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なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

人はみんな、意識的にも無意識的にも物語に縛られて生きています。昨日の出来事も、見た夢も、誰かに説明をしようとした時、それは「物語」という形でしか伝えられません。言語学を専門とする静岡大学人文社会科学部の堀博文先生は「そもそもある程度、複雑な世の中でないと物語は発達しない」と言います。物語の起源をたどる中で見えてきたものは、自分と他者、異なる集団との区別、体系化された秩序でした。今回は、物語に映る、世界や自分自身を覗く物語特集をお送りします!

なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

■堀 博文(ほり ひろふみ)先生〈写真;中央〉
静岡大学 人文社会科学部 言語文化学科 教授。
専門は言語学。現在の研究テーマは話者の減少により消滅が危惧されているハイダ語。現地調査も大切にしており、しばしばカナダでフィールドワークを行っている。

■河田 弥歩(かわた みづほ)〈写真:左〉
静岡大学 人文社会科学部3年。本企画編集長。

■川合 里香(かわい りか)〈写真:左〉
静岡大学 農学部3年。本企画副編集長。



始まりの物語は歴史書だった


ーー話す、聞く、読む。私たちは人生において様々な形で物語と関わっています。物語の起源はなんでしょうか?

(堀先生)物語の一つとして神話が挙げられますが、そもそもなぜ神話は生まれたのか、なぜ神話が口伝で古くから伝えられてきているのか。神話というのは往々にして役割や機能が決められています。例えば、世界や民族の誕生、社会制度の成り立ちなど、いろいろなものを誰かに向けて説明するために神話は生まれました。一般的には「創生神話」を呼ばれているものですね。

私はカナダ先住民のハイダ族の言語の記述研究をしているのですが、ハイダ族にも口頭伝承による神話があります。ハイダ族のいる地域、世界がどのようにして生じてきたのかを神話によって説明し、神話を通じて自分たちのアイデンティティを知る一つの手がかかりとしています。物語にはエンターテインメント的な要素もありますが、それ以上に「自分たちの先祖がどのように生まれてきたのか」などを子孫に伝えるための一種の媒体として生まれたと言えます。ハイダ族の社会は二つの半族と、さらに細かな血族に分かれています。先祖や世界の成り立ちを伝える神話は、本来、その集団ごとに管理されていて、他の集団が許可なく共有していいものではありませんでした。


ーー誰かに向けて生み出された神話の「誰か」は外側に向けられていなかったんですか?

(堀先生)少なくとも自分たちの集団の次の世代に向けて語り継ぐという意味が強かったと思います。集団が管理しているものには神話の他に、紋章(トーテムポールにみるクレスト)があります。ある集団を象徴する紋章を他集団が使ってはいけないように、神話の所有権も同じように管理されていました。

また、「物語」とはなんらかの意図をもって作られた一つの体系・秩序です。物語を読むとき、意図がよくわからなくても、何か筋が通っているように感じられることがあると思います。例えば、ハイダ族の神話も個々のエピソードの関係性を考えて読むと全然分からないことがあります。エピソード間の関係にこだわりすぎるのではなく、全体の体系を捉えることが大切なんです。小説とは全く違います。


なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

ーーそれでいて、なぜ物語として成立するのでしょうか?

(堀先生)ハイダ族の神話では、ワタリガラスがトリックスターとして登場します。文化的な英雄ではなく、平気で人を騙したり、女性と見境なく寝たりする、はっきり言うと自分に都合のいい世界をつくる自己中心的な存在です。そんなワタリガラスはいろいろな出来事を引き起こすわけですが、その出来事の間には何らかの因果関係があるのかとか、その出来事には何か寓意や教訓があるのかなど、細部にこだわって読むものではないかと思います。

そもそも物語とはある程度、複雑な社会でないと発展しないのではないでしょうか? 複雑化しすぎても難しいですけど、自分と他者、異なる集団との区別や、その集団における秩序があってこそ物語が生まれる。だからこそ、それぞれのエピソードの関係性を読み解けなくても、全体の体系を捉えれば物語は成立するのだと思います。


ーー一方で文字化された物語もあります。口承の物語を文字化していく中で、物語の意味、価値は変わりますか?

(堀先生)例えば、私たちがよく知っている「桃太郎」という昔話がありますが、おそらく各地方には少しずつ違う桃太郎があったと思います。ところが今は画一化された一つの「桃太郎」になってしまっている。これを「教科書桃太郎」と呼ぶそうですが、このように正本として確立されてしまったためにある桃太郎の物語が唯一の桃太郎と認識され、他のバリエーションが消えてしまうことがよくあると思います。あるバージョンを文字化して正本すると、物語は伝わりやすく、残っていきますが、その反面、その物語に本来あった異同や多様性を消してしまうことにもつながります。特にハイダ族の神話のような口頭伝承による物語は文字化しないほうが多様な「異本」を残すにはいいと思います。いろいろな「異本」を含めて全体を一つの作品としてみるべきではないかと思うんです。

元々、ハイダ族の口頭伝承は集団の中から選ばれた少年が老人たちから口頭で伝えられた神話を暗唱して覚えていました。文字化すると失われてしまう抑揚やリズムも厳しく教えられていたと思います。少年が成長したら、語り継がれる側から今度は語り継ぐ側へ移っていきます。日常の言葉にはみられない、きいていると惚れ惚れするような緩急のある語り方。そういう雰囲気で語れる人って今いないですね。言語の面でもイントネーションやリズムは言語の本質的なものではないけれど、その言語らしさを表します。昔の人は、それを意図してやっていました。でも、今はもう神話自体を語れる人がいないんですよね。「俺が死んだらこの話は俺の代で終わりだ」って後に残さずに亡くなった人もいます。


なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より


神話は太古の作り話ではない? 解釈次第で現実味を帯びてくる


ーー物語には書き手(生産者)と読み手(消費者)がいます。生み出した生産者の意図とは違う読み方をすることは良いことなのでしょうか?

(堀先生)物語の解釈は人それぞれです。神話というものは、民族にとってのアイデンティティを共有して、仲間意識を高める存在としてあるだけでなく、歴史的な事実を解き明かし、伝えるものでもあると思います。いわば歴史書なのです。現代人から見ると、神話というのは荒唐無稽な、太古の昔にあった作り話と思うかもしれませんが、実は事実に即したものを伝えている可能性が十分にあります。

例えば、ハイダ族の神話に洪水が発生してハイダグワーイ(クィーン・シャーロット諸島)の一部が水没してしまったというストーリーがあります。ハイダ族の住むハイダグワーイの周辺は大昔は氷河に覆われていて、その後、氷河が溶けて海面上昇が起き、実際に島の一部が沈んでしまいました。神話の中の洪水は、この事実を描いていると思いませんか?このように神話は歴史的な事実を伝えていると考える人もいます。解釈次第ではありますが、物語を深く考えていくとその内容だけでなく、そこから歴史まで読み取ることも可能です。


なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

ーー物語の数だけ、人の数だけ解釈が生まれるのですね。物語が人々を惹きつける魅力とは何だと思いますか?

(堀先生)一つの物語でも解釈次第でいろいろな楽しみ方ができることが物語の魅力の一つだと言えます。ただ、ハイダ族の神話にしても先ほどの「桃太郎」にしても、文字化された物語というのは人類学者が膨大なテキストとして残したものと、探検家が書き残したものと、とにかく膨大な数の物語が伝え残されています。しかし、その残された物語が全体の物語のうちの何割を占めるかはわかりません。本当はもっと重要な出来事を伝えている物語もあるかもしれないのに、それらの記録から漏れて消えてしまっていることがあるかもしれません。いずれにせよ物語に接する時は歴史を紐解くにしてもどれぐらい穴があるのだろうという意識は必要です。

物語、なかでも神話はその民族の知識の宝庫であり、世界観そのもの。古代から今に至るまでの社会の構造、その世界における自分たちのアイデンティティを探ることのできる面白いものですよ(了)


▶︎もっと深く掘り下げたい人へ、掘先生からのオススメの論文
Swanton, John R. (1905) Contributions to the ethnology of the Haida.  Memoirs of the American Museum of Natural History Vol. 8, pt. 1. Leiden: E. J. Brill.
(冊子体は入手できませんが,そのPDFがAmerican Museum of Natural Historyのサイトからダウンロードできるようになっています)

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