静岡の地元情報が集まる口コミサイト:eしずおか

静岡時代 シズオカガクセイ的新聞

静岡の街から

2012年9月、清水、原風景を歩いて【1/3】

〜季刊清水編集部豊田久留巳さんと行く〜
『静岡時代』10月号編集長が、現在の清水銀座を歩いて思うこと

2012年9月、清水、原風景を歩いて【1/3】

 清水駅前に建設途中の「ベイタワー清水」は20階建ての高層マンションだ。清水駅前の風景は、静岡市と旧清水市の合併に端を発する再開発事業で、いま大きく変わろうとしている。この辺りでは一番背の高い建物で、一新されてきらきらとまぶしい清水駅前のシンボルとしては、まさにふさわしい建物になるに違いないと思う。あそこからなら、向かいの駅前銀座のアーケードの屋根の上も、その先の清水銀座も巴川も、さらに先の景色まで見渡せるのだろう。だけど僕にとっての清水のシンボルは清水駅前銀座で、なぜなら20年を過ごした風景とはその周辺だけだからなのだ。
 清水駅前銀座や巴川周辺を原風景としているのは、僕だけでなく、豊田さんもまたそうであった。豊田さんは『季刊清水』というローカル雑誌の編集者で、僕と同じ高校を卒業している大先輩であり、僕よりもずっと清水に詳しい方だ。今日はその原風景を僕と一緒に歩いてくださる。
 
 僕と豊田さんは駅前銀座の中に入った。駅前銀座は清水一大きな商店街で、空を覆う巨大なアーケードや白を基調とした石畳が特徴的だ。歩いている途中豊田さんは、僕が知っているずっと以前の駅前銀座のことを話してくれた。そもそも駅前銀座の始まりとは戦後のやみ市であり、高度経済成長期に入ると、それは商店街として目覚ましい発展を遂げた。アーケード型の商店街も石畳の道も当時は珍しく、たくさんの専門店が整然と並んでいたそうだ。「お歳暮のような、いいものを買おうってなると必ず駅前銀座に行きました」と、豊田さんは懐かしそうに語った。そして七夕祭りになると、色鮮やかな飾りつけを見に大勢の人が訪れる。それは今も変わらず続く、清水ならではの伝統だ。
 でも駅前銀座は、これからも清水を代表する場所であり続けられるのだろうかと、時々不安に感じる。今の駅前銀座は人通りが少なく、専門店も減ってきている。人はより便利でたくさんの種類の商品があるコンビニやショッピングモールへと、買い物をする場所を移していってしまったようだった。ここからは清水らしさというものがどんどん抜けていっている……そんな気がする。

2012年9月、清水、原風景を歩いて【1/3】

 だけど、そもそも清水らしさとは何なのだろう。僕は何の根拠があってそんな風に思うのだろう。ただ一つ言えることは、豊田さんの話を伺うにつけても、昔のほうが目に見える形の「清水らしさ」がたくさんあったのではないかということだ。電車にはかつて港まで続く路線があったし、小さな製材工場があちこちにあったときは、巴川には材木が筏に組まれ流されていた。それも今はもうない。

※2012年9月、原風景を歩いて【2/3】につづく


同じカテゴリー(静岡の街から)の記事画像
もう一度歩きたくなる、「エッシャーの世界」〜静岡市美術館〜
働く私の静岡時代〜株式会社 サンロフト〜
JR三島駅〜日本大学三島キャンパス〜極私的、古地図研究会
働く私の静岡時代〜株式会社江﨑新聞店〜
働く私の静岡時代〜まちと人をつなぐ情報流通企業 株式会社しずおかオンライン〜
働く私の静岡時代〜まちと人をつなぐ情報流通企業 株式会社しずおかオンライン〜
同じカテゴリー(静岡の街から)の記事
 もう一度歩きたくなる、「エッシャーの世界」〜静岡市美術館〜 (2016-08-25 00:00)
 働く私の静岡時代〜株式会社 サンロフト〜 (2016-06-01 00:00)
 JR三島駅〜日本大学三島キャンパス〜極私的、古地図研究会 (2016-05-26 00:00)
 働く私の静岡時代〜株式会社江﨑新聞店〜 (2016-05-13 00:00)
 働く私の静岡時代〜まちと人をつなぐ情報流通企業 株式会社しずおかオンライン〜 (2016-04-07 15:01)
 働く私の静岡時代〜まちと人をつなぐ情報流通企業 株式会社しずおかオンライン〜 (2016-04-07 15:00)


上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
削除
2012年9月、清水、原風景を歩いて【1/3】
    コメント(0)