静岡の地元情報が集まる口コミサイト:eしずおか

静岡時代 シズオカガクセイ的新聞

特集

モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜

静岡時代12月号(vol.37)巻頭特集:モラトリアムの男脳、女脳(1)
多くの学生にとって大学は、学生であることを許された最後の猶予期間だ。少なくとも社会に出る前よりは、社会的(責任)にも経済的にも追われることはない。しかし将来や人間関係など、大学生がもがき迷うときは大学生活中に何度も訪れる。その時期を、"モラトリアム"と言われることがあるけれど、そもそも私たち大学生を悩ませるモラトリアムとは一体何なのだろうか? また、大学で同じようにモラトリアム時期を過ごす大学生の男女に違いはあるのか。今回は、静岡大学で近代文学を専門とする酒井英行先生に、モラトリアムの歴史と概念を伺いました。


モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜

■酒井英行(さかいひでゆき)先生 /〈写真:右〉
静岡大学人文社会科学部言語文化学科 教授。
専門は日本近代文学。主に夏目漱石、内田百閒、村上春樹など。高校生の頃、加山雄三に強い憧れを抱いていたそう。
研究室には文学作品について議論した学生との対談本が置かれている。学生に愛される優しい先生。

[聞き手]
■木下莉那(きしたりな)/ 〈写真:中央〉
静岡英和学院大学4年(取材当時)。現在は同大学を卒業し、就職先の東京で新しいスタートを切りました。

■漆畑友紀(うるしばたゆき)/ 〈写真:左〉
静岡英和学院大学2年(取材当時)。本記事の取材・執筆を担当。



モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜
▲研究室の書棚には、先生の専門である村上春樹、夏名漱石ほか、関連書籍や資料がぎっしり置かれていました。

◉文学作品の数だけ、モラトリアムがある

(静岡時代)モラトリアムはいつ、どのように生まれた概念なのでしょうか?文学ではどのように扱われてきましたか?
 
(酒井先生)モラトリアムとは、大人でも子どもでもない、いわゆる青年期のことを言います。
一般的に14歳、15歳から大学を卒業するまでの間とされ、社会に出ることや大人になることを待ってもらっている猶予期間のことです。

「モラトリアム」という言葉が当たり前に使われるようになったのはこの数十年のことです。
文学の中で、作中で「モラトリアム」という言葉そのものを扱った作品は知りません。ですが、青年を主人公にした作品は、青年期特有の葛藤や成長が描かれていることが多いです。例えば、村上春樹の『ノルウェイの森』は、要約するならば、青年が自分が何者であるかを知るために、旅をしている物語です。まさにモラトリアムですよね。

面白いのは、作家または作家になろうと思う人自身が「モラトリアム人間」だということです。一般的には大学を卒業したら職に就くことになりますが、作家を目指す人は、職に就かず部屋に閉じこもって、小説を書いています。夏目漱石は明治の男でしたから、大学卒業後に職に就きましたが、村上春樹は会社で働いてはいないでしょう。基本的に「作家」という人間は「社会に出たくない」という思いから小説家になるのだと思います。つまり、作家自身が「モラトリアム人間」なのだから、作中で描かれる登場人物も基本的には「モラトリアム人間」になります。


(静岡時代)だとすれば文学作品の数だけモラトリアムがあるのですね。具体的にどのように描かれているのでしょうか?
 
(酒井先生)明治時代に出版された夏目漱石の小説はまさにそうです。漱石は『それから』『彼岸過迄』など自身の小説の中で、「遊民」、「高等遊民」という言葉を用いています。遊民は「遊ぶ民」。本来ならば働かなければならないのに、遊んでいるように見えることからそう呼ばれています。これってモラトリアムですよね?
 
明治42年に書かれた漱石の小説『それから』を例に挙げましょう。当時の日本では、大学卒業者は大変なエリートでした。主人公の代助は裕福な家の出で、東京帝国大学を卒業しました。にもかかわらず、一軒家を借りて、親から仕送りをもらいながら、働かず好きに生きている青年です。ちなみに、『こゝろ』の主人公「私」も、大学を卒業しても職につかず、父親に嘘をついてまでして働こうとしません。そういう青年を漱石は、大正3年に書いています。だから今に始まったことじゃないんです。自分が何者か、何のために生きているか解決できていないという問題が、時代の背景と共に小説で表現されていることがわかりますよね。


モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜

◉「自分」という世界でただ一人の存在との対決

(静岡時代)今も昔も自分が何者であるかという問いかけは、避けては通れないのですね。でもそんな大きな問題、答えは見つかるのでしょうか……?
 
(酒井先生)自分が何者であるかという問いかけの答えは、大学四年間で解決できる問題とは思えませんよね。大学時代は人生最大のモラトリアム期間だと言われます。今までの中学と高校は決められたレールの上を走っている状態です。自分が何者で、何のために生きているのかを考える暇さえありません。
 
人は青年期に入っていくと、突如「自分」という世界でただ一人の存在に気付くことになります。思春期における「自我の目覚め」です。その時に自分は一体何者で、何のために生まれてきたのかという根本的な問いにぶつかります。それをモラトリアムの期間に解決しなければならないのは、就職活動よりも大仕事ですよね。そのことをアメリカの有名なエリクソン.E.Hは、自我同一性、つまりアイデンティティの確立として提唱しました。
 
また『青年期の心』という本には、モラトリアム期間に二つの側面を解決しなければならないと書かれています。一つは「現在の自分と過去の自分を有機的な連続性をもった同一のものとして受け入れることができ、しかもそれが未来に向かって開かれた存在として、現在いきいきと生きている実感があるという実存的な感覚」。もう一つは「自分と自分の所属する社会との間に内的な一体感があって、社会から受け入れられているという感覚」。
これを「社会的同一性」と言います。これらを上手く統合することで、自分のアイデンティティを確立することができます。これがエリクソンの言うモラトリアム期間の重要な仕事なのです。つまり「私は私」といった思い込みだけでは、満足なアイデンティティは得られないという訳です。


モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜

(静岡時代)具体的にどうしたらいいのでしょうか?何もせずに素通りしたらどうなるのでしょうか?
 
(酒井先生)例えるなら、恋愛が一番わかりやすいのではないでしょうか。一概には言えませんが、一人の異性として自分以外の他者に受け入れられることは、社会に受け入れられることと似たようなものです。自分を受け入れてもらうために、自分と向き合い葛藤することで、自分を鍛えられると思いますよ。
 
私は高校の頃、ある女性に一目惚れしてね、振り向いてもらうにはどうしようかと思った時、音楽・スポーツの才能も顔もスタイルも抜群な加山雄三が目に入ったんですよ。自分が彼に勝てるものを見つけられれば、自分の存在が見出せるのではないかと思って大変悩みましたね。そうして「人間性を磨こう」という結論に至って、大学ではそのおかげで割とモテましたよ。

モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜
▲〈さかじい〉の愛称で親しまれている酒井先生。現在も変わらず、学生から非常に人気のある先生です。

自分のアイデンティティについて悩むのは今も昔も変わりません。私が学生だった頃は、大学の進学率が十数%だった時代です。でもその中にいる私は、何をしようという具体的な目標はなく「東京に行きたい」「大学に行けばどうにかなるだろう」という漠然とした考えで進学しました。大学へ入った理由が分からなくなり、大学を辞めてしまう人も沢山見ました。ただ、今より当時の学生の方がアイデンティティについて悩んでいたと思います。
 
傷ついたり、悩んだりせずにそこを通過してしまったら、後々とても大変なことになると思います。そこが上手くいかなければ、社会に適応できない人間になってしまいます。深く考えずに妥協して社会に出たものの、就職してすぐに挫折をして会社を辞めてしまうのはそこに起因しているのでしょう。なかには、自分で自分が分からなくなり、傷つき、心が壊れてしまう人も多くいます。それだけ大変な期間を学生は通るのです。自分が何者で何をすべきなのかを考えることは、いわゆる私達に課せられた宿題のようなものですからね。傷ついても恐れずに悩むことが大事です(了)
(取材・文/漆畑友紀)


■このお話をもっと深く掘り下げたいひとへ酒井英行先生からのオススメ本!
・村上春樹.『ノルウェイの森』. 講談社. 2004.
・福島章.『 青年期の心』.講談社. 1992





同じカテゴリー(特集)の記事画像
新しい音楽の創り方〜静岡時代24号『静岡時代の、音楽論』より
今開かれる、静岡パンドラの箱!〜静岡時代12号『静岡魔界探訪』より
静岡時代を残す人【静岡県立中央図書館】〜静岡時代創刊10年記念号「静岡時代ベスト版」
禅問答のように難解な物語の紡ぎ方〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
文学が先か?音楽が先か?「音」から育てる物語〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」〜
使われるかもしれない“いつか”のためにアーカイブする〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
同じカテゴリー(特集)の記事
 新しい音楽の創り方〜静岡時代24号『静岡時代の、音楽論』より (2016-06-14 00:00)
 今開かれる、静岡パンドラの箱!〜静岡時代12号『静岡魔界探訪』より (2016-06-07 00:00)
 静岡時代を残す人【静岡県立中央図書館】〜静岡時代創刊10年記念号「静岡時代ベスト版」 (2016-06-03 18:00)
 禅問答のように難解な物語の紡ぎ方〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より (2016-05-31 18:00)
 文学が先か?音楽が先か?「音」から育てる物語〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」〜 (2016-05-24 18:00)
 使われるかもしれない“いつか”のためにアーカイブする〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より (2016-05-17 18:26)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
モラトリアムって一体なんだ? 〜モラトリアムの男脳、女脳(1)〜
    コメント(0)