静岡の街から
焼津は「屋号のまち」

静岡時代×静岡県庁FB『静岡未来』の2013年1月28日の記事
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=212445298880489&set=a.179280012197018.18201.174268652698154&type=1
静岡県の県章についてのおはなしでした。いやぁ、あらためてナイスデザインでありますね。
県章につづき、きょうはもう少し身近なシンボルマークのおはなし。
静岡の水産業を支えている焼津の駅前の商店街を行くと、地域の若手水産業者が発信している「屋号」を使ったプロジェクトが実施されていました。
その名も「屋号暖簾ストリート」。
江戸時代発祥で、店や一家の特徴を基につけられる屋号。
海に恵まれた焼津では江戸時代より鰹やマグロの漁業で町を発展させ、にぎわいをみせました。
でもあまりに店が多くてどこに何があるかわからない!なんていうとき、ぱっと見てすぐに「あのお店だ」という目印があるとすごくわかりやすいですよね。
焼津には400を超える企業が今でも屋号を利用しているそうで、地元住民の方々にとっても食卓に馴染みのあるお店のマークなのではないかと思います。
県章と同様、それぞれのマークに開業者の意志がこめられているようで力強さを感じますし、なにより太く書かれた一字が潔くてとてもカッコいい。
戦争の影響でまぐろ漁に壊滅的打撃を受け、1954年には「第五福竜丸」のビキニ環礁での水爆という痛ましい過去を持つ焼津の漁業
( http://www.facebook.com/shizuoka.mirai/timeline/story?ut=32&wstart=-499795200&wend=-497116801&hash=181410488650637&pagefilter=3&ustart=1 )。
しかし、1956年には水揚げ高日本一とうたわれ、インドまぐろは焼津の看板となりました。
そんな漁業の成功と、しかしその裏にある忘れられない過去をもった焼津の商店街では、長く引き継がれてきた屋号の暖簾が今も揺れています。
その一枚一枚が、静岡水産業の土台をつくってきた象徴なんですね。
「屋号のまち やいづ プロジェクト」の一環で行われている「屋号暖簾ストリート」。
以下のURLから、屋号の歴史やまめ知識を知ることもできます。
・「屋号のまち やいづ プロジェクト」
http://www.facebook.com/Yaizu85project
・「屋号暖簾ストリート」
http://www.yaizu-shinkin.co.jp/archive/01/019D7MKY01U79O.asp
( Facebookページ「静岡未来」→ https://www.facebook.com/photo.php?fbid=213440258780993&set=a.179280012197018.18201.174268652698154&type=1&theater )
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Updated:2013年02月14日 静岡の街から