特集
【特別対談】“誰もが幸せ”になる、真の介護とは?(1/2)
連続特集:「人生の必修科目。大学生のための"さきどり介護学"」(3)
人と人が向き合う“介護”。その人間同士の関係性は、外から見てわかりやすい「介護される側」「介護する側」という世界なんだろうか。介護職の人材不足だからというわけでなく、いま本当に必要な介護とは何かを考える上で、誰かに幸せを与えたり、与えられたり、またその幸せに寄り添う仕事として、介護や介護職を捉えてみたい。今後、静岡県内地域でどんな介護を私たち世代も一緒になってつくっていければいいんだろう……?
今回は静岡英和学院大学 人間社会学部コミュニティ福祉学科教授の見平隆(みひら たかし)先生(コミュニティ福祉学科・学科長も務められています)と、静岡県介護の未来ナビゲーターの野中一臣さん・小林正子さんと一緒に、大学生がいま知るべき介護のこれからの展望について伺いました。
取材・文:小泉夏葉(静岡時代編集部・静岡大学 理学部地球科学科2年) [写真右]
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■見平隆(みひら たかし)先生 [写真中央]
静岡英和学院大学 人間社会学部コミュニティ福祉学科教授。専門分野は、地域福祉、政策、福祉社会学。
コミュニティの一員として、誰もが幸せである介護とは何なのか、先生の実体験をもとにしたお話を伺いました。
《介護の未来ナビゲーター》
■野中一臣(のなかかずおみ)さん [写真中右]
社会福祉法人・松風
特別養護老人ホーム 「みずうみ」勤務。
■小林正子(こばやしまさこ)さん [写真中左]
社会福祉法人・春風会
特別養護老人ホーム 「みはるの丘 浮島」勤務
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■介護の本当の姿を、わたしたちはまだ知らない
(静岡時代):今の介護・介護職について考えるとき、見平先生が重要だと思われている考え方、「介護の捉え方について教えてください。
(見平先生):学問的な話も大切ですが、まずは私の体験からお話させてください。
40年も前のことですが、私が心理や福祉分野の勉強をしていた大学生のときに、自分の父親が脳卒中で倒れたんです。一命はとりとめたものの、一家の大黒柱が寝たきりの状態になってしまった。そこで家族としてどうしていこうか、と当時の私なりに考えましたね。
当時はハンドルで回すベッドもなかなか手に入らないですし、ホームヘルパーだって、低所得で家族の居ない人しか市町村が派遣しない時代でした。ちなみに昔の介護用ベッドって三畳くらいのスペースを使ってしまうんですよ、今は一畳分くらいですよね。
特別養護老人ホームも数えるほどしかなかったし、いまほど介護に関する制度がまったくといっていいほど整っていなかったんです。そういうなかで、私は学生ながら介護という問題に直面しました。
(静岡時代):大学生で自分の親の介護をする……。私はそういうシチュエーションを想像したことがなかったです。
(見平先生):そうですよね。今では恥ずかしい話ですが、父が倒れて寝たきりになった頃、意識は戻ったので、当時の私はリハビリをすれば治るんじゃないかと思っていたんです。でも、一応専門的な勉強をする身としては、現実的に考えると回復できる程度のものじゃないとわかってきました。
そこで、さあどうしようかと思ったんですが、私たちは家族として、家で父を介護することにしたんです。いつも身近にいられる状態にね。それなり大変でしたし。当時私は大学を辞めることも考えましたけど、そこはなんとか通い続けることができました。
自分自身が専門の勉強をして社会人となっていくうえで、最終的には家を離れましたが、親子関係大事にしなきゃだめだということが常に頭の中にあったんです。当時の私の研究テーマが“家族”だったのもリンクしたのでしょう。結果的に、父は倒れてから10年自宅で暮らし続け、しかも最期は私の腕の中で息を引き取りました。
その期間に気づいたことがありました。家族での父の介護を支えたのは、身内だけでなく近所のお医者さんや地域の人たちでした。そうした人たちのおかげで、自分の父が“この地域で必要な存在”ということを肌で感じられたんです。だからこそ余計に、私は「家族の中での介護」が大切だと思うようになりました。
(静岡時代):“介護”というと、もう自然と「施設に入る」ことが普通だと思ってしまっていました。でも考えてみれば……。
(見平先生):そう、自宅にいても施設にいても家族なんだから、家族として人生を全うさせてあげたいと思うのが自然なんじゃないかな。介護する側もされる側もどういう生き方、暮らし方をしていきたいかを明確にさせておかないとだめなんだということが、父の介護を通じてわかったんです。今もその考えが根底にあります。
たとえば食事介助だったら、“食べさせてあげる”という発想ではなく、かつてのように“一緒に食事を楽しむ”をいう考えです。所謂食べさせる部分は増えるけれど、その時間をどういうものだと捉えるかで意味合いは大きく異なります。介護全体を通じて、「本人の代わりに」という発想になってしまうといけないと思うんです。
職業として介護をやっている人たちになると、家族以上に「代わりに」という意識になってしまうかもしれません。これは誰が悪いではなく、忙しない社会の空気が仕向けていってしまっている面もあるでしょう。でも、義務感で動かされる状態になったとき、仕事って楽しくなくなっちゃいますよね。
私はまだまだ、介護する側もされる側も、家族も、昔の一心に背負わなければならないイメージを引きずってしまっているなあと感じています。今はだんだんと、介護される側の方が、自分でやろうと思えば自分でできる環境をつくりましょう、という風になってきてはいますけど。まだまだです。
(静岡時代):実際に介護の現場で働いてらっしゃる、野中さんはいかがですか?
(野中さん):僕は現場で働きながら、職員の管理もするような仕事に就いているのですが、僕は何より現場が好きですね。よく3Kとか言われますけど、できることなら、利用者さんの排泄物などを“汚い”と思う人にこの業界に入ってもらいたくないとすら思います。
気持ちよく排泄できるというのは「喜び」です。それは本人だけでなく、私たち職員として関わらせてもらう側としても嬉しい気持ちになれることなんです。もしそういう考え方に結びつかないのであれば、先生のおっしゃったように、全部が作業になってしまうんだろうなといつも感じていますね。
(見平先生):いいですね。私が普段接する介護関係職のみなさんには、『歌って踊れる介護職員、社会福祉士になりましょう』と言っています。
自分たちからパフォーマンスをする、古いスタイルの介護ではなく、これをやると楽しい、充実しますよ、ということを自ら利用者さんに示していくんです。そういうことを堂々とやっていいはずなんですけど、なぜか未だ遠慮があるようにも感じちゃいますね。いかに充実した介護ができるか、要はその気になって、その人が充実した人生を送れるように、また本人がそうしていこうと思えるように、どうあの手この手を使えるかですよね。
(静岡時代):……歌って踊れる。介護職ってものすごくクリエイティブな仕事なんだなと思えてきました。
(野中さん):毎日がライブのようですよ!
(小林さん)私も仕事をしていると、本当に楽しいなと思うことが多いですね。人と話しながら仕事をして、この人にはこうしたら良いのではないかとか、もちろん職員同士でも話し合います。話していた内容が実現した時には、本当によかったね、と私たちも利用者さんもみんな一緒になって喜べて、本当に幸せな仕事だなって
(見平先生):介護は、そのときそのときをつくる面白さや難しさがあって、芸術と一緒ではないかと。どれだけ喜びや感動を与えられるかなんです。
芸術家の場合は作品を通してだけど、介護の場合は、対人援助ですから直接的に受け手に触れるもの。ダイレクトに、人が人と喜びを伝え合えるものですから、そんなことは他の仕事では、なかなかないですよ。お年寄りひとりひとりに、自分の自由な表現を出して、関われる。この世界の特権ですね。
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いままさに現場で働く、県内指折りの若手介護職員が日々情報発信を行っています。静岡県の介護の現場について、詳しく知りたい人は、以下のリンク先も要チェック!
・HP:http://kaigonavigator-shizuoka.jp/
・Facebook:「介護の未来ナビゲーター」で検索!
人と人が向き合う“介護”。その人間同士の関係性は、外から見てわかりやすい「介護される側」「介護する側」という世界なんだろうか。介護職の人材不足だからというわけでなく、いま本当に必要な介護とは何かを考える上で、誰かに幸せを与えたり、与えられたり、またその幸せに寄り添う仕事として、介護や介護職を捉えてみたい。今後、静岡県内地域でどんな介護を私たち世代も一緒になってつくっていければいいんだろう……?
今回は静岡英和学院大学 人間社会学部コミュニティ福祉学科教授の見平隆(みひら たかし)先生(コミュニティ福祉学科・学科長も務められています)と、静岡県介護の未来ナビゲーターの野中一臣さん・小林正子さんと一緒に、大学生がいま知るべき介護のこれからの展望について伺いました。
取材・文:小泉夏葉(静岡時代編集部・静岡大学 理学部地球科学科2年) [写真右]
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■見平隆(みひら たかし)先生 [写真中央]
静岡英和学院大学 人間社会学部コミュニティ福祉学科教授。専門分野は、地域福祉、政策、福祉社会学。
コミュニティの一員として、誰もが幸せである介護とは何なのか、先生の実体験をもとにしたお話を伺いました。
《介護の未来ナビゲーター》
■野中一臣(のなかかずおみ)さん [写真中右]
社会福祉法人・松風
特別養護老人ホーム 「みずうみ」勤務。
■小林正子(こばやしまさこ)さん [写真中左]
社会福祉法人・春風会
特別養護老人ホーム 「みはるの丘 浮島」勤務
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■介護の本当の姿を、わたしたちはまだ知らない
(静岡時代):今の介護・介護職について考えるとき、見平先生が重要だと思われている考え方、「介護の捉え方について教えてください。
(見平先生):学問的な話も大切ですが、まずは私の体験からお話させてください。
40年も前のことですが、私が心理や福祉分野の勉強をしていた大学生のときに、自分の父親が脳卒中で倒れたんです。一命はとりとめたものの、一家の大黒柱が寝たきりの状態になってしまった。そこで家族としてどうしていこうか、と当時の私なりに考えましたね。
当時はハンドルで回すベッドもなかなか手に入らないですし、ホームヘルパーだって、低所得で家族の居ない人しか市町村が派遣しない時代でした。ちなみに昔の介護用ベッドって三畳くらいのスペースを使ってしまうんですよ、今は一畳分くらいですよね。
特別養護老人ホームも数えるほどしかなかったし、いまほど介護に関する制度がまったくといっていいほど整っていなかったんです。そういうなかで、私は学生ながら介護という問題に直面しました。
(静岡時代):大学生で自分の親の介護をする……。私はそういうシチュエーションを想像したことがなかったです。
(見平先生):そうですよね。今では恥ずかしい話ですが、父が倒れて寝たきりになった頃、意識は戻ったので、当時の私はリハビリをすれば治るんじゃないかと思っていたんです。でも、一応専門的な勉強をする身としては、現実的に考えると回復できる程度のものじゃないとわかってきました。
そこで、さあどうしようかと思ったんですが、私たちは家族として、家で父を介護することにしたんです。いつも身近にいられる状態にね。それなり大変でしたし。当時私は大学を辞めることも考えましたけど、そこはなんとか通い続けることができました。
自分自身が専門の勉強をして社会人となっていくうえで、最終的には家を離れましたが、親子関係大事にしなきゃだめだということが常に頭の中にあったんです。当時の私の研究テーマが“家族”だったのもリンクしたのでしょう。結果的に、父は倒れてから10年自宅で暮らし続け、しかも最期は私の腕の中で息を引き取りました。
その期間に気づいたことがありました。家族での父の介護を支えたのは、身内だけでなく近所のお医者さんや地域の人たちでした。そうした人たちのおかげで、自分の父が“この地域で必要な存在”ということを肌で感じられたんです。だからこそ余計に、私は「家族の中での介護」が大切だと思うようになりました。
(静岡時代):“介護”というと、もう自然と「施設に入る」ことが普通だと思ってしまっていました。でも考えてみれば……。
(見平先生):そう、自宅にいても施設にいても家族なんだから、家族として人生を全うさせてあげたいと思うのが自然なんじゃないかな。介護する側もされる側もどういう生き方、暮らし方をしていきたいかを明確にさせておかないとだめなんだということが、父の介護を通じてわかったんです。今もその考えが根底にあります。
たとえば食事介助だったら、“食べさせてあげる”という発想ではなく、かつてのように“一緒に食事を楽しむ”をいう考えです。所謂食べさせる部分は増えるけれど、その時間をどういうものだと捉えるかで意味合いは大きく異なります。介護全体を通じて、「本人の代わりに」という発想になってしまうといけないと思うんです。
職業として介護をやっている人たちになると、家族以上に「代わりに」という意識になってしまうかもしれません。これは誰が悪いではなく、忙しない社会の空気が仕向けていってしまっている面もあるでしょう。でも、義務感で動かされる状態になったとき、仕事って楽しくなくなっちゃいますよね。
私はまだまだ、介護する側もされる側も、家族も、昔の一心に背負わなければならないイメージを引きずってしまっているなあと感じています。今はだんだんと、介護される側の方が、自分でやろうと思えば自分でできる環境をつくりましょう、という風になってきてはいますけど。まだまだです。
(静岡時代):実際に介護の現場で働いてらっしゃる、野中さんはいかがですか?
(野中さん):僕は現場で働きながら、職員の管理もするような仕事に就いているのですが、僕は何より現場が好きですね。よく3Kとか言われますけど、できることなら、利用者さんの排泄物などを“汚い”と思う人にこの業界に入ってもらいたくないとすら思います。
気持ちよく排泄できるというのは「喜び」です。それは本人だけでなく、私たち職員として関わらせてもらう側としても嬉しい気持ちになれることなんです。もしそういう考え方に結びつかないのであれば、先生のおっしゃったように、全部が作業になってしまうんだろうなといつも感じていますね。
(見平先生):いいですね。私が普段接する介護関係職のみなさんには、『歌って踊れる介護職員、社会福祉士になりましょう』と言っています。
自分たちからパフォーマンスをする、古いスタイルの介護ではなく、これをやると楽しい、充実しますよ、ということを自ら利用者さんに示していくんです。そういうことを堂々とやっていいはずなんですけど、なぜか未だ遠慮があるようにも感じちゃいますね。いかに充実した介護ができるか、要はその気になって、その人が充実した人生を送れるように、また本人がそうしていこうと思えるように、どうあの手この手を使えるかですよね。
(静岡時代):……歌って踊れる。介護職ってものすごくクリエイティブな仕事なんだなと思えてきました。
(野中さん):毎日がライブのようですよ!
(小林さん)私も仕事をしていると、本当に楽しいなと思うことが多いですね。人と話しながら仕事をして、この人にはこうしたら良いのではないかとか、もちろん職員同士でも話し合います。話していた内容が実現した時には、本当によかったね、と私たちも利用者さんもみんな一緒になって喜べて、本当に幸せな仕事だなって
(見平先生):介護は、そのときそのときをつくる面白さや難しさがあって、芸術と一緒ではないかと。どれだけ喜びや感動を与えられるかなんです。
芸術家の場合は作品を通してだけど、介護の場合は、対人援助ですから直接的に受け手に触れるもの。ダイレクトに、人が人と喜びを伝え合えるものですから、そんなことは他の仕事では、なかなかないですよ。お年寄りひとりひとりに、自分の自由な表現を出して、関われる。この世界の特権ですね。
【特別対談】“誰もが幸せ”になる、真の介護とは?(2/2)は以下URLから
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http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1460196.html
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Updated:2015年03月27日 特集