ、そのために必要なことを静岡大学人文社会科学部の上利博規先生が教えてくれました。悩み尽くし、限定された価値観以外のものを見つめ問ってこそ「大学生」であり、それが一人前への道なのかもしれない。


“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

上利 博規(あがり ひろき)先生
静岡大学社会学科人間学講座教授。
アジアからヨーロッパまで幅広い文化を網羅。様々な分野を教えてくださる先生。学生時代は初めは理系を専攻し、「これ違うな」と悩む。音楽をやりたいという気持ちから1年留年し作曲の勉強をする。学生時代はアパートで彫刻をしたり、ひたすら映画を見ていたそう。静岡大学管弦楽団にも賛助出演。

梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。

鈴木 喜子(すずき よしこ)
常葉大学 造形学科3年(※取材当時)。




大学は、迷路というよりも、「森」。


一人前の人って色々なことを自分で選択していく必要がありますよね。何をどうして学びたいかを考えずに、与えられたカリキュラムをこなすだけで一人前になれる訳がありません。単位獲得に必死になるよりも大学生活の根本にはもっと別のことがあると思います。なにより一人の時間をたっぷり持つことが大切です。今勉強している学問や、教授が言うナントカ論だとかに、どんな意味があるのか、どこで役立ち、なにが出来るのか。自分と学問と社会との関係を考えるのが、「大学生」に必要なことなのではないでしょうか。

また、先輩と喧嘩したり、仲間と何かをやりとげたり。大学は、いろいろな経験をする中で「これいいな」というのを見つける場所でもあります。すごく悩んだり、感動したりすると自分が少し変わった気がしますよね。心揺さぶられる体験は感性を豊かにしてくれます。高校まではする事が決まっていてそれをこなせばよかった。しかし、大学には「自分の道」というのは用意されていません。それは自分で「自分の軌道」とはなにかを考えて、軌道を修正する場でもあるということです。

 
“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

今の学生の可哀想なところは、ネットや携帯など情報が溢れすぎていて自分が今ここで何をしているのか、とじっくり考える時間が持てないところだと思うんです。高校は受験勉強しなければならないし、社会に出たら仕事をしなくてはならない。あなたたちが「自分は何の為にこれをしているのか」と悩むのは、大学が自由だからです。逆に考えない、悩まないままで大学生活を送るのはまずいんじゃないでしょうか。

また、今回の企画で「大学は迷路」と表現していますが、私はどちらかというと「森」だと思います。迷路というのはあらかじめスタートとゴールが設定されていて、行き方が解らないという物です。大学は違う。ゴールは設定されておらず、しかし確かに実り豊かな場所です。森には道も作られていないけど、多種多様な生物がいて、様々なことが起こっている。誰かが用意したゴールを意識から消したとき、何が見えてくるかを考えなくてはなりません。

 
限定された価値観にとらわれないために


大学は、色々なものがありすぎて迷う中で、自分にとって本当の物を掴む力をつける場所です。というよりも、いままで迷路がなかったことがおかしいんです。入学前に外国へ行って全く違う価値観とルール、視点があるってことを知っておくべきじゃないかな。できるだけ日本とは違うところへ。

“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

戦後、日本は経済成長をして、バブル崩壊後に方向性を失いました。これからどうしよう、というときに過去にあったこと、歴史を知らずに何かしようなんて無理な話です。どのような論理で過去の何かが起こったのかを知らなくてはなりません。いまだに経済成長と言っている人がいますが、それは過ぎさった幻です。経済しか見えていない人は、これから生きて行くのは辛いのではないでしょうか。
 
今の学生達に言いたいことは、高校生のとき関心を持った職種や目的のみのために大学生活を過ごし、卒業していくのはとても寂しいということです。というよりも何をすべきかを高校で仕立てられてしまうことこそが問題です。高校生は目に見える範囲の印象で将来のことを決めてしまいます。しかし、知識が豊かに花開くにはその土壌が必要です。生きていると学生のとき興味がない、必要ないと切り捨てて来た知識が必要になることが多々あります。世の中はもっと複雑で、大学で勉強した理論では追いつきません。

表面的情報だけではない、現実で起こる出来事の、表から救い取れないものに気付いた時に悩みが始まります。そしてそれに立ち向かっていくには、決められた枠の中以外のものを見つめ、迷路の中で悩み尽くすことが重要なのだと思います。卒業後「大学のあの四年間は貴重な時間だった」と思えるように、自分に向き合う時間を作りましょう。(了)

合わせて読みたい!【大学迷路案内】バックナンバー
“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

2016/04/05
大学生とは「境界人」である。
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。伊東明子先生(常葉大学 教育学部教授)に聞きました。

2016/04/11
「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか。比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。


2016/04/14
もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。
大学進学、就職……、人は数ある選択肢の中から自分の進む道を選びます。今回は大学進学を選んだことに悩む大学生が、高校卒業後すぐに料理人となった齊藤一也さん(割烹旅館「岡屋」板長)を訪ねます。



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