静岡の街から
2012年9月、清水、原風景を歩いて【2/3】
〜季刊清水編集部豊田久留巳さんと行く〜
『静岡時代』10月号編集長が、現在の清水銀座を歩いて思うこと【2/3】
←前記事「10月号編集長が、現在の清水銀座を歩いて思うこと【1/3】」http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1004153.html

アーケードを抜けるとそこから先も商店街が続いていて、そこは駅前銀座ではなく清水銀座という名前で呼ばれている。一応分けられているが、二つの商店街は清水駅前銀座という一つの商店街としてつながっている。清水銀座は、駅前銀座以上に閑散としていた。シャッターが閉まりっきりのお店も、駅前銀座と比べて多いようだ。しかし不思議なことに、それでも清水銀座のほうが、かつてからの趣をいつも携えているように思えた。例えば、駅前銀座は、(見方によっては「よくも悪くも」なのかもしれないが)外から新しい店がどんどん入ってきていて、その姿を絶えず変化させている。市場とは内外の人が行き交い、ものとお金が交換される場である。とするならば、市場からはじまった駅前銀座は、言わば、その姿を変化させて行くこと自体がひとつの存在理由なのかもしれない。

一方で、清水銀座は変わらずにあり続けることを宿命として自らに課している気がする。そういえば、表通りに飲み屋など、いわゆる夜のお店が一切ないのも興味深い。清水銀座の先には稲荷神社というが神社がある。この神社の門前として清水銀座ははじまっているのではないか。繁華街としての機能と同時に、信仰の場としての慎み深さのようなものも感じるのである。
「清水銀座でお店をやっている人は、私たちぐらいの世代になると、知り合いがやっているということが多いんですよ」。豊田さんは、途中でお友達が経営されている制服屋さんを紹介してくれた。中にはその店の三代目である濱崎さんがいて、少し自己紹介をした後清水銀座の話になった。昔は清水駅が反対方向にあったとか、銀座ができた当初から残っている店がまだたくさんあることとか。その中で、七夕祭りの話になった。
「清水の七夕祭りは、区からお金をもらわず、清水銀座の人間が自分たちのお金で開催しているんです」と、濱崎さんは教えてくれた。「それならますます大変じゃないですか。お祭りのあの綺麗な飾りつけを作るのでさえ、すごく手間がかかっているように見えます」 僕はそう返したのだが
「そうですね。でも大変な時は同じ清水銀座の人が手伝ってくれますから、毎年やっていけます。それもこれも、昔からある行事を守りたい一心なんですね」と濱崎さんは笑って答えた。
「昔と比べたらエネルギッシュじゃないかもしれません。でも住んでいる人同士がつながっている。それが清水銀座であり、清水の良さでもあると思うんです」
※2012年9月、清水、原風景を歩いて【3/3】につづく
『静岡時代』10月号編集長が、現在の清水銀座を歩いて思うこと【2/3】
←前記事「10月号編集長が、現在の清水銀座を歩いて思うこと【1/3】」http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1004153.html

アーケードを抜けるとそこから先も商店街が続いていて、そこは駅前銀座ではなく清水銀座という名前で呼ばれている。一応分けられているが、二つの商店街は清水駅前銀座という一つの商店街としてつながっている。清水銀座は、駅前銀座以上に閑散としていた。シャッターが閉まりっきりのお店も、駅前銀座と比べて多いようだ。しかし不思議なことに、それでも清水銀座のほうが、かつてからの趣をいつも携えているように思えた。例えば、駅前銀座は、(見方によっては「よくも悪くも」なのかもしれないが)外から新しい店がどんどん入ってきていて、その姿を絶えず変化させている。市場とは内外の人が行き交い、ものとお金が交換される場である。とするならば、市場からはじまった駅前銀座は、言わば、その姿を変化させて行くこと自体がひとつの存在理由なのかもしれない。

一方で、清水銀座は変わらずにあり続けることを宿命として自らに課している気がする。そういえば、表通りに飲み屋など、いわゆる夜のお店が一切ないのも興味深い。清水銀座の先には稲荷神社というが神社がある。この神社の門前として清水銀座ははじまっているのではないか。繁華街としての機能と同時に、信仰の場としての慎み深さのようなものも感じるのである。
「清水銀座でお店をやっている人は、私たちぐらいの世代になると、知り合いがやっているということが多いんですよ」。豊田さんは、途中でお友達が経営されている制服屋さんを紹介してくれた。中にはその店の三代目である濱崎さんがいて、少し自己紹介をした後清水銀座の話になった。昔は清水駅が反対方向にあったとか、銀座ができた当初から残っている店がまだたくさんあることとか。その中で、七夕祭りの話になった。
「清水の七夕祭りは、区からお金をもらわず、清水銀座の人間が自分たちのお金で開催しているんです」と、濱崎さんは教えてくれた。「それならますます大変じゃないですか。お祭りのあの綺麗な飾りつけを作るのでさえ、すごく手間がかかっているように見えます」 僕はそう返したのだが
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※2012年9月、清水、原風景を歩いて【3/3】につづく
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JR三島駅〜日本大学三島キャンパス〜極私的、古地図研究会
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Updated:2013年04月15日 静岡の街から