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もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
大学進学、就職……、人は数ある選択肢の中から自分の進む道を選びます。今回は大学進学を選んだことに悩む大学生が、高校卒業後すぐに料理人となった齊藤一也さん(割烹旅館「岡屋」板長)を訪ねます。「もしもの自分」と「大学生である今の自分」はどのように違い、どのように同じなのでしょうか?何本にも枝分かれした道から自分の進みたい道を選び、我慢しながらも極める心得を学びます。

もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。

齊藤 一也(さいとう かずや)さん
東海道興津宿 割烹旅館「岡屋」の板長。
旅館周辺は幕藩時代、本陣、脇本陣を有する宿場町だった歴史のある場所。

■東海道興津宿 割烹旅館 「岡屋」
〒424-0205
静岡県静岡市清水区興津本町6(JR興津駅より徒歩約5分)
http://www.okaya18.com

梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。

樫田 那美紀(かしだ なみき)
静岡大学 人文社会科学部2年(※取材当時)。本号の副編集長。




選択した道に、近道なんてありません。


——工業高校を卒業されてすぐ料理人への修行の道に進まれたとのことですが、高校時代に進路を決める時に迷うことはありましたか?

(齊藤さん)私にはもともと中学生の頃から「自分の料理店を開きたい」という目標があり、早く高校を卒業して料理人の修行を始めたかったんです。実際の現場で修行することで技術を磨こうと考えていたし、両親にお金の負担をかけさせたくなかったこともあり、大学や専門学校への進学は全く考えませんでした。でも私が卒業した工業高校はクラスの八割が大学や専門学校に進学する進路を選んでいて、周りにはそういう道に進んだ同級生がたくさんいましたね。

そのような環境の中、私は板前修業という道を選び大学には行きませんでしたが、進学する周りの同級生を見ても特になんとも思いませんでした。高校を卒業した後は料理本で調べた東京の料理店に電話をかけて働かせてもらいたいと頼み、そこで2年ほど働きました。その後千葉や静岡など、様々な場所で料理人として働き、自分の料理の技術を高めるために努力しました。

実際の現場で働くことで、専門学校で料理を学ぶよりもずっと実践的な形で技術を身につけることができたと思います。下積み時代は寝る間もないほどたくさんの仕事に追われ、先輩に気に入られるよう努力しなくてはいけない、我慢することの連続でした。例えば修行中、仕事場の先輩から突然「この魚をおろしてみろ」と言われることがあります。うまく捌くことができれば、次はもっと大きな仕事を任せてくれるんですね。日々先輩から与えられるチャンスに応えられるよう、仕事時間以外のときも料理の練習をして、自力で自分の技術を高められるよう努力を重ねなければいけませんでした。

先輩に認められる仕事ができなければ料理人としては成功出来ないほど厳しい世界なんです。しかし長年持ち続けている目標のために、耐え抜くことができました。私はその後、26歳で独立し、念願の料理店を開きました。今の料亭では20年以上働いています。これからもこの好きな仕事を続けていきたいですね。


もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。
東海道17番目の宿場で、その街道沿いに位置する「岡屋」。県外からのお客さんも訪れるなど、興津の隠れた名店です。

もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。
仕込み中の齊藤さん。取材中の物腰柔らかな姿の裏に、厳しい世界を渡り歩いた根性と、負けず嫌いの精神が宿っています!

——高校卒業後すぐに料理の世界という厳しい社会に飛び込むことも目標を追う齊藤さんにとっては自然な選択だったんですね。ではその日々の中で、悩むことはあったのでしょうか?

(齊藤さん)もちろんありました。私は高校卒業と同時にこの世界に入りましたが、職場では15歳から働いている人もいます。私とその人たちの3年の違いは言葉にすると短いように聞こえますが、実際の現場で働いてみると、料理の腕は到底彼らにはかないません。やはり、悔しくもあったし、羨ましいという気持ちもありました。その差を少しでも埋めたいと、はやる気持ちがありましたね。

それから、職場の先輩との関係も気を遣うことが多く、追廻という雑用係をやったり、高下駄で足のすねを打たれたこともありました。周りはライバルばかりなので、毎日の気配りと負けん気の強さは、忘れないようにしていましたね。


——周りが皆ライバルという環境に身を置くのは、相当、苦しかったのではないでしょうか?

(齊藤さん)そうですね。しかしその自分の大好きな仕事をすることでお金を稼ぐことができ、ちゃんとご飯が食べられる。そして寝るところも与えられる環境に不満は感じませんでした。それに、私と同じ志を持った料理人とともに修行をしたり、様々な土地で働いたりすることで、人との出会いはたくさんありましたし、今も連絡を取り合えるような長年の板前仲間や知り合いが全国にいます。大学に進学することで人との出会いも情報もたくさん得ることができるのだとは思いますが、私のように進学をせず社会に出たとしても、そういう面では十分恵まれていました。

——自分と違う土地で育った人との繋がりが生まれるというところは大学生が大学生活を通して得られるものと共通しているように思います。

(齊藤さん)学校生活の過ごし方にしても将来にしても、選択肢がたくさん用意され、道が何本にも分かれているのだと思います。しかしその中で自分が、「本当にやりたい」と決断した一つの道を、我慢しながらも極めていってほしいと私は思いますね。

——大学か就職かという選択も、20代を生きた年代も違いますが、どこかでなにかに熱量を注いでいる姿は、大学生である私たちにとっても共通した「こうなりたい」と憧れるものなのではないかと思いました(了)

もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。

合わせて読みたい!【大学迷路案内】バックナンバー
もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。

2016/04/05
大学生とは「境界人」である。
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。伊東明子先生(常葉大学 教育学部教授)に聞きました。

2016/04/11
「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか。比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。


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