特集
「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」
静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか?地域の文化関連機関が恊働で文化・芸術・教育を学ぶ場をつくる「ムセイオン静岡」に従事する比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。

比留間 洋一(ひるま よういち)先生
静岡県立大学国際関係学研究科助教。
ムセイオン静岡などの文化遺産教育に従事。専門は、文化人類学、ベトナム地域研究。京都の大学院を修了している。コーヒーに愛着があって、比留間先生のコーヒーを飲むために学生が研究室にくるんだとか。
■ムセイオン静岡について
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/outline/contribution/001/
梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。
野村 和輝(のむら かずき)
静岡大学人文社会科学部3年(※取材当時)。本記事執筆者。
——先生は「ムセイオン静岡」という団体に所属されているそうですが、「ムセイオン静岡」とはいったいなんなのでしょうか。
(比留間先生)ムセイオンという言葉は耳慣れないかもしれないですね。紀元前3世紀ころ、古代エジプトのプトレマイオス1世がアレクサンドリアに学術の中心となるセンターをつくりたいと考えてつくられた世界初の学問・教育・文化・芸術の総合施設です。狭い学術、専門分化された学術だけではなく、もちろん図書館もありますし、植物園や動物園、劇場など、そういった様々なものを複合してつくられたものなんです。だから、「ムセイオン」という言葉は「ミュージアム」の語源になったんですよ。
——世界史を思い出します。ムセイオン「静岡」ということは、静岡という土地にもムセイオン学術的な要素があるのでしょうか。
(比留間先生)静岡には多くの文化関連機関が密集しているんですよ。例えば、静岡県立大学のある草薙、谷田周辺だけをみても、静岡県立美術館、静岡県埋蔵文化財センター、静岡県立中央図書館と挙げられます。ムセイオン静岡には、そのほかにもグランシップや静岡県舞台芸術センター(SPAC)が入っていますが、日本平へ行けば動物園もありますよね。これだけみても、十分ムセイオン的な性格を持っています。
ですが、数年前まではほとんど交流がなかったんです。
時代の流れでもあったわけですが、できるだけ縦割りをやめて領域を取り払いましょうということで、「ムセイオン静岡」が生まれたんですよ。ひとつの圏的発想で、「ムセイオン静岡」というひとつの圏で括り、協力、交流しあうことで地域全体の活気が生まれますし、それぞれに新しい変化が生まれるんです。


△静岡県立大学に隣接する静岡県立美術館。現在、開館30周年記念展として「東西の絶景」が開催中(2016年)。
大学生以下は観覧料が無料(※一部企画展のぞく)。気軽に文化・芸術に触れることのできる施設です。
ムセイオン静岡のような、文化関連機関が互いに交流を持つようになった時代背景は、おそらく、ムセイオン静岡を立ち上げた時期が、実は、各機関が創設から20年、つまり人間で言えば、(学生の皆さんと同じ)「成人」になった時期にあたっていたんです。そこに、各機関が「ムセイオン静岡」を次なる成長に向けたひとつの挑戦として受け入れる素地があった。個人的にはこんな風に見ています。
またムセイオン静岡の生みの親ともいえる立田洋司先生(静岡県立大学国際関係学研究科特任教授)は、同じ圏として交流し合うことによって、地域全体の「文化的基礎体力」を底上げしましょう、と常におっしゃっています。つまり普段の生活に、静岡の文化に触れる時間を組み込んでほしいということです。
では今の学生になぜ「文化的基礎体力」が必要か。自分のことは棚に上げて言いますが、率直に言うと、「文化的基礎体力」の乏しい学生との会話はあまりはずまない気がします。また「文化的基礎体力」は、皆さんが今後、留学なり仕事なりで外国に出た時にも、何かの足しになると思います。例えば、新聞を日常的に読むクセをつければ数年後には、そうしなかった場合と比べて「知的基礎体力」が違っているはずですよね。それと同じで、「文化的基礎体力」を特に若い人、あなたたち学生につけてほしいと思ってます。それがムセイオン静岡の目的であり、キーワードなんです。
——なるほど、文化的基礎体力ですか。ですが、学ぶべきところがこんなにも多くあるのに、すべての学生が学びに行っているわけではないという現状がありますよね。学生からのアクションは見られるのでしょうか。
(比留間先生)そうですね。僕はムセイオン静岡のことを含む、文化に関わる授業をしているのですが、学生の中にも特に興味を示してくれている学生がいて、そういう学生は見ていればすぐにわかりますね。実際に美術館やSPACなどを訪れて、自分よりずっと年上の人や博識な方達と交流しているみたいです。そういう人たちとの交流は、互いに創作的な面での刺激を与えてくれますし、学生って目上の人から受ける影響って強いと思うんです。
さきほど説明した静岡の特徴としての補足になりますが、静岡は良い意味でコンパクトな街だと思うのです。だからこそ大人の人に出会い、接する機会が多い。大都市と呼ばれる場所では、「普段はなかなか会えないだろう」という職種の人と出会う機会が静岡では多い気がします。そしてそういう人たちもまた大抵は喜んで学生と接してくれたりしますよ。そんな繋がりを生かして成長した学生を僕はみていますし、自分の住んでいる地域に貢献するため頑張っているなと思う学生もたくさんいますね。とはいっても自分から動かなければ出会うことはできませんから、学生のみなさんには時間のあるうちに色々なところに行ってほしいです。
——やはり人との出会いが大事なんですね。私たち学生側も外部に目を向けるのがいかに自分に重要か、ということを考えなければならないと思いました。また、そのためにはまだまだ勉強しなければならないことがあるし、それが実を結んで社会に貢献できたらいい、とも思いました。私も静岡にあるたくさんの文化に触れながら、学びの場としての静岡とは一体何なのか、探っていきたいです。(了)


大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか?地域の文化関連機関が恊働で文化・芸術・教育を学ぶ場をつくる「ムセイオン静岡」に従事する比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。

比留間 洋一(ひるま よういち)先生
静岡県立大学国際関係学研究科助教。
ムセイオン静岡などの文化遺産教育に従事。専門は、文化人類学、ベトナム地域研究。京都の大学院を修了している。コーヒーに愛着があって、比留間先生のコーヒーを飲むために学生が研究室にくるんだとか。
■ムセイオン静岡について
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/outline/contribution/001/
梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。
野村 和輝(のむら かずき)
静岡大学人文社会科学部3年(※取材当時)。本記事執筆者。
校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡
——先生は「ムセイオン静岡」という団体に所属されているそうですが、「ムセイオン静岡」とはいったいなんなのでしょうか。
(比留間先生)ムセイオンという言葉は耳慣れないかもしれないですね。紀元前3世紀ころ、古代エジプトのプトレマイオス1世がアレクサンドリアに学術の中心となるセンターをつくりたいと考えてつくられた世界初の学問・教育・文化・芸術の総合施設です。狭い学術、専門分化された学術だけではなく、もちろん図書館もありますし、植物園や動物園、劇場など、そういった様々なものを複合してつくられたものなんです。だから、「ムセイオン」という言葉は「ミュージアム」の語源になったんですよ。
——世界史を思い出します。ムセイオン「静岡」ということは、静岡という土地にもムセイオン学術的な要素があるのでしょうか。
(比留間先生)静岡には多くの文化関連機関が密集しているんですよ。例えば、静岡県立大学のある草薙、谷田周辺だけをみても、静岡県立美術館、静岡県埋蔵文化財センター、静岡県立中央図書館と挙げられます。ムセイオン静岡には、そのほかにもグランシップや静岡県舞台芸術センター(SPAC)が入っていますが、日本平へ行けば動物園もありますよね。これだけみても、十分ムセイオン的な性格を持っています。
ですが、数年前まではほとんど交流がなかったんです。
時代の流れでもあったわけですが、できるだけ縦割りをやめて領域を取り払いましょうということで、「ムセイオン静岡」が生まれたんですよ。ひとつの圏的発想で、「ムセイオン静岡」というひとつの圏で括り、協力、交流しあうことで地域全体の活気が生まれますし、それぞれに新しい変化が生まれるんです。


△静岡県立大学に隣接する静岡県立美術館。現在、開館30周年記念展として「東西の絶景」が開催中(2016年)。
大学生以下は観覧料が無料(※一部企画展のぞく)。気軽に文化・芸術に触れることのできる施設です。
ムセイオン静岡のような、文化関連機関が互いに交流を持つようになった時代背景は、おそらく、ムセイオン静岡を立ち上げた時期が、実は、各機関が創設から20年、つまり人間で言えば、(学生の皆さんと同じ)「成人」になった時期にあたっていたんです。そこに、各機関が「ムセイオン静岡」を次なる成長に向けたひとつの挑戦として受け入れる素地があった。個人的にはこんな風に見ています。
またムセイオン静岡の生みの親ともいえる立田洋司先生(静岡県立大学国際関係学研究科特任教授)は、同じ圏として交流し合うことによって、地域全体の「文化的基礎体力」を底上げしましょう、と常におっしゃっています。つまり普段の生活に、静岡の文化に触れる時間を組み込んでほしいということです。
では今の学生になぜ「文化的基礎体力」が必要か。自分のことは棚に上げて言いますが、率直に言うと、「文化的基礎体力」の乏しい学生との会話はあまりはずまない気がします。また「文化的基礎体力」は、皆さんが今後、留学なり仕事なりで外国に出た時にも、何かの足しになると思います。例えば、新聞を日常的に読むクセをつければ数年後には、そうしなかった場合と比べて「知的基礎体力」が違っているはずですよね。それと同じで、「文化的基礎体力」を特に若い人、あなたたち学生につけてほしいと思ってます。それがムセイオン静岡の目的であり、キーワードなんです。
——なるほど、文化的基礎体力ですか。ですが、学ぶべきところがこんなにも多くあるのに、すべての学生が学びに行っているわけではないという現状がありますよね。学生からのアクションは見られるのでしょうか。
(比留間先生)そうですね。僕はムセイオン静岡のことを含む、文化に関わる授業をしているのですが、学生の中にも特に興味を示してくれている学生がいて、そういう学生は見ていればすぐにわかりますね。実際に美術館やSPACなどを訪れて、自分よりずっと年上の人や博識な方達と交流しているみたいです。そういう人たちとの交流は、互いに創作的な面での刺激を与えてくれますし、学生って目上の人から受ける影響って強いと思うんです。
さきほど説明した静岡の特徴としての補足になりますが、静岡は良い意味でコンパクトな街だと思うのです。だからこそ大人の人に出会い、接する機会が多い。大都市と呼ばれる場所では、「普段はなかなか会えないだろう」という職種の人と出会う機会が静岡では多い気がします。そしてそういう人たちもまた大抵は喜んで学生と接してくれたりしますよ。そんな繋がりを生かして成長した学生を僕はみていますし、自分の住んでいる地域に貢献するため頑張っているなと思う学生もたくさんいますね。とはいっても自分から動かなければ出会うことはできませんから、学生のみなさんには時間のあるうちに色々なところに行ってほしいです。
——やはり人との出会いが大事なんですね。私たち学生側も外部に目を向けるのがいかに自分に重要か、ということを考えなければならないと思いました。また、そのためにはまだまだ勉強しなければならないことがあるし、それが実を結んで社会に貢献できたらいい、とも思いました。私も静岡にあるたくさんの文化に触れながら、学びの場としての静岡とは一体何なのか、探っていきたいです。(了)

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Updated:2016年04月11日 特集