特集
静岡県の美術50年史をつくろう!【2】
連続特集【静岡美術50年史】(静岡時代:vol.40)

静岡大学の図書館で、静岡師範学校時代から1990年代までの大学ゆかりの作家の作品をまとめた『静岡大学創立50周年記念美術展』という本を見つけた。本を開くと絵画から彫刻、デザイン、工芸に至る作品が並ぶ。素朴な油彩画や目を逸らしたくなるような黒々とした人間が描かれた作品、中には正直よく分からない作品もあった。静岡県の学生美術から大学生の欲求や不満、美的思想はどんな風に覗けるだろう。ここ50年の静岡大学や常葉大学、静岡文化芸術大学の伝説と言われる学生や作品について、調べてみた。
例えば、1984年に山本晴康さん(静岡大学 院修了)が制作した絵画《置かれた物》。当時は三次元の空間をいかに上手く描けるかという時代ではなかった。山本さんは遠近法をあえて使わず、絵画とは何かを捉え直そうとしたのだ。彩度を抑えた画面は、静かな緊張感をたたえている。また私たちの同時代を象徴するだろう学生はありえだなおさん(静岡大学卒)だ。2011年に制作された《あまえちゃん☆スイート》は、少女の絵を中心に、女の子であれば見覚えのあるキーホルダーや髪留めが所狭しと貼付けられている。「安価で大量生産され、消費されていくものの中には、生きている女の子も含まれる」。そうした誰もが知っているけれど見たくないと思う歪んだ現実と真正面から向き合う作品だ。

古くから美術は宗教的な象徴として、物語として、歴史を表すものとして描かれてきた。それは今も昔も、静岡の学生にとっても、作り手であっても、見る側であっても共通だ。変わりゆく美術史、自分を取り巻く社会の中で静岡の学生がどのような悩みを持ち、どのようなメッセージを残そうとしたかが美術を通して見えてくる。美術家であり、常葉大学でも教鞭を執る蜂谷充志先生は、「美術を教えることもできるけど、美術で教えられることもある」と仰っていた。美術史や技法、表現方法だけではない、美術を通して学べる事があるということだ。
私はそれは人としてどう生きるかだと思う。ここ50年の学生美術を見ていると、どの作品にも通じて言えることは「迷い」だ。自分の生きる時代に対して、迷いながらテーマを模索していく。迷いの先に確立されるものは、作者と作品の強い自立性だ。時代の鏡である美術は、自分を映す鏡でもある。だからこそ、作品に表れる悩みや迷い、苦しみ、葛藤という生々しい目線に、私は怖くなったり、好きだと思ったり、目が離せなくなるのだと思う。






静岡県には静岡師範学校時代からの静岡大学、常葉大学、静岡文化芸術大学とこれまで多くの学生美術が生まれてきた。
伝説の学生の美術作品に映る、大学生の欲求や不満、美的思想。かつてと今の大学生をつなぐ、静岡の学生美術50年史!
伝説の学生の美術作品に映る、大学生の欲求や不満、美的思想。かつてと今の大学生をつなぐ、静岡の学生美術50年史!
[取材・文/澤村優妃〈写真:左〉 三好景子〈写真:右〉/静岡大学]
私はどこから来て、どこへ向かうのか?
静岡大学の図書館で、静岡師範学校時代から1990年代までの大学ゆかりの作家の作品をまとめた『静岡大学創立50周年記念美術展』という本を見つけた。本を開くと絵画から彫刻、デザイン、工芸に至る作品が並ぶ。素朴な油彩画や目を逸らしたくなるような黒々とした人間が描かれた作品、中には正直よく分からない作品もあった。静岡県の学生美術から大学生の欲求や不満、美的思想はどんな風に覗けるだろう。ここ50年の静岡大学や常葉大学、静岡文化芸術大学の伝説と言われる学生や作品について、調べてみた。
例えば、1984年に山本晴康さん(静岡大学 院修了)が制作した絵画《置かれた物》。当時は三次元の空間をいかに上手く描けるかという時代ではなかった。山本さんは遠近法をあえて使わず、絵画とは何かを捉え直そうとしたのだ。彩度を抑えた画面は、静かな緊張感をたたえている。また私たちの同時代を象徴するだろう学生はありえだなおさん(静岡大学卒)だ。2011年に制作された《あまえちゃん☆スイート》は、少女の絵を中心に、女の子であれば見覚えのあるキーホルダーや髪留めが所狭しと貼付けられている。「安価で大量生産され、消費されていくものの中には、生きている女の子も含まれる」。そうした誰もが知っているけれど見たくないと思う歪んだ現実と真正面から向き合う作品だ。

【あまえちゃん☆スイート】 ありえだ なお,2011
制作には模造紙やボールペンなど、安価で大量生産・大量消費されている物を使う。生クリームを被った少女や女性の裸、性器など女性のどろどろした部分まで描き、女性さえも消費されていく社会を表現する。
「消費社会は人間の欲望が肥大化し形成されるものだと思います。嫌だと思う感情ととも切り離されるような社会の歪んだエネルギーは私の中で恐怖でした。負のエネルギーから何が生まれるか見たかったんです(ありえだ なお/2013年当時)」
制作には模造紙やボールペンなど、安価で大量生産・大量消費されている物を使う。生クリームを被った少女や女性の裸、性器など女性のどろどろした部分まで描き、女性さえも消費されていく社会を表現する。
「消費社会は人間の欲望が肥大化し形成されるものだと思います。嫌だと思う感情ととも切り離されるような社会の歪んだエネルギーは私の中で恐怖でした。負のエネルギーから何が生まれるか見たかったんです(ありえだ なお/2013年当時)」
迷いの先の強い自立性
古くから美術は宗教的な象徴として、物語として、歴史を表すものとして描かれてきた。それは今も昔も、静岡の学生にとっても、作り手であっても、見る側であっても共通だ。変わりゆく美術史、自分を取り巻く社会の中で静岡の学生がどのような悩みを持ち、どのようなメッセージを残そうとしたかが美術を通して見えてくる。美術家であり、常葉大学でも教鞭を執る蜂谷充志先生は、「美術を教えることもできるけど、美術で教えられることもある」と仰っていた。美術史や技法、表現方法だけではない、美術を通して学べる事があるということだ。
私はそれは人としてどう生きるかだと思う。ここ50年の学生美術を見ていると、どの作品にも通じて言えることは「迷い」だ。自分の生きる時代に対して、迷いながらテーマを模索していく。迷いの先に確立されるものは、作者と作品の強い自立性だ。時代の鏡である美術は、自分を映す鏡でもある。だからこそ、作品に表れる悩みや迷い、苦しみ、葛藤という生々しい目線に、私は怖くなったり、好きだと思ったり、目が離せなくなるのだと思う。
[文/澤村 優妃(静岡大学)]

▲美術作品の監修にご協力いただいた常葉大学の蜂谷充志先生。
幼少期の原風景を求めて作家活動を展開している。
幼少期の原風景を求めて作家活動を展開している。

▲同じく、監修者の白井嘉尚先生。
静岡大学で1980年から教鞭をふるう。とことん自らを模索することを教える。
静岡大学で1980年から教鞭をふるう。とことん自らを模索することを教える。



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Updated:2000年12月15日 特集