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「恋」とは本当は「孤悲」なのです……万葉時代の歌人に学ぶ、景色の見方・捉え方【2/2】

連続特集:「景色は変わるけど〜街の景色のうつろいから考える、静岡と街とぼくと、過去現在未来考」(5)
昔学校の授業で少しだけ知ってる「万葉集」。そのなかにはたくさん景色を歌に詠んだ作品があった。
もし、いま私たちと同じ風景を見ていたとしても、彼らには違うものに見えるのだろうか。
1000年の時空を超えて考えるひとと風景の関わり。
万葉集に詳しい遠州国学セミナー代表山下さんに伺いました。

←前記事「万葉時代の歌人に学ぶ、景色の見方・捉え方【1/2】」
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1001491.html

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「恋」とは本当は「孤悲」なのです……万葉時代の歌人に学ぶ、景色の見方・捉え方【2/2】

学生:一つの文字にそこまで想いを込めてしまえるんですね。日常の景色にどれだけ関心を持ち、意味を見いだすかが重要になるようです。そうした感性を磨くには意識して景色に臨まなくてはならないと思うのですが、どのように日常の景色に向きあえば良いのでしょう。

山下:いま目に映る景色が記憶に残らないのは人々が「殺風景」を見ているからだと思います。「殺風景」とは自分の心が空っぽな状態の景色を言います。「殺風景」を生きた景色にする為には、それぞれが目の前を流れていく景色になにかしらの意味を持たせ、「心の風景」として切り取ることが重要になります。しかし、「心の風景」として切り取るには、それを切り取る力が必要です。心の風景を切り取る力をつけるためには、対象に興味を持ち、求め、印象深くみつめることです。そして更に、本を読んで知識を得たり、空や海、そして花・草・木の変化を観察したりして、日常の小さなことに気づき、深く感動するセンサーを発達させなければなりません。「風流」という言葉は風を感じることであり、建物が無くなった時に感じる喪失感は建物が無くなって吹いた風を感じているんです。喪失したときに風を感じるのではなく、日々の変化を感じられるようになれたら良いですね。一人の時間を持ち、金属音ではなく水の音、風の音、虫の音など自然の音に耳を傾けてみてください。変化に気付くポイントが増えると、景色は途端に印象を強くするはずです。

学生:ただ消えて行く時間を惜しむのではなく、単純にいまの景色に愛情をもつことが大切なのかと先生のお話を聞いていて思いました。対象を知ろうとする気持ちがあり、そこで得た知識と日常の景色が繋がることにより、感動し、感性を育てるんですね。

「恋」とは本当は「孤悲」なのです……万葉時代の歌人に学ぶ、景色の見方・捉え方【2/2】

山下:知識を求めて本を読むことは大切で、「求読」するということは学校の勉強だけではなく自主的に学ぶことです。勉強と聞くとうんざりしてしまうかもしれませんが、本来勉強は受験のためではなく人生を豊かにするためにあるんです。私は日本史の教師だったのですが、日本史の授業は年表を見てるだけじゃつまらないでしょ?だから授業外の時間に歴史の裏事情を教える時間を設けたんです。それが生徒に一番人気でした。日本史と国語を勉強してみると楽しいですよ。長い歴史の中で先人達の深い知識と知恵、そこに展開される人間たちのドラマに、深い感動を得られるはずです。風流、音、道楽に触れること、それにより人の感性は磨かれていきます。今は、「道楽者」という言葉は良い意味では使われませんが、本来の「道楽」は仏教用語で「悟りをひらいた楽しみ」という意味なんですよ。

学生:今思い返してみれば私は学校の勉強が嫌で嫌で、意図的に知識を付けることを避けていました。しかし、学校とは別の場ですら学ぶことを避けてしまうのは何か違うように思えてきました。映画や小説を読むように、勉強をし、歴史の延長に今があるという事実を再認識することで景色がリアリティを帯びて行く気がします。山下さんありがとうございました。
(取材・執筆/鈴木喜子・常葉大学)

●山下智之さん
遠州国学セミナー代表
社会保険センター浜松で「文学・歴史の風景」「源氏物語」や、
浜松中日文化センターで「広がる万葉ロマン」「歴史に輝く女性たち」、
また浜松市内公民館で「万葉集」の講師を務め、和歌にも造詣が深い。
浜松市内で国学を広めるべく様々な活動をされている。


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