特集
100年後の静岡県にも残る本の条件とは?〜静岡時代の『本』論【2/4】〜
静岡時代4月号(vol.38):静岡時代の『本』論《2》
静岡県には何百年も前から残され続けている本があります。その名も『葵文庫』。そもそも本は、なんのために残され、社会や地域、そして私たちにとってどんな価値をうむのでしょうか。今回は静岡県立中央図書館で司書を務めている渡辺勝さんに、残された本から読み解く静岡県と学問の歴史を伺いました。

■渡辺勝さん〈写真:中央〉
静岡県立中央図書館 調査課一般調査係。葵文庫が必要な理由、書物が人や社会を動かしてきた背景を熱く語る姿から、葵文庫への探究心が伝わってきました。 渡辺さんの一押し葵文庫は家庭百科事典「厚生新編」!
■度會由貴 (わたらいゆき)〈写真:右〉
静岡大学4年。本が大好きな静岡時代4月号(vol.38)編集長。
■小泉夏葉(こいずみなつは)〈写真:左〉
静岡大学3年。本記事執筆担当者。渡辺さんのお話を読者へわかりやすく伝えるため、本文からプロフィール文まで、一生懸命執筆していました。
◉江戸の学びを静岡県へ。人や社会にとっての『本』論

(静岡時代)静岡県立中央図書館では、江戸幕府が収蔵していた貴重書を「葵文庫」として永年保存していますが、そもそも江戸にあったものがどうして静岡にきたのでしょうか?
(渡辺さん)「葵文庫」は江戸幕府が持っていた 資料で、幕府の教育・研究の責任者だった林家にあった本の一部が静岡にやってきたものです。
大政奉還が行われ、江戸幕府が終焉したあと、徳川家がどうなったか知っていますか? 今まで日本の統治者だった徳川家は地方の一大名という形で静岡(駿府)の城主となりました。 その時、幕臣たちには選択肢が与えら れました。明治政府に鞍替えする人、武士を辞めて江戸で商売を始める人、 将軍様とともに静岡へ下る人、薩摩・長州に反発して戦争を起こした人もいました。いわゆる戊辰戦争ですね。しかし結果としては静岡へ下る人は少なくなかったようです。
駿府移封にあたり、徳川ゆかりの人と物とがごそっと静岡にやってきました。人の移動でさえ大変です。書物を運ぶのはなおさら手がかかるのに、どうして貴重な資料を静岡まで持ってきたのか。それは江戸幕府で学んでいた西洋の優れた文化を、そのまま静岡の地でも学んでいこうという想いがあったからなんです。そのために駿府城内に駿府学問所が開設されています。持ってこれなかった資料は国会図書館や東京大学などに残されました。

(静岡時代)静岡県立中央図書館に収蔵されるに至った経緯はあるのでしょうか?
(渡辺さん)駿府学問所が廃止されると 、江戸幕府の資料(江戸幕府旧蔵資 料)は、静岡大学の前身である静岡師 範学校に移動しました。その後、今の県庁の隣に「静岡県立葵文庫」という名前で図書館が設立され、ここに収められました。ここは図書だけでなく、静岡の文化事業を担う一大センター だったそうです。江戸幕府旧蔵資料を市民へも公開したんですよ。昭和四十五年に現在の場所に図書館が移転し、「静岡県立中央図書館」になりました。この際に、今まで親しまれてきた「葵文庫」という名前を江戸幕府旧蔵資料の愛称にしよ うとなりました。
つまり、「葵文庫 」には 二つの意味があるんです。一つは県庁の隣にあった頃の図書館、もう一つが 現在の江戸幕府旧蔵資料を指す言葉ですね。
(静岡時代)「葵文庫」にはどのような本があるのですか?
(渡辺さん)「葵文庫」 は和漢書が一二六一冊、蘭・仏・英・独などの洋書が二三二五冊あります。洋書のほうが多いです。これは江戸幕府が西洋の技術を積極的に取り入れようとしていたから です。その中でも早急に学ばなければならなかったのが兵法、つまり兵事・軍事技術です。『熕(こう)鉄全書図 』には大砲を作るうえで必要となる製 鉄所の作り方が載っています。韮山反射炉を作る際にも、同種の資料が実際に用いられていたんですよ。他に城の作り方を書いた『築城典刑 』や軍用馬の飼育法をまとめた『相馬略』、また『三兵答古知幾』『仏蘭西答屈智幾』といった戦術書などがあります。


(静岡時代)残された本からどんなことがわかるのでしょうか?
(渡辺さん)書物はある程度まとまり に なることで価値を生みます。「葵文庫」は一冊一冊の価値も非常にあるけれど、「葵文庫」全体を見ると、徳川 幕府が何をしようとしていたかがわかります。多数の洋書があることから、 鎖国で西洋の情報をシャットアウトしているように見えて、実際には西洋の 技術を書籍をもとに学んで研究しようとしていたことが読み取れます。また駿府移封にあたり、 持 ってくる資料を選んできていますよ ね。そこから当時どんな本が重要だと判断されたのかがわかります。
(静岡時代)「 葵文庫」に限らず、 残されていく本に条件はあるのでしょ うか?
(渡辺さん)まず一つは、単純に内容が重要、面白い本が残ります。昔、本は基本的に写本という形で流通していました。写本は手書きですから、手間がかかります。読んで面白くなければわざわざ写したりしませんよね。「葵 文庫」でいうと、先ほどの『熕鉄全書 図』は違う名前で同じ内容の資料がた くさん出てきています。それだけみんなが求めていて、重要な内容の資料だったということです。大量の写本が出回ったため、燃えたものがあっても、今に残っています。時代の淘汰に対して 、数が勝ったんですね。
そしてもう一つ考えられるのが、ある人が重要だと思って、たまたま残るように保管していたという 場合です。これはまさに「葵文庫」に言えることです。『厚生新編』は幕府の翻訳事業で作られた家庭百科事典です。これは部外秘で作られたためオリジナルしかありません。でも今に残っているのは、江戸幕府の資料として大切に保管されてきたからですね。

(静岡時代)残された本はこれからの社会や静岡県にどんな影響をもたらすのでしょうか?
(渡辺さん)本は生もの的なところがあります。当時は、流行していた情報や必要とされていた情報が載っているものが売れます。それらが五十年、百年たった今にも通ずるかというと、どうしてもややズレてしまいますよね。しかし、残された本から当時の情勢や必要とされた情報を知ることができます。ニュース的な価値から歴史的な価値へと資料の持つ価値が変わってくるんです。
例えば、福沢諭吉の『学問ノスゝメ』 は当時のベストセラーでした。明治時代より前は、生まれによって身分が決まってしまう時代です。そんな中、突然「自由」と言われてもどうすればいいかわからない。そんな人たちが新時代を生きる上で指針とした本が、『学 問ノスゝメ』でした。「勉強した人が豊かになり、偉くなっていくんだ」という一つの指標になっていたのです。 これは今に通ずる部分もあるし、当時こういう考えで人々にうけたんだっていう二側面で今知ることができます。 ニュース的な価値と歴史的な価値に明確な境目があるわけではないですね。
(静岡時代)なるほど。でも、なかには流行していたと考えられるのに、散逸してしまったものもありますよね?
(渡辺さん)先ほどの写本の話から言うと、やはり面白くないものは残っていきませ ん。ただ、重要な資料でも不運にもすべてが燃えてなくなってしまった場合 もあります。偶然残ったもの、残らな かったものと言ってしまえばそうです が、数によってその偶然の確率が上がるのは事実です。
(静岡時代)では、これからの未来にはどんな本が残されていくのでしょうか?
(渡辺さん)まず、図書館の仕事は情報を求めて いる人に、その情報が載っている本を届けることが仕事です。利用者のニーズを把握し、すべての本をすべての読み手に結びつけようとしています。
ニーズは社会の流れによって変化するので、その変化に合わせて本を選んでいくことが必要です。ただし、ニーズだけで判断してしまうと、大衆に受けたものが価値ある本だということになってしまいますよね。少数の人しか手にとらなかった本でも、内容が重要であれば置いておくべきです。その判 断もとても重要です。また、当館は静岡県に根付いた資料や静岡県の歴史を語る資料も未来のために残していかなくてはいけません。図書館としての役割を担うためにはどの要素も大切ですから、その選定は司書の腕の見せ所だと感じています。(取材・文/小泉夏葉)

静岡県には何百年も前から残され続けている本があります。その名も『葵文庫』。そもそも本は、なんのために残され、社会や地域、そして私たちにとってどんな価値をうむのでしょうか。今回は静岡県立中央図書館で司書を務めている渡辺勝さんに、残された本から読み解く静岡県と学問の歴史を伺いました。

■渡辺勝さん〈写真:中央〉
静岡県立中央図書館 調査課一般調査係。葵文庫が必要な理由、書物が人や社会を動かしてきた背景を熱く語る姿から、葵文庫への探究心が伝わってきました。 渡辺さんの一押し葵文庫は家庭百科事典「厚生新編」!
■度會由貴 (わたらいゆき)〈写真:右〉
静岡大学4年。本が大好きな静岡時代4月号(vol.38)編集長。
■小泉夏葉(こいずみなつは)〈写真:左〉
静岡大学3年。本記事執筆担当者。渡辺さんのお話を読者へわかりやすく伝えるため、本文からプロフィール文まで、一生懸命執筆していました。
◉江戸の学びを静岡県へ。人や社会にとっての『本』論

(静岡時代)静岡県立中央図書館では、江戸幕府が収蔵していた貴重書を「葵文庫」として永年保存していますが、そもそも江戸にあったものがどうして静岡にきたのでしょうか?
(渡辺さん)「葵文庫」は江戸幕府が持っていた 資料で、幕府の教育・研究の責任者だった林家にあった本の一部が静岡にやってきたものです。
大政奉還が行われ、江戸幕府が終焉したあと、徳川家がどうなったか知っていますか? 今まで日本の統治者だった徳川家は地方の一大名という形で静岡(駿府)の城主となりました。 その時、幕臣たちには選択肢が与えら れました。明治政府に鞍替えする人、武士を辞めて江戸で商売を始める人、 将軍様とともに静岡へ下る人、薩摩・長州に反発して戦争を起こした人もいました。いわゆる戊辰戦争ですね。しかし結果としては静岡へ下る人は少なくなかったようです。
駿府移封にあたり、徳川ゆかりの人と物とがごそっと静岡にやってきました。人の移動でさえ大変です。書物を運ぶのはなおさら手がかかるのに、どうして貴重な資料を静岡まで持ってきたのか。それは江戸幕府で学んでいた西洋の優れた文化を、そのまま静岡の地でも学んでいこうという想いがあったからなんです。そのために駿府城内に駿府学問所が開設されています。持ってこれなかった資料は国会図書館や東京大学などに残されました。

(静岡時代)静岡県立中央図書館に収蔵されるに至った経緯はあるのでしょうか?
(渡辺さん)駿府学問所が廃止されると 、江戸幕府の資料(江戸幕府旧蔵資 料)は、静岡大学の前身である静岡師 範学校に移動しました。その後、今の県庁の隣に「静岡県立葵文庫」という名前で図書館が設立され、ここに収められました。ここは図書だけでなく、静岡の文化事業を担う一大センター だったそうです。江戸幕府旧蔵資料を市民へも公開したんですよ。昭和四十五年に現在の場所に図書館が移転し、「静岡県立中央図書館」になりました。この際に、今まで親しまれてきた「葵文庫」という名前を江戸幕府旧蔵資料の愛称にしよ うとなりました。
つまり、「葵文庫 」には 二つの意味があるんです。一つは県庁の隣にあった頃の図書館、もう一つが 現在の江戸幕府旧蔵資料を指す言葉ですね。
(静岡時代)「葵文庫」にはどのような本があるのですか?
(渡辺さん)「葵文庫」 は和漢書が一二六一冊、蘭・仏・英・独などの洋書が二三二五冊あります。洋書のほうが多いです。これは江戸幕府が西洋の技術を積極的に取り入れようとしていたから です。その中でも早急に学ばなければならなかったのが兵法、つまり兵事・軍事技術です。『熕(こう)鉄全書図 』には大砲を作るうえで必要となる製 鉄所の作り方が載っています。韮山反射炉を作る際にも、同種の資料が実際に用いられていたんですよ。他に城の作り方を書いた『築城典刑 』や軍用馬の飼育法をまとめた『相馬略』、また『三兵答古知幾』『仏蘭西答屈智幾』といった戦術書などがあります。


(静岡時代)残された本からどんなことがわかるのでしょうか?
(渡辺さん)書物はある程度まとまり に なることで価値を生みます。「葵文庫」は一冊一冊の価値も非常にあるけれど、「葵文庫」全体を見ると、徳川 幕府が何をしようとしていたかがわかります。多数の洋書があることから、 鎖国で西洋の情報をシャットアウトしているように見えて、実際には西洋の 技術を書籍をもとに学んで研究しようとしていたことが読み取れます。また駿府移封にあたり、 持 ってくる資料を選んできていますよ ね。そこから当時どんな本が重要だと判断されたのかがわかります。
(静岡時代)「 葵文庫」に限らず、 残されていく本に条件はあるのでしょ うか?
(渡辺さん)まず一つは、単純に内容が重要、面白い本が残ります。昔、本は基本的に写本という形で流通していました。写本は手書きですから、手間がかかります。読んで面白くなければわざわざ写したりしませんよね。「葵 文庫」でいうと、先ほどの『熕鉄全書 図』は違う名前で同じ内容の資料がた くさん出てきています。それだけみんなが求めていて、重要な内容の資料だったということです。大量の写本が出回ったため、燃えたものがあっても、今に残っています。時代の淘汰に対して 、数が勝ったんですね。
そしてもう一つ考えられるのが、ある人が重要だと思って、たまたま残るように保管していたという 場合です。これはまさに「葵文庫」に言えることです。『厚生新編』は幕府の翻訳事業で作られた家庭百科事典です。これは部外秘で作られたためオリジナルしかありません。でも今に残っているのは、江戸幕府の資料として大切に保管されてきたからですね。

(静岡時代)残された本はこれからの社会や静岡県にどんな影響をもたらすのでしょうか?
(渡辺さん)本は生もの的なところがあります。当時は、流行していた情報や必要とされていた情報が載っているものが売れます。それらが五十年、百年たった今にも通ずるかというと、どうしてもややズレてしまいますよね。しかし、残された本から当時の情勢や必要とされた情報を知ることができます。ニュース的な価値から歴史的な価値へと資料の持つ価値が変わってくるんです。
例えば、福沢諭吉の『学問ノスゝメ』 は当時のベストセラーでした。明治時代より前は、生まれによって身分が決まってしまう時代です。そんな中、突然「自由」と言われてもどうすればいいかわからない。そんな人たちが新時代を生きる上で指針とした本が、『学 問ノスゝメ』でした。「勉強した人が豊かになり、偉くなっていくんだ」という一つの指標になっていたのです。 これは今に通ずる部分もあるし、当時こういう考えで人々にうけたんだっていう二側面で今知ることができます。 ニュース的な価値と歴史的な価値に明確な境目があるわけではないですね。
(静岡時代)なるほど。でも、なかには流行していたと考えられるのに、散逸してしまったものもありますよね?
(渡辺さん)先ほどの写本の話から言うと、やはり面白くないものは残っていきませ ん。ただ、重要な資料でも不運にもすべてが燃えてなくなってしまった場合 もあります。偶然残ったもの、残らな かったものと言ってしまえばそうです が、数によってその偶然の確率が上がるのは事実です。
(静岡時代)では、これからの未来にはどんな本が残されていくのでしょうか?
(渡辺さん)まず、図書館の仕事は情報を求めて いる人に、その情報が載っている本を届けることが仕事です。利用者のニーズを把握し、すべての本をすべての読み手に結びつけようとしています。
ニーズは社会の流れによって変化するので、その変化に合わせて本を選んでいくことが必要です。ただし、ニーズだけで判断してしまうと、大衆に受けたものが価値ある本だということになってしまいますよね。少数の人しか手にとらなかった本でも、内容が重要であれば置いておくべきです。その判 断もとても重要です。また、当館は静岡県に根付いた資料や静岡県の歴史を語る資料も未来のために残していかなくてはいけません。図書館としての役割を担うためにはどの要素も大切ですから、その選定は司書の腕の見せ所だと感じています。(取材・文/小泉夏葉)

■静岡県立中央図書館
静岡市駿河区谷田 53-1
※葵文庫はこちらをチェック!
「Digital 葵文庫」 http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/
静岡市駿河区谷田 53-1
※葵文庫はこちらをチェック!
「Digital 葵文庫」 http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/
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Updated:2015年08月15日 特集