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消えてしまった風景は心の中からも消えてしまうの?【2/3】

連続特集:「景色は変わるけど〜街の景色のうつろいから考える、静岡と街とぼくと、過去現在未来考」(6)
毎日通るあの道に新しい建物が建った……。でも、昔ここには何があったんだっけ? 風景が変わってしまうと、よく知っていたはずのものでも、もう過去の姿をよく思い出せない……ってよくありませんか? そんな消えてしまった風景はどこへ行ってしまうの?(人と人の間にもありそうだけど)しかし、わたしたちは「思い出」のなかに生きている。

←前記事「消えてしまった風景は心の中からも消えてしまうの?【1/3】」
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消えてしまった風景は心の中からも消えてしまうの?【2/3】


——そんなに昔の記憶でも思い出せるものなんですね。

(高橋先生)それは、人の年齢による記憶の違いもあるかもしれません。お年寄りは昔のことのほうがよく思い出せるのです。私の祖母も昔、戦争の時のことをしゃべってくれました。当時祖母は興津に住んでいたのですが、戦艦からの砲弾が家に飛んで来て照明を貫き、真っ暗闇の中で僕の父親が泣き叫んでいた話を事細かに聞かせてくれました。
 
 人は、言語や技能などを習得しなければならない若い頃のほうが、記憶力がよいものです。一方で、年をとってくると覚えなければならないことは一般的には少なくなります。お年寄り(に限らず大人全般)は、今まで自分が覚えて来たことを『運用』することで生きていくことが重要になるので、新しいことを記憶することが最重要ではないのです。これは、人類史的に遡ると、より明白になります。江戸時代までの農耕社会など、以前の社会は、昨今の社会に比べ技術や価値観・思想の変化が少なく、昔に覚えた『正しいこと』は、死ぬまで『正しいこと』であることが多かったために、年を取ってからも新しいことを覚える必要が少なかったのです。現在のような、年をとってからも記憶力が必要な状況が異常と言えるかもしれません。それゆえに昔のことを思い出して、今も戦争時代にタイムスリップしているようなおばあちゃんを見ると、その人の記憶は個人の枠でもあり、無理に壊してはいけないものなのではないかなとも思ってしまいます。お年寄りが持っている記憶だけで生きていける社会も作ってあげることが必要なのではないかと。
 
 それに、お年寄りの『記憶』や『思い出』はとても貴重です。今はもうその人のしか知らない、これから先の時代では得ることのできない情報がたくさんあると思います。ですから、今のうちにたくさん聞いておくことも大切です。なんといっても、昔にはもう戻れませんからね。

——そうですね。個人の「記憶」や「思い出」は、大事ですよね。それがその人にとっての「風景」とも言えますし。ただ、「思い出」って思い出す時に脚色されていたりして、正確ではなかったりしませんか?

(高橋先生)そうなんですよ。人の記憶って言うのは、写真みたいにきちっと正確に固まったものではなくて『思い出す』ときにある程度作り出して生成されるものです。思い出を作り出す過程で次第に歪められていきます。だから何回も『思い出す』度に歪められるので『思い出』が変わっていくことは自然なことなのです。逆説的ですが、『思い出』を歪めないためにはむやみに『思い出さない』ことが一番なのかもしれません。

 それに人の記憶ということを別にしても、1つの出来事を正確に記述するということも大変困難なことです。その例としてこういう話があります。ある大使館でテロリストの立てこもり事件が起き、特殊部隊が突入して事件を解決したのですが、犯人、被害者、突入者の立場によって、あるいは同じ立場の人の間でも、それぞれ証言している内容が全然一致しなかったんです。事件のあとすぐに証言しても、人それぞれが見て感じた『出来事』というものは一致しない。事件の公式記録というのも、内容の違う証言を記録する人たちが編纂してつくりあげたもので完璧とは言えず。当事者同士を話合わせても、そのときの平均的な妥協点に落ち着くしかないものなのです。
 
 日常においても、同じ映画を見た人たちに、ストーリーを説明してもらうと、人それぞれで違うことを言ってきたりもしますし。他人の「思い出」も歪んでいるので、しょうがないですよね。

■→つづく「消えてしまった風景は心の中からも消えてしまうの?【3/3】」


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消えてしまった風景は心の中からも消えてしまうの?【2/3】
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