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静岡時代 シズオカガクセイ的新聞

時事

「時事」カテゴリーの『はじめに』。

「時事」カテゴリーの『はじめに』。

 このページを制作しているわたしたち「静岡時代」編集部は基本的に静岡県の大学生・大学院生です。わたしたち世代はちょうどバブルが崩壊したころ・もしくはその少しあとに生まれました。そして、その後ずっと日本の社会全体が方向性を見失い迷走を続ける時代を育ってきました。

 いや、厳密には、「迷走してる」とか言っているのは外国のひとたちや、わたしたちの上の世代のひとたちで、彼らのそんな声を聞きながら、「ああ、たしかにそうだよな、迷走してるよな」なんて思ってるに過ぎないのですけど。だって、こういう世の中しかわたしたち知らないのですから、迷走してるとかどうとか較べようがない。

 グローバル? 国民国家論? うーん???
 TPP? 原発? いじめ問題? 領土? ももクロ???

 では、そんな世の中で、わたしたちはどう生きればいいか。親世代に聞いてもわかりません。実際、なんかピンとこないように思いません? 間怠っこしいことを言っていますが、「たしかに世の中迷走してるよな」って思うのってそういうときじゃないでしょうか。たぶん、世代どうこうじゃなくて、みんなわかんないんだなぁと思います。

 つまりこれから自分たちが生きて行く方向性は、なんとか自分たちの自力でクリエイトして行かなくてはならないということです。まあ、よく言われてることだけど、本当にお手本がない。

 さらに付け加えておくと、たぶん、わたしたちだけ(わたしたち世代だけ)がなんとか生きて行ける専有的なやり方のみをひねり出してもたぶんだめっぽいということ……。

 わりと近い将来、わたしたちも家庭をもって子供を育てて……となる可能性が高いわけですけど、子供世代になんか聞かれて「やぁ、なんもないね」とかなるのもちょっとアレです……(まあ、こういう言い方すると、そもそもこういう問題って何かクリアカットな答えがあるってものでもないので、語弊あるのですけど)。

 ただ、とりあえず、数十年後の連中にわたしたちの世代を指差されて「あの世代は馬鹿だったね」と言われ、ついでに「あいつらこそが本当の終わりの始まりだった」……とか戦犯扱いされるのも癪です。

 また、我々、ちょうど不運にも人口も減り始めたタイミングで大学生やってて、ただでさえ「ゆとりナントカ」とかスケープゴートになってるので、たぶんほんとにうまくやらないとかなりの高確率で後の世に「黒歴史化」されそうです。

 だから、いまのうちからなんとかしておきたいと、少なくとも大学で高等教育やってる身分として思うのです。だらだらと文字数を重ねていますが、そのような青臭い危機感と、青臭い使命感からこのカテゴリーを企画しました。

 じゃあ、どうしようか。後の世から、我々世代が、「奴らこそが廃塵と帰した『リアル北斗の拳』のような世界に新たな社会ビジョンを描いた中興の祖的世代であった」……とまでは言われなくとも、とりあえず、後の世から我々が「馬鹿」と呼ばれないためには。
 そのためには、世界の大きな歴史のなかで、いまわたしたちがどのような状況・地点にいるかをマッピングするところからはじめなくちゃと思います。

 そう「歴史」。

 過去にどのような人々の営みや思惑、そこから生じるできごとの関わりと連なりとがあって、現在の世界が出来上がっているのだろうかということ。そしてわたし自身もその関係性のただなかにいるのだということときちんと向き合うことが肝心だと思うのです。

 歴史と世界のなりたちというのは、わたしたちを囲む「檻」です。そして、わたしたちは世界のなかで生きている以上、その「檻」から決して出ることができない。ただ、「檻」の正体や形をすこしでも知っていれば(全容を知ることは不可能でしょう。だって、わたしたちは「檻」のなかにいる)、そのなかでうまく立ち回ったり、さらには「檻」自体をどうにかすることも(もしかしたら)できるかもしれません。

 じゃあ、その「歴史」はどのくらいの射程で考えればいいのでしょう。おそらく10年単位じゃ全然だめです。たぶん、500年、せめて1000年射程が必要でしょう。

 ひとつの例として、とりあえず、この2013年初頭現在、第2次安倍政権が発足しました。そして、「アベノミクス」という言葉がなんだか今年の流行語にでもなりそうな勢いですけど、この流れを1955年の吉田茂体制と重ねて見る人も少なくありませんよね。たしかに民主党の崩壊からの自民勝利の過程などを見ると、吉田内閣となりたちが類似していると見ることもできます。

 しかし、こういった動きは日本史全体を見て行くと安倍・吉田内閣だけではなくて、勘ぐってみれば類似したパターンがいくつも見られるようです。もしかしたら、あなたの近くの人間関係の権力構造の変遷のなかにも見つかるかもしれない(どうも社会という巨大な舞台はひとりの役者の属人的なキャラクターでどうこうできるものではなさそうです。役割があってそれを演じるべく割り振られるひとがいる。そして物語は繰り返される)。

 たぶん、その"根底"にあるのは、わたしたち日本人の作り上げた社会全体の醸し出す、無意識的で集合的なある「欲望の動き」なんじゃないかと思います。

 そうした無意識の欲望の動きが折り重なって紡がれてきたのが日本のわたしたちが生きる社会の物語で、そして、日本の物語は世界全体の欲望の動きとその物語のなかのある位置(地政学的には極東の島国の)に基礎づけられていて、さらにその日本のなかに静岡の街があって、わたしもあなたもそのなかに生きていて、わたしたちひとりひとりがその集合的な、社会の無意識の欲望をつくり、それが最終的に世界を成している。

 ではその「欲望」とはなんなのか。どのような成分でできているのか、成り立ちはどうなっているのか。その正体をリバースエンジニアリングすべく静岡の大学人を中心とした多方面の識者にインタビューを重ねて掘り下げて行こうというのがこのコーナーの主な狙いです。

 なんだ「時事」じゃないじゃん! とお思いの方、「時事」とは先ほども述べたように、おそらく社会全体の欲望の折り重なったものの関係性の表層に現れる"ある姿"です。いま、新聞でニュースで扱われているあんなことやこんなことは、「本当はどういうことなのか」、それを歴史という広大な射程で捉え直し、そのなかでの静岡の街のあり方や行く末も考えようという。だから、わたしたちの媒体名は『静岡時代』なのであり、このページの副題は『シズオカガクセイ的新聞』なのです。

 なお、このページは、静岡県庁と合同で運営しているFacebookページ「静岡未来」(http://www.facebook.com/shizuoka.mirai)のコンセプトの中枢を基礎づけるものとなるとも考えています。Facebookページ「静岡未来」は、その名の通り、静岡の未来をどうするか考える、そのための知恵を集約する場所を目指しています。

 また、なんだかみんな、わたしたち大学生も含め、目の前のことばっかりしか目が行かなくなってしまっている、——たぶんいつの世も変わらない——最近の現実に対しての自戒も含めて。

——静岡時代編集部

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