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特集

新しい音楽の創り方〜静岡時代24号『静岡時代の、音楽論』より

今も移ろい行く世の中の音楽のなかで、ここ静岡で生まれた音楽があります。それが「ボーカロイド」です。今回は、「ボーカロイドの父」と呼ばれるヤマハ株式会社 研究開発センターの剣持秀紀さんのインタビューをお送りします。その時々の静岡の風景や人、空気を切り取りながら生まれた音楽は、一体どんな形をしているのか。静岡県内の大学生が聞いてみました。



◉剣持 秀紀(けんもち ひでき)さん
ヤマハ株式会社 研究開発センター 音声グループマネージャー。
クラシックを聴くときは、必ずレコードで聴くこだわりを持つ。レコードを拭いてセットするのが、真剣に聴くための儀式なのだそう。また、清水フィルハーモニー管弦楽団にも所属し、ヴァイオリン、ヴィオラを演奏されています。

◉平野 志織(ひらの しおり)
静岡時代24号『静岡時代の、音楽論』(2011年秋号)で編集長を務める。静岡県立大学国際関係学部4年(取材当時)。



■音楽には、変わらないところと、変わるところがある

ーー初音ミクで有名な「ボーカロイド」はここ数年でよく耳にしますが、実際どのようなものなんでしょうか?

(剣持さん)「ボーカロイド」というのはヤマハが開発した歌声合成の技術で、「初音ミク」は歌声を合成する元になる音のライブラリ(歌声の断片を集めたもの)と、そのキャラクターです。ボーカロイドのムーブメントは従来型の商業音楽とは違います。これの誕生によって、アマチュアのクリエーターがつくった楽曲を、歌手さえも介在せずにみんなが直接楽しめるようになりました。また、今までは一方通行だったものが、聞いた側もまた別の形での創作活動に参加できるようになりました。

たとえば、今では「コメントアート」という言葉もあるくらい、コメントも創作活動の一つと言えなくもないですね。楽器だけではなく、音楽の作られ方、消費のされ方についてもまったく新しくなってきているんじゃないかなと思います。

でも、音楽には変わらないところと変わるところがあると思います。変わらないところというのは、たとえばクラシックなんかが当てはまると思います。もちろんクラシックの中にも変わる部分はあると思いますが、逆に変わるところの最たるものがボーカロイドだと思います。


ーー確かに音楽のあり方が今の時代にとても合っているように感じます。ところで、ボーカロイドといのは機械音と人の歌声との中間のものなのでしょうか?

(剣持さん)いえ、中間というよりもまったく別の新しいものだと考えた方がいいですね。ボーカロイドは声に似た音が出てくる新しい楽器なんですよ。

ーー楽器、なんですね。

(剣持さん)はい、そうです。これを使うことで、今までできなかったことができるようになってきて、たとえば歌詞の面で人だったら恥ずかしくて歌えないようなものや、メロディーを見てもなかなか歌いづらいものを歌えるようになります。それは音楽を伝える構造が変わったことによって、できるようになったということなんですよね。歴史上振り返ると、新しい楽器が出てくるときには必ず新しい音楽が出てきます。逆に新しい音楽というものはたいてい新しい楽器によって作り出されている場合が多いと思います。

クラシックの世界でいうと、バロック音楽から古典派への転換期にハープシコード(チェンバロ)からピアノになり、打鍵の強さによって強弱表現ができるようになって、新しい表現が生まれました。最近では1980年頃にYMOの用いたシンセサイザーによってテクノの要素が取り込まれ、世界の音楽シーンを変えましたよね。




■機械でつくるからといって、感情がないわけではない

ーー歴史的に見ても楽器と音楽は切り離せないんですね。しかし、その楽器としてのボーカロイドが出す音は感情を持たないはずなのに人間の歌声のように聞こえます。どうしてでしょうか?

(剣持さん)歌声は、機械でつくるからといって感情がないわけではないんですよ。感情は十分に込められています。どうやって込めるのかというと、作り手が歌い方などを直接操作して感情を与えることができます。そしてその通り歌ってくれると。もし、人間の歌手であればそこでその歌手なりの解釈が入って、いくら曲を作った側がディレクションしたとしても、そこにまた新しいオリジナリティが生まれてくるんですが、ボーカロイドは曲を作る側が、出てくることを100%自分の思い通りになるまで作ることができます。そういう風に考えると、作り手が感情の込め方を直接コントロールできるのは理想の状態とも言えるんじゃないかなと思います。とはいっても、歌手が歌うのとは違った新しい解釈ができるということなので、どちらが良い悪いというわけではないんですけどね。

ーー曲を作る人はどのように感情を込めているんですか?

(剣持さん)合成バラメーターというものがあって、それでピッチ(音の高さ)などを細かく上げ下げすることによって表情付けを行います。人間の歌は音符があったからと言ってそのまま歌っているわけじゃないんですよ。音符の示す音程とは全然外れたところで動いていたりする場合もあるんです。だからこのように操作することによって表情を付けて歌うようになります。これが実は感情を込めていることそのものです。魂を入れ込んでいくということです。

曲を作る側はここでどれだけ作り込みをするか、あるいは歌詞そのものも勝負するところだと思うので、どこまで凝るかだと思います。ただし、注意しなければならないのは、演ずる側が感情をあまり込めすぎてもいけないということですね。ボーカロイドはその意味で理想的かなとも思います。それは楽器を演奏する側もそうで、奏者が音楽そのものに感動していてはだめなんですよ。お客さんが感動しなくてはいけないので。演ずる側はどこかで冷静でなくてはいけないと思います。


ーー曲を作るだけでなく、それを演奏する奏者としての意識も大切。奥深いです。それでは最後に、剣持さんにとって音楽とはどのような存在ですか?

(剣持さん)一生かかって付き合っていかなきゃいけない対象だと思います。克服するとかいう意味ではなくて。同じ「聴く」のであれば、流し聞きとかよりも一つの曲にどれだけ集中するかですかね。またボーカロイドについては、実際合成した音と歌声を聴くと人間の歌声はなんと細かな感情といいますが、表情の微妙なコントロールができているのだと愕然とすることがあります。もっと開発を頑張らなきゃならないなという気持ちになりますね(了)


▲2011/10/01発行:静岡時代24号巻頭特集『静岡時代の、音楽論』

今開かれる、静岡パンドラの箱!〜静岡時代12号『静岡魔界探訪』より

「静岡」というと、穏やかで、食べ物を美味しく、のんびりした「平和」なイメージが多い中、果たして本当にそうなのか。マス・コミュニケーション論の専門であり、大学在学中から日本の山岳地帯を放浪した経験をもつ赤尾晃一先生(静岡大学情報学部 准教授)と、静岡の「魔界」な一面を問い直しました。



◉赤尾 晃一(あかお こういち)先生
静岡大学 情報学部准教授。
1958年、滋賀県生まれ。同志社大学在学中から日本の山岳地帯を放浪。一方、SF同人で創作・評論活動も行う。口裂け女・UFOなどの「都市伝説」伝播過程も研究。先行はマス・コミュニケーション論。
http://redtail2730.hamazo.tv

◉鈴木 智子(すずき ともこ)
静岡時代12号巻頭特集「静岡魔界探訪」編集長。


■今開かれる、静岡パンドラの箱!

ーー先生、静岡は魔界といってもいいのでしょうか?

(赤尾先生)うん。やっぱ地理的条件が特殊だよね。中国的な話だけど、北・東・西と三方が山で、真ん中にパワースポットの湖があって、それが川に流れて海に注ぐ。そして三方にはそれぞれ門を作って。こういう地が風水的に最もいいとされているのね。実は魔界の侵入を防ぐのが風水なんだよね。魔界とこの世を隔離するために、風水があるんだよ。

で、昔からよく言われるのは、静岡市がまさに風水なんだよね。三方が山に囲まれてるでしょ。安倍川とかも流れてて、で、まあ湖ではないんだけど、駿府城、これを湖にしたのね、徳川家康は。で、そっから駿河湾に注ぐみたいな形。駿府城建てた頃って、戦国末期なんで、あんまり防御とか城の戦闘機能を考えなくてよかったんだよね。だから風水に基づいて建てられたっていう。


ーーへえ……じゃあ西に位置する大崩も役割が?

(赤尾先生)そう。大崩だと昔はここで完全に遮断されてるわけじゃん。で、東に何をおくのかっていうと、久能山東照宮。静岡の街って、ホントきちっと風水学的に計算されてつくられてるんだよ。ということは、いかに周りに魔界が潜んでいるかっていうこと(笑)。あと、今度は風水ではなくて、大きな結界の話になるんだけど。静岡には浜名湖、富士山、伊豆半島、南アルプスがあって、で、駿河湾があって、いわゆるそれらが他の地域からの結界になってるでしょ?

ーー結界……(笑)

(赤尾先生)結界というのは、魔界とこの世を暫定的に隔てるものなんだよ。暫定的に(笑)。で、事情を知らない人の侵入を防ぐ。だから静岡っていう土地は陸路でなかなか入りにくいんだよ。

ーー地震がきて崩れると、交通面で非常に困るとよく聞くんですが。

(赤尾先生)そうそう、だから一番のネックっていうのがあってですね、由比。ここに国一・東名・東海道線、ホントに集中してるわけね。もしあそこで崖崩れが起こってこれが全部使えなくなると、はっきり言って日本の東西交通って中央道迂回しなきゃなんで。

ーー終わりですね。

(赤尾先生)そう。ホントは由比の手前の清水・興津あたりで迂回路をつくんなきゃなんだけど、つくられてない。あと富士川もそうなんだよ。第二のネックは。どっちがやられてもそれだけでだめなんだよね。浜名湖、ここもそうなんだよね、全部集中してるからね。だけどまあ、浜名湖は多少迂回路があるんで。由比町は一点集中なんで、ここがもしやられたら、東京からの支援物資はヘリコプター以外搬送不可能。で、浜名湖も切れたら、愛知県からのも(笑)。どっかの交通を遮断してしまえば孤立してしまうってのは、魔界の特徴なんだよね。


△当巻頭特集内では、静岡時代が独自に調査・編集した「魔界静岡入門マップ」も掲載。

■実録! センセイと魔の遭遇

ーーところで、先生は静岡の激ヤバスポットって何かご存知ですか?

(赤尾先生)僕、フリーの新聞記者の時にオウム真理教の取材してて、上九一色村にすごい魔を感じて、今はもうないけど、資金が続かなくなって途中まで建てて放置されているホテルとか、結構魔のスポット(笑)。足場は全部残ってて、今にも工事に関わっている人がやってきそうな雰囲気でそのまま残ってたのね。あと96年以降、ガリバー王国っていうのを作って、でも……。

ーー終わっちゃいましたね。

(赤尾先生)そう。で、巨大ガリバーがそこに放置されててさ(笑)。あとは、厳密に言えば静岡ではないんだけど、青木ヶ原樹海。アレやっぱ魔界ですよ。青木ヶ原樹海って自動車通ってるのね。樹海を突っ切って。それで、どっか自殺地帯はないのかって思って行ったことあるんだよね。確かにね、コンパス途中できかなくなる。すいこまれるよ、実際ね。ま、でも富士山一帯っていっぱいあるよね。

ーーやっぱり富士山が強いんですか?

(赤尾先生)富士山強いし、あと西では遠州灘海岸が強いんですよ。駿河湾て黒潮が沖合10キロくらいに流れてるから流れが速くて灘岸流がすごいんだけど、特に遠州灘は灘岸流だらけ。灘岸流って一旦海底に引きずり込まれるんだよ。まあ、いわゆる殺人海岸。ま、駿河湾自体が魔の海抜だよ。一見豊かそうに見えるんだけど。

ーー殺人海岸……(笑)。実はおとなしくないんですね。

(赤尾先生)全然おとなしくないよね。

ーーあと私、何年かに一回、水が溜まる池があるって聞いたんですけど。

(赤尾先生)それは多分、水窪町の杉林のとこだと思うんだけど。別に何年かに一回ってわけではないと思うんだけど、結局雨が多い時、だけでもないんだけど、要するに地下水流があって、森林に蓄えられている地下水の水位が上昇すると池になるって単純な。当然、窪地で普段は水がないんだけど、ま、湿地帯ではあるんだよね、ぬかるんでる。見に行きましたよ、だからそれは(笑)。

ーーさすがです!どうですか?雰囲気とかは。

(赤尾先生)ああ、それはやっぱり、まあ霊的ではあるよね。森の中の窪地って、もともとすごい霊的なんですよ。

ーーなるほど。伊豆の方はどうですか?

(赤尾先生)伊豆は結構あるよ。伊豆はね、日本的怨念の世界。やっぱね、旧天城トンネルってヤバいっすよ。天城山って標高800mちょいあって、まあ寒い。僕、全然霊的体質じゃないもんでよくわかんないんだけど、単に寒かったって思ってるんだけど、トンネルの真ん中ぐらいに行ったらさあ、歯がカチカチ言い出して(笑)。体が震えてくるのね、それでなんか後ろ見るのが怖くなって……。いわゆるダッシュ。

ーーダッシュ……(笑)

(赤尾先生)ダッシュしたら今度舌噛みそうになって、しょうがないから首から提げてたタオル噛んで、舌噛み切らないようにさ(笑)



■UFOよ、政権奪取の日はいつかくるのか!?

ーー先生、伊豆はUFOの目撃情報が多いと聞いたんですが……。

(赤尾先生)伊豆っていうか富士山。UFO研究会に言わせると、UFOは地球にどんな危機が訪れているのかを偵察に来るんだって。そう考えると、日本の地殻の動きを偵察するなら、プレートが集まってる伊豆・富士山の地殻を見るのが一番じゃん。

ーーなるほど。先生はUFO見たことありますか?

(赤尾先生)あるといえばあるし、ないといえばない。友達は、あれがUFOだって言うけど、僕には見えなかった。

ーーあ、それは信じてないから?

(赤尾先生)多分そうだと思う。4人で、山でUFO呼んだんだよ(笑)

ーーえ?どういう感じで呼んだんですか?

(赤尾先生)その時は4人で丸くなって、いろいろと呪文を唱えると……

ーー呪文ですか?その呪文はどこから……。

(赤尾先生)や、だから『ムー』(※出版社:学研プラス)だよ。UFO呼ぶ呪文。で、俺以外の3人は見えたって。あれがUFOだって言うわけ。でも、俺には指差されても星にしか見えなかったね。むっちゃ真面目な話していい?

ーーあ、はい……。

(赤尾先生)むっちゃ真面目な話すると、UFOって、あれは集団幻視。4人で行ってるのに僕だけ見えないように、他の3人はUFO信じてるわけだよ。すると幻が見えるわけだよ。存在を疑ってる人間には絶対見えない。で、70年代、80年代はものすごく目撃情報が多かったわけだよ。それはそんだけUFO信じてるから。当時はUFOがいてくれる、宇宙の中で生命のある星は地球だけではない、仲間がいるんだmと信じてた時代だった。でも平成に変わってあんまりUFO信じなくなって、かわりに何を信じてるかっていうと、前世だとか守護霊だとか。

ーーあ、流行りの……?

(赤尾先生)そう。オーラの泉。今ほとんどみんな信じてるわけよ。私はなんとかの生まれ変わり、とかさ(笑)。そっちにいったんだよ、スピリチュアルな方向が。なので、今UFOはオカルティズムの中ではマイナー。当時は科学がまだ信じられたんだよね。UFOみたいな未確認飛行物体ってのが。科学の延長線上にありうるって信じられてた。今はそんな科学の輝かしい未来って、なかなか信じないじゃない。だから得体のしれない霊の世界という風に、中性的な要素に戻ってしまった。科学的なオカルティズムから、伝統的なオカルティズムに転機っていうね。

ーーあるんですね、時代の流れで見方が変わっちゃうって。

■魔界が映し出す、我々の姿とは……?

ーー先生にとって、魔界ってどんなイメージですか?

(赤尾先生)僕、イメージって、魔界に対してないんだよね。要するに魔界って、さっきも言ったように別個に存在するんじゃなくて、この世と地続きにあると思うんで。魔界って、この世に生きてる我々が、怯えてる姿だと思うんだよね。魔界ってのは、明確に存在するんじゃなくて、例えば、あの人こないだ死んだよね、多分恨み残してるよね、恨み残してるから何か災いが、我々に降りかかってくるよね。という恐れ?で、それが結局、魔界・魔というものを作り出してしまっている。だからこれも、言ったように、集団幻視なんだよね。だと僕は思ってる。

ーーでは、先生のお考えでは、表裏ではないですけど、この世とそういう関係であるということですね。確かに人が考えたりしなければ生まれないですよね。

(赤尾先生)そうそう。できないできない。しかも、みんなが考えなければできないんだよね。特定の一人が、魔界が見えるって言っても、誰も同意してくれる人がいなかったら、何言ってんだ、って。でも、そういうのありうるかもねって賛同者がいたら、そうだよねって。いかにも信じやすい作り話を、作る人がいるわけじゃん(笑)。その、さっきの工事途中で放り出されたホテルとかじゃないけど、ああいうところに絶対怨霊がいるぜって、閉鎖病棟とか、いっぱい簡明な物語つくれるわけじゃん。で、それを信じる人、結構いるよね。

ーーもう魔界って言葉が、普通にあるものだと定着してるってことは、人類はほぼすべての人が、というか、

(赤尾先生)ま、だいたい信じてるんじゃない?(笑)



◎[あわせて読みたい!]静岡時代30号「静岡、異界の扉」シリーズ



(1)・静岡に潜む「異界」とは?〜静岡大学人文社会科学部 平野雅彦先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1170601.html

(2)古の「魔」物語〜静岡文化芸術大学文化政策学部 美濃部京子先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1205150.html

(3)異界の狭間を知り尽くす、古書店店主の異界巡礼〜あべの古書店店主 鈴木大治さん
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1063474.html

(4)自分と他人の間に潜む、心理的な「魔」の世界〜静岡英和学院大学人間社会学部 日比優子先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1205171.html

静岡時代を残す人【静岡県立中央図書館】〜静岡時代創刊10年記念号「静岡時代ベスト版」

静岡時代夏号(vol.43):特別企画[大学人と地域で静岡時代の10年を語ろう(2)]
書き手の思考や、当時の社会の空気感を知れる本を残す人たちがいる。
残されることで私たちが未来の人たちに出来ることって何だろうか?



静岡県立中央図書館
並木通りを抜けた緑の中、静岡県立大学のすぐ隣に建っている。前身は江戸幕府旧蔵資料などを基にして作られた静岡県立葵文庫。ちなみに今回お話してくれた企画振興課の酒井恵梨奈さんは児童書好きなんだとか。
◉今月の書庫開放日 6月16 日(木)

森下 華菜(もりした かな)
静岡大学3年。静岡時代43号「静岡時代ベスト版」編集長。

加藤 佑里子(かとう ゆりこ)
静岡大学2年。静岡時代43号「静岡時代ベスト版」副編集長。本記事取材・執筆者。

■研究目的に使われる?地域資料としての静岡時代

ーー静岡県立中央図書館では『静岡時代』を地域資料として永年保存してくださっています。その理由について教えてください。
 
(酒井さん)静岡県に限らず、地域資料というものは大手出版社の刊行物とは違い、誰かが保存しなければなくなってしまうことが多いです。特に一般の家庭だと古くなったものは捨ててしまいますよね。ですが、地域の情報はインターネットで検索してもなかなか詳しくは見つからないんです。
 
私たちが静岡県に関わる資料や県内団体・機関の刊行物などを収集保存しているのは、そうした地域の情報を求める人が後で読めるようにするためです。古いものだと明治時代以前の資料もあって、珍しい資料も豊富ですので研究目的の方が多く来ます。地域資料はその土地の大切な財産なんですよ。
 
『静岡時代』も、静岡県内の大学生が作っているため保存しています。今、私たちが自由に手に取って読んでいる『静岡時代』が、100年後、200年後まで残って、誰かが読んでいると考えると、すごいことですよね。今は閲覧室で『静岡時代』のバックナンバーを読むことができます。




ーー確かに!現在はどのくらいの量の地域資料を収蔵されているのですか?  

(酒井さん)図書館に収蔵される資料はどんどん増えていき、止まるところがありません。雑誌でいうと、当館の閲覧室には約1500タイトル、書庫も含めると約9500タイトルあり、全国的に見ても大変多いです。というのも、閲覧室や書庫がいっぱいになった場合、誰かに譲ったり処分したりする図書館もありますが、当館では収集したものは永年保存しています。本棚にこれ以上、収めきれなくなった時に元々館長室だった部屋を書庫にしたりして部屋を増やしたこともあるんですよ。今も旧館長室は書庫のままです。ちなみに、保存している資料の中でも古いものは、閲覧室の貴重書展示コーナーで見ることができます。年10回ほど入れ替えを行っているのでチェックしてみてください。また、約80万冊の一般図書と約9500タイトルの雑誌が所蔵される書庫は普段は入れないのですが、書庫開放が開催されている時は誰でも自由に閲覧することができます(要事前予約)。

ーー100年後の人達に「静岡時代、面白い」「後世に残したい」と思ってもらえるために考えたいこととは?
 
(酒井さん)図書館で講座を開いていて、大学の先生に講師をしていただくのですが、それがとてもいい講義なんです。大学生って、これを毎日授業で聞けるんだなと思うとすごく羨ましい。好奇心をくすぐるような知性が身近にある。『静岡時代』はそのような「大学生」が作っていることが強みだと思うので、変に社会人の真似をせずに大学生ならではの冊子を作ってほしいなと思います(了)







◉静岡時代38号バックナンバー
(1)どうして人は本を読むの?〜流通学:静岡県立大学/小二田 誠二先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1528477.html
[本記事関連](2)100年後も残る本の条件とは?〜歴史学:静岡県立中央図書館/渡辺 勝さん
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1533243.html
(3)読みたい本との出会い方〜文学:時代舎古書店/田村 直美・和典さん
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1541122.html
(4)「自分のものさし」を知るための本のたしなみ方〜人文学:静岡市立高校/原田 まや子さん
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1548590.html




禅問答のように難解な物語の紡ぎ方〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

よくも悪くも私たちは物語に縛られている。自分を取り巻く物語を自分自身の手で動かせたなら今より格段に生きやすくなるはずだ。SPAC 芸術総監督の宮城聰さんに聞いた、「人生」という明るくも、時に乾いた物語。私たちが生きる物語の本質は“自己の不在” との対峙だった。




宮城 聰さん(みやぎ さとし)[写真:中央]
SPAC- 静岡県舞台芸術センター芸術総監督。演出家。
ゴールデンウィークに行われる「ふじのくに野外芸術フェスタ」では駿府城公園にて上演される『イナバとナバホの白兎』を演出。

河田 弥歩(かわた みづほ)[写真:右]
静岡大学人文社会科学部4年。本企画編集長。

加藤 佑里子(かとう ゆりこ)[写真:左]
静岡大学人文社会科学部2年。本記事執筆者。



■人は自分が何者であるかを知りたい生き物

ーー自分がどのような物語の中にいて、どんな役割を持っていて、今どんな展開をしているのか。現状を物語のように把握するにはどうしたらいいでしょうか?

(宮城さん)把握するためのヒントが演劇だと思う。舞台の演技というのは、役者の実人生とは違うわけだから、嘘であることが分かる。そのうえであからさまな演技を見ることで、自分が普段無意識にしている演技を鏡のように見ることができる。どうしてかというと、自分というのは最も近くにいる他人だから。自分の顔は鏡がないと見られないことと同じで、近くにいすぎて見えない。自分が今何をしているのかを知るには一度自分と出会う必要があるんだけど、過去の自分なら少しだけ距離があいているから見える。

それでも、過去の自分を見るには鏡が必要なんだ。比喩的な言い方をすると、過去の自分というのは自分の肩よりも少し後ろにいる。だから今の自分自身よりは少し見えやすいけど、演劇や小説、映画とかを鏡として前にたてるとよりよく見える。さらに言えば、過去の自分というのはそれが何十年前の自分でも、ごく最近の自分でもみんな同じ距離にいる。


ーー過去は全て同じ距離なんですか?
 
(宮城さん)たとえば、昨日の僕も大学生時代の僕もすぐ後ろにいて、いつもくっついてきている。過去の自分はたくさんいるけれど、そいつらはみんな一つにまとまって自分のごく近くにいるんだ。結局すべての自分は一緒に歩いている他人で、人生の同伴者だと僕は思ってる。
 
それなら、その他人をみている自分は何だろうと思うのだけど、ぼくが思うに自分というのは無色透明な瓶のようなもので、それ自体には個性がなく
て味も匂いもない。中に入っているものに味があって、匂いがある。でも中に入っているものは瓶にとっては他者なんだ。
 
でも僕らは、瓶であるにもかかわらず自分は何者かでありたいと思っている。何者でもないと認めることは寂しくて、耐えられないから。だから何かのふりをする。そうすると、人からみえている自分と人からみえていない本当の自分があると思ってしまう。だけどそれは幻なんだ。






■芸術や物語の中で出会う「自分もどき」という名の他者

ーー私たちは自分の物語を生きるのと同時に、誰かの物語の中にも登場していると思っていたのですが、自分の物語においても自分という存在は何者でもないのですね。
 
(宮城さん)人生という僕らの物語は、布をとってしまった傘の骨だけがカラカラ回っているかのように思えてくる。カラカラ回って、だんだん死に近づいていくもので、非常に無残で乾いたプロセスなんだ。それに気がつく人は本当に少数で、ほとんどの人が「自分は何者かである」と思っているうちに死んでいく。別の言い方をすると、「自分」という本の扉を開けることができたのにそれを途中で断念した、妥協した、諦めたという感覚があると、本を開けると実は白紙だという認識に至らない。

つまり、自分は表紙だけで、中に書いてあるのは借りてきたもの、他人なんだ。それに気づくには一度開けてみなければいけないけど、何らかの理由で多くの場合、途中で放棄される。本の中身を見ていないからそこにはオリジナルの何かがあると思い込んでいる。実際はほとんどの人がそういう状態なんじゃないかと思う。


ーーつまりオリジナルの物語がそこにあるわけではなくて、様々な小説や漫画などのスクラップみたいなものがあるということでしょうか?
 
(宮城さん)大まかに言えばそういうこと。なにかを演じるときは、演じ方を思いつくのではなくて、人を見てまねるんだ。人間は優れた学習能力をもっているので他人の行動に対する周囲の反応を収集している。無意識のうちにいろいろなものをみて、知って、まねている。まねていることの嘘くささを微かに感じているからこそ、人からみえない自分があるような気がしてしまう。だから、本当の自分はないと気が付くためには何か一つの事をやりたいだけやってみるといい。そうすると、結局自分は何もないということに気がつく。
 
でも一つの事をやりたいだけやるということはなかなかできなくて、それは、自分が何者でもないことに微かにが付いているからかもしれない。気が付かなければ、まだ自分は何者かではあるという幻想が残るからね。人間は一方では無色透明であることに気付いていて、執着をなくして人生から何とか辛さを取り除きたいと思っているけれど、同時に自分は何者でもないということにたどり着いたら虚しさに耐えられないのではないかとも思っている。だからその手前でやめてしまう。







■人生という物語において本当の自分の不在に気付く

ーー瓶の中身は場所が変わると、新しいものが入って入れ替わると思うのですが、入ってくるものは自分の周りの環境に影響されるのでしょうか?
 
(宮城さん)そうだね。例えば、『ハムレット』をみて、「僕もハムレットだ」と思ったとしたら、それは「自分もどき」との出会いなんだよね。そういう自分もどきに出会えば出会うほど、自分がそのものではないと認識できるようになる。要は自分もどきは他者なんだよね。あまり出会わずに過ごしていると、本当の自分がどこかにあるのではないかという幻想が残ってしまう。なるべく瓶の中にたくさんの自分もどきを入れてみるといい。自分が何者でもないと気づくことは、アーティストとしては真理に近づいていると思うし、自分自身、前よりは物事の真理に少し近づいたように感じる。だけど、近づいたことで世界から離れてしまって、世の中の人と隙間ができてしまったようにも思う。だから、このむなしさを感じる人はアーティストや宗教家などのごく少数でよくて、すべての人が自分もどきは他者だとは気が付かなくてもいいかな。


△昨年、上演された『ハムレット』の1シーン。古典悲劇も宮城さんのレパートリーのひとつです。[写真撮影:三浦興一] 

一方で、自分もどきと直面できずに、本当の自分があるという思いを肥大化させてしまって、誰も自分のことをわかってくれないという勘違いの孤独を感じている人が多い。これは明らかに勘違いであるから、そういう人は、本当の自分はないと知ることが少しでも救いになると思う。つまり、周囲の環境をかえてみたり、旅をしてみたり、いろんな芸術・物語にふれてみたりして自分もどきとたくさん会うといい。すばらしい芸術をみれば、どこかに自分が映る。
(取材・文/加藤佑里子)




合わせて読みたい!【静岡時代の未来予測】バックナンバー

2016/05/09
なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
人はみんな、意識的にも無意識的にも物語に縛られて生きています。昨日の出来事も、見た夢も、誰かに説明をしようとした時、それは「物語」という形でしか伝えられません。言語学を専門とする静岡大学人文社会科学部の堀博文先生は「そもそもある程度、複雑な世の中でないと物語は発達しない」と言います。


2016/05/17
使われるかもしれない“いつか”のためにアーカイブする〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
人が考え、伝えるとき、それは物語の構造を孕んでいます。つまり、物語には何らかのメッセージが含まれているということです。古今東西、世の中には物語があふれているけれど、その土地土地に残された古い物語には、私たちが生きやすくなるような手がかりが隠されているのかもしれません。


2016/05/24
文学が先か?音楽が先か?「音」から育てる物語〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」〜
物語の形は文学だけではない。例えば、音楽も音やフレーズに物語性を感じられる。文学も音楽も言語(音素)から発せられる点は同じだが、両者の物語性に関連性はあるのだろうか?日本文学の専門家 渡邊英理先生と指揮者 山下篤さんによる物語の構成要素徹底分析!

文学が先か?音楽が先か?「音」から育てる物語〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」〜

物語の形は文学だけではない。例えば、音楽も音やフレーズに物語性を感じられる。文学も音楽も言語(音素)から発せられる点は同じだが、両者の物語性に関連性はあるのだろうか?日本文学の専門家 渡邊英理先生と指揮者 山下篤さんによる物語の構成要素徹底分析!

■長年、文学と音楽は手を携え物語を担ってきた

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」から始まる平家物語の有名な冒頭がある。琵琶法師に代表される中世の語り物は語りながらもまずメロディーや節があり、楽器で伴奏を奏でるという音楽性を持っていた。近代以前は文学と音楽は融合していたのだ。

「日本の物語の豊穣なる一時期を支えたのは音楽と文学が融合したものではなかったか」と文学を専門とする渡邊英理先生は語る。今でこそ活版印刷技術の発展により活字メディアが浸透しているが、物語の起源は「声(音)」だ。人間の声帯が振動することで音が出る、言葉でもあり、原初的な楽器でもあった。文学と音楽は一つの未分化な状態で誕生し、そして「物語」を開花させたのだ。

文学と音楽が分かれたのは明治以降。西洋化と近代化によって、二つの間には、明確な境界線が引かれ、両者が融合し、大勢でライヴの様な形で享受する語り物のようなジャンルはマイナー化されてしまう事になる。かつては同じものから生まれ、分かれた文学と音楽が持つ物語の本質に迫った。(取材・文/寺島美夏)






▷文学の物語




◉渡邊 英理(わたなべ えり)先生
静岡大学人文社会科学部言語文化学科日本アジア言語文化コース准教授。
近現代日本語文学を専門とし、中上健次、崎山多美などの作品から地域をめぐる思想文学について研究している。
・もっと深く掘り下げたいひとへ渡邊英理先生がオススメする音楽性を感じる文学!『 不死』(『熊野集』より)中上健次


■文学とは言葉によって表現される時間芸術

Q1:文学と音楽の物語の構造の関係性
 
音楽と同じく文学もまた時間芸術です。言語は、時間の流れの中に置いてこそ表現可能なメディア。音素を順番に並べ組み合わせる事で初めて言葉となる。しかもその意味は、読み手が関わってはじめて発生します。読み手がいない時、文字は、白紙の上の黒い染みに過ぎない。物質としての文字に意味という息吹を与えるのが、読み手です。読み手は、単に物語を享受する消費者ではなく再創造者であり、物語の時間を動かす存在だと言えます。音楽に比べ文学は受け手の役割が大きいですね。作者が託した一つの意味だけではなく読み手自身が意味を作り出す。だからこそ、途中で時間を空けて物語を分割しても楽しむことができるのだと思います。


▲写真左:本企画編集長/河田弥歩(静岡大学4年) 写真右:執筆者/寺田美夏(静岡大学2年)

Q2:文学の物語の構成要素とは
 
先ほど述べた音素や文中の句読点に加え、受容のメディアそれ自体、つまり本の装丁や活字のフォント、頁の紙なども広い意味での構成要素だと言えます。また、読み手が意味を発生させるという点で、読書行為や読書空間もそうだ、と言えるかもしれません。
 
文学には複数の物語で構成される連作が存在します。中上健次の短編連作集のうち、『熊野集』は初めから連作として発表され、他方『化粧』は事後的に連作集にまとめられました。成立の経緯とは別に、いずれの連作集も、集すべてで大きな物語を構成しているようにも読めるし、また、個々の物語を独立したものとして楽しむこともできます。その解釈は読み手に委ねられます。言葉は、常に過去の引用によって成立します。そのため、新たに生み出され物語を、過去の物語に付け加えられた新しい一頁や一章として読むこともできますね。言葉で時間や空間を越えうる文学だからこそ可能なことだと思います。




Q3:物語としての文学の力
 
物語には両義的な力があると思います。文学の物語は、つねに読者を必要とし、読み手の読みたい、という欲望をつねに喚起しつづける必要があります。そのため物語は面白くあることが宿命づけられている。
 
昔話に超人や絶世の美女、富者や貧者、社会的弱者がしばしば登場しますが、これらは標準という基準から隔たりを作り、物語を面白くする仕掛けです。普通とは異なるものをよびこむ力は差別的です。その一方、物語には、虐げられた人々が現実では為し得ないことを成就させ、叶わぬ夢をすくい上げる働きもあります。いまある世界を唯一のものとしない想像力を、物語は手渡すのです(了)






▷音楽の物語




◉山下 篤(やました あつし)さん
上海音楽学院で管弦楽指揮と打楽器を学ぶ。中国、タイで打楽器奏者、指揮者として活躍した。
現在日本国内を始めアジアや北米で指揮者、打楽器奏者、解説者として活躍中。
・もっと深く掘り下げたいひとへ山下篤さんがオススメする物語性を感じる音楽!『 ニーベルングの指輪』ワーグナー


■楽章の間の無音も全体の物語を構成する

Q1:文学と音楽の物語の構造の関係性
 
音楽と文学は場面転換の構造が全く異なると思います。音楽は時間の流れと共に音符が流れていくため時間の芸術と言われています。例えば同じ交響曲ならば、作曲家は一楽章から四楽章まで連続して聴かれることを前提として作曲しています。一つの楽章の間の無音まで計算して曲が作られているので、CDなどで一楽章ごと切って聞いてしまうと物語性が伝わりにくく、感動が薄れてしまいます。でも文学は第一章と第二章を読むまでの間に何日も時間が空いても感動しますよね。音楽は途中で時間が空くと興ざめしてしまいますが、文学はそうではない。それは構造に大きな違いがあるからだと思います。



Q2:音楽の物語の構成要素とは
 
例えば第一楽章から第四楽章まで全く違う曲調であっても、それら全てで一つの物語を構成しています。曲にも起承転結があり、それは全て作曲家の手で計算されています。さらにその音楽が発せられる場所に大勢の観客がいるという、張りつめた空気感も合わさり、観客に心情の変化を与える。観客も構成要素の一つです。逆に音楽そのものが物語の構成要素になる場合もあります。作曲家のワーグナーは登場人物一人一人にテーマ曲をつけ、その音楽が流れるだけでその人物が観客の頭に浮かぶように刷り込む事で音楽を物語の構成要素として使いました。音楽全体で物語を表すこともあれば音楽が物語の一部にもなる、様々な形で物語を表現する事ができるのが音楽だと思います。



Q3:物語としての音楽の力
 
例えば高い音は緊張を表し、低い音は安堵を表す。長調は安心感を与え、短調は不安感を与える。それは原始人時代から培われてきたDNAによるものです。音楽は音の高低、和音、速さなどの組み合わせによって聴衆の中のDNAを上手に操作しています。だから音楽は人々に安らぎを与えたりリラックスさせることもできれば、緊張感を与えたり、拷問に使うことだってできるような大きな力を持っています。音楽はとても文化的なもののように思われがちですが、実は人間の本能に働きかけるとても動物的なものなんですよ(了)



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静岡県のすべての大学で配布中!(ほか、高校で配布・設置)



合わせて読みたい!【静岡時代の未来予測】バックナンバー

2016/05/09
なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
人はみんな、意識的にも無意識的にも物語に縛られて生きています。昨日の出来事も、見た夢も、誰かに説明をしようとした時、それは「物語」という形でしか伝えられません。言語学を専門とする静岡大学人文社会科学部の堀博文先生は「そもそもある程度、複雑な世の中でないと物語は発達しない」と言います。


2016/05/17
使われるかもしれない“いつか”のためにアーカイブする〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より
人が考え、伝えるとき、それは物語の構造を孕んでいます。つまり、物語には何らかのメッセージが含まれているということです。古今東西、世の中には物語があふれているけれど、その土地土地に残された古い物語には、私たちが生きやすくなるような手がかりが隠されているのかもしれません。

▷▷シリーズ第4回「人はどのように物語を紡いでいくのか」は、5/31(火)更新します!

使われるかもしれない“いつか”のためにアーカイブする〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

人が考え、伝えるとき、それは物語の構造を孕んでいます。つまり、物語には何らかのメッセージが含まれているということです。古今東西、世の中には物語があふれているけれど、その土地土地に残された古い物語には、私たちが生きやすくなるような手がかりが隠されているのかもしれません。しかし、伝承文学を専門とする静岡文化芸術大学文化政策学部の二本松康宏先生は「そもそも物語における教訓は後付けだ」と言います。静岡県の古い物語の持つメッセージやその本質とは何なのでしょうか?



■二本松 康宏(にほんまつ やすひろ)先生〈写真:左〉
静岡文化芸術大学文化政策学部国際文化学科准教授。
「伝承文学と風景の中の文化」をテーマに実地調査を重視した研究を行う。年に一度、大久野島でうさぎに囲まれ休暇を過ごす大のうさぎ好き。

■河田 弥歩(かわた みづほ)〈写真:右奥〉
静岡大学 人文社会科学部3年。本企画編集長。

■田中 楓(たなか かえで)〈写真:右手前〉
静岡大学 人文社会科学部2年。


昔話、伝説、世間話……。物語は重なり合っている


ーー昔話や伝説とも言われますが、そもそも「古い物語」の定義を教えて下さい。
 
(二本松先生)まず、「昔話」と「伝説」の違いから説明しましょう。昔話は物語の時代と場所を特定しません。だから「むかしむかし、あるところに」と語り出されます。伝説は時代や場所を特定します。なので、その伝説が伝えられる地域では、伝説が歴史的事実と混同されて伝えられる傾向があります。昔話は、どちらかというとおばあちゃんが囲炉裏の端で子どもたちに語って聞かせるイメージですね。だから女性によって家系的に伝承される傾向があります。伝説はその土地を舞台として土地に根付いて伝えられます。なので伝承者の多くは物知りのおじいさんで、「土地の古老」などと呼ばれる人たちです。一概には言えませんけどね。
 
また、昔話や伝説の他に「世間話」と呼ばれる分類もあります。それほど昔の話ではなく、近頃の出来事や自らの体験談、人から聞いた話などです。近年では「都市伝説」などとも言われます。学校の怪談なんかも世間話に属するものですね。神々の祭祀の由来を説く「神話」というのも一つの分類です。しかし、こうした分類はあくまでも学術上のことです。実際の語り手はそんな分類をいちいち意識してはいません。伝説的な昔話とか、神話と伝説の中間とか、いろいろありますよ。


ーーどういうことでしょうか?
 
(二本松先生)では例を一つ挙げてみましょう。私たちが刊行した『水窪のむかしばなし』という書籍に「上村の蛇婿入り」という話があります。若い娘のもとに正体不明の美しい男が夜毎に通ってくる。やがて娘は妊娠する。男の正体を突き止めるため男の衣の裾に糸を通した針を刺しておく。糸をたどってゆくと男の正体はなんと蛇だった」という話です。この話の元ネタは『古事記』にあり、三輪の大物主の神(蛇身)と活玉依姫の神婚の神話です。それが「むかしむかし、あるところに」となって昔話になりました。ところが、水窪では、蛇が通ったという娘の家系も蛇が沈んでいったという池も「そこだよ」と特定して伝わっています。こうなると分類は伝説です。神話だとか伝説だとか昔話だとか、そんな線引きはけっこう曖昧なんですよ。


▲『水窪のむかしばなし』上田沙来・内田ゆうき・野津彩綾・二本松康宏・福島愛生・山本理紗子.三弥井書店.2015




どんな意図で物語が生まれたか。背景は今も足元に残されている


ーー同じ物語でもジャンルが違うと読み取れる事も変わってきますか?
 
(二本松先生)昔話というと、とかく何かの教訓や説教みたいなことが付いてきますが、そんなのは実は後付けですよ。もとからあったのはせいぜい「正直」と「親切」くらいなものです。昔話から何かを学ぼうとか、教訓を読み解こうなんて言っていると昔話の本質を見失ってしまいます。

ーーなるほど。では、先生が考える昔話の本質って何ですか?
 
(二本松先生)昔話の本質はたった一つ、「人の世の祝福」です。だから昔話は「めでたしめでたし」で終わるのです。いつかきっと幸せがやってくる。そう信じて、昔話は語り継がれるのです。
 
伝説の本質は「いまを生きる」ことです。いま、自分たちが暮らしている土地はどのようにして成り立ったのか?あの岩はなぜあそこにあるのか?あの山はなぜてっぺんが割れているのか?あの池はどうして……。いま自分たちが暮らす社会のはじまりを知りたい、伝えたいという思いが伝説を語り継ぎます。
 
例えば、浜松には「遠州大念仏」という郷土芸能があります。その由来は静大浜松キャンパスの近くの犀が崖(さいががけ)にあります。三方ヶ原の合戦に敗れた徳川家康が浜松城に逃げ込む。追撃してくる武田勢に対して、家康は犀が崖に白い布を掛け渡して橋に偽装する。武田勢は白い布を雪がかかった橋だと勘違いして次々と崖下に転落する。崖に落ちて亡くなった武田の兵たちの亡霊を慰めるために遠州大念仏が始まったと伝えられています。

しかし、これはあくまでも伝説です。ぜったいに歴史的事実ではありません。だいたい布の橋なんて一人が乗ったらそれだけで落ちますよ。それに気付かず次から次へと崖下に落ちてゆく武田軍なんて(笑)。そんな画期的な勝ち方をしたら家康は自慢げにあちこちに手紙を送ったりしますよ。でも残念ながらそういう記録を私は見たことがありません。
 


しかし、だから布橋伝説は歴史的事実ではない!!と一蹴してしまうのではありません。むしろ、そういう伝説がなぜ生成したのか?私の興味はそこにあります。それを風景のなかに探り、伝説の基層を読み解くのです。
 
第一に「犀が崖」という地名です。犀が崖の「犀」は「境」という意味です。この世とあの世の境にある「賽の河原」の「賽」も同じですね。境に祀られる神様は「塞ノ神」、サイノカミともサエノカミとも言います。つまり「犀が崖」はこの世とあの世の境なのです。第二に犀が崖は館山寺街道と姫街道の分岐点=辻にあります。辻も異界との境界と考えられました。第三には犀が崖が浜松城の北西にあたるという点。北西=戌亥は霊魂が去来する方位として畏れられていました。

また、「布橋」にも意味があります。富山の立山修験(芦峅寺)では白い布の橋を渡ることで疑似的な死と再生を体験する「布橋灌頂」という儀式があります。岐阜の白山修験(石徹白の白山中居権現)などにも布橋がありました。ひょっとしたら浜松の犀が崖でもかつて布橋灌頂のような疑死再生の儀礼が行われていたのかもしれません。そういう風景の中で犀が崖の布橋伝説が生成し、亡霊鎮魂の大念仏の由来譚として語り継がれてきたのです。



使われるかもしれない「いつか」のためにアーカイブする


ーー物語から読み取れる土地との関係性は奥深いですね。ただ、こうした背景を探るのは大変な調査になりそうです。
 
(二本松先生)そうですね。例えていうならば、星の光を集めて太陽に挑むような作業です。着想から論文の完成までにはだいたい五年くらいかかります。長いのにると10年以上も調査を繰り返してようやく論文にできたものもあります。私が探しているのは「史実を超えた真実」です。
 
しかし、こんな研究は大学生には勧められません。学生はもっと短い期間で一定の成果を出さなければなりませんからね。まして四年生からの就活に備えるには、3年生の1年間が研究の正念場です。そこで、私のゼミでは浜松市の最奥部の水窪というところで昔話の採録調査に取り組んでいます。お年寄りたちに語っていただいた昔話や伝説を、語りのまま、方言のままに録音・記録し、解説も付けて書籍として出版しています。昨年は『水窪のむかしばなし』という書籍を出版しました。私とゼミの学生たちとの共著です。一般の書店でもAmazon.comでも買えます。今年も次の書籍(『みさくぼの民話』)が刊行される予定です。
 
語りのまま、方言のままに記録すること。学術的な解説を添えること。それを一般向けの書籍として刊行すること。そうすることで、私たちの書籍はアナログ・アーカイブとなります。「学問をもって世に問う」「学術をもって社会に貢献する」それが大学生の本質ではないでしょうか(了)
[取材・文/田中楓]






▶︎もっと深く掘り下げたい人へ、二本松先生からのオススメの本
・半村良『戸隠隠伝説』.講談社文庫.1980.

▷このお話をもっと深く学びたい人へこの授業!
・「文学」(静岡文化芸術大学文化政策学部専門科目/二本松康宏先生)



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▷▷シリーズ第3回「音楽と文学は言語から生まれた二人姉妹?」は、5/24(火)更新します!

なぜ人は物語るのか?〜静岡時代42号「静岡時代の未来予測」より

人はみんな、意識的にも無意識的にも物語に縛られて生きています。昨日の出来事も、見た夢も、誰かに説明をしようとした時、それは「物語」という形でしか伝えられません。言語学を専門とする静岡大学人文社会科学部の堀博文先生は「そもそもある程度、複雑な世の中でないと物語は発達しない」と言います。物語の起源をたどる中で見えてきたものは、自分と他者、異なる集団との区別、体系化された秩序でした。今回は、物語に映る、世界や自分自身を覗く物語特集をお送りします!



■堀 博文(ほり ひろふみ)先生〈写真;中央〉
静岡大学 人文社会科学部 言語文化学科 教授。
専門は言語学。現在の研究テーマは話者の減少により消滅が危惧されているハイダ語。現地調査も大切にしており、しばしばカナダでフィールドワークを行っている。

■河田 弥歩(かわた みづほ)〈写真:左〉
静岡大学 人文社会科学部3年。本企画編集長。

■川合 里香(かわい りか)〈写真:左〉
静岡大学 農学部3年。本企画副編集長。



始まりの物語は歴史書だった


ーー話す、聞く、読む。私たちは人生において様々な形で物語と関わっています。物語の起源はなんでしょうか?

(堀先生)物語の一つとして神話が挙げられますが、そもそもなぜ神話は生まれたのか、なぜ神話が口伝で古くから伝えられてきているのか。神話というのは往々にして役割や機能が決められています。例えば、世界や民族の誕生、社会制度の成り立ちなど、いろいろなものを誰かに向けて説明するために神話は生まれました。一般的には「創生神話」を呼ばれているものですね。

私はカナダ先住民のハイダ族の言語の記述研究をしているのですが、ハイダ族にも口頭伝承による神話があります。ハイダ族のいる地域、世界がどのようにして生じてきたのかを神話によって説明し、神話を通じて自分たちのアイデンティティを知る一つの手がかかりとしています。物語にはエンターテインメント的な要素もありますが、それ以上に「自分たちの先祖がどのように生まれてきたのか」などを子孫に伝えるための一種の媒体として生まれたと言えます。ハイダ族の社会は二つの半族と、さらに細かな血族に分かれています。先祖や世界の成り立ちを伝える神話は、本来、その集団ごとに管理されていて、他の集団が許可なく共有していいものではありませんでした。


ーー誰かに向けて生み出された神話の「誰か」は外側に向けられていなかったんですか?

(堀先生)少なくとも自分たちの集団の次の世代に向けて語り継ぐという意味が強かったと思います。集団が管理しているものには神話の他に、紋章(トーテムポールにみるクレスト)があります。ある集団を象徴する紋章を他集団が使ってはいけないように、神話の所有権も同じように管理されていました。

また、「物語」とはなんらかの意図をもって作られた一つの体系・秩序です。物語を読むとき、意図がよくわからなくても、何か筋が通っているように感じられることがあると思います。例えば、ハイダ族の神話も個々のエピソードの関係性を考えて読むと全然分からないことがあります。エピソード間の関係にこだわりすぎるのではなく、全体の体系を捉えることが大切なんです。小説とは全く違います。




ーーそれでいて、なぜ物語として成立するのでしょうか?

(堀先生)ハイダ族の神話では、ワタリガラスがトリックスターとして登場します。文化的な英雄ではなく、平気で人を騙したり、女性と見境なく寝たりする、はっきり言うと自分に都合のいい世界をつくる自己中心的な存在です。そんなワタリガラスはいろいろな出来事を引き起こすわけですが、その出来事の間には何らかの因果関係があるのかとか、その出来事には何か寓意や教訓があるのかなど、細部にこだわって読むものではないかと思います。

そもそも物語とはある程度、複雑な社会でないと発展しないのではないでしょうか? 複雑化しすぎても難しいですけど、自分と他者、異なる集団との区別や、その集団における秩序があってこそ物語が生まれる。だからこそ、それぞれのエピソードの関係性を読み解けなくても、全体の体系を捉えれば物語は成立するのだと思います。


ーー一方で文字化された物語もあります。口承の物語を文字化していく中で、物語の意味、価値は変わりますか?

(堀先生)例えば、私たちがよく知っている「桃太郎」という昔話がありますが、おそらく各地方には少しずつ違う桃太郎があったと思います。ところが今は画一化された一つの「桃太郎」になってしまっている。これを「教科書桃太郎」と呼ぶそうですが、このように正本として確立されてしまったためにある桃太郎の物語が唯一の桃太郎と認識され、他のバリエーションが消えてしまうことがよくあると思います。あるバージョンを文字化して正本すると、物語は伝わりやすく、残っていきますが、その反面、その物語に本来あった異同や多様性を消してしまうことにもつながります。特にハイダ族の神話のような口頭伝承による物語は文字化しないほうが多様な「異本」を残すにはいいと思います。いろいろな「異本」を含めて全体を一つの作品としてみるべきではないかと思うんです。

元々、ハイダ族の口頭伝承は集団の中から選ばれた少年が老人たちから口頭で伝えられた神話を暗唱して覚えていました。文字化すると失われてしまう抑揚やリズムも厳しく教えられていたと思います。少年が成長したら、語り継がれる側から今度は語り継ぐ側へ移っていきます。日常の言葉にはみられない、きいていると惚れ惚れするような緩急のある語り方。そういう雰囲気で語れる人って今いないですね。言語の面でもイントネーションやリズムは言語の本質的なものではないけれど、その言語らしさを表します。昔の人は、それを意図してやっていました。でも、今はもう神話自体を語れる人がいないんですよね。「俺が死んだらこの話は俺の代で終わりだ」って後に残さずに亡くなった人もいます。







神話は太古の作り話ではない? 解釈次第で現実味を帯びてくる


ーー物語には書き手(生産者)と読み手(消費者)がいます。生み出した生産者の意図とは違う読み方をすることは良いことなのでしょうか?

(堀先生)物語の解釈は人それぞれです。神話というものは、民族にとってのアイデンティティを共有して、仲間意識を高める存在としてあるだけでなく、歴史的な事実を解き明かし、伝えるものでもあると思います。いわば歴史書なのです。現代人から見ると、神話というのは荒唐無稽な、太古の昔にあった作り話と思うかもしれませんが、実は事実に即したものを伝えている可能性が十分にあります。

例えば、ハイダ族の神話に洪水が発生してハイダグワーイ(クィーン・シャーロット諸島)の一部が水没してしまったというストーリーがあります。ハイダ族の住むハイダグワーイの周辺は大昔は氷河に覆われていて、その後、氷河が溶けて海面上昇が起き、実際に島の一部が沈んでしまいました。神話の中の洪水は、この事実を描いていると思いませんか?このように神話は歴史的な事実を伝えていると考える人もいます。解釈次第ではありますが、物語を深く考えていくとその内容だけでなく、そこから歴史まで読み取ることも可能です。




ーー物語の数だけ、人の数だけ解釈が生まれるのですね。物語が人々を惹きつける魅力とは何だと思いますか?

(堀先生)一つの物語でも解釈次第でいろいろな楽しみ方ができることが物語の魅力の一つだと言えます。ただ、ハイダ族の神話にしても先ほどの「桃太郎」にしても、文字化された物語というのは人類学者が膨大なテキストとして残したものと、探検家が書き残したものと、とにかく膨大な数の物語が伝え残されています。しかし、その残された物語が全体の物語のうちの何割を占めるかはわかりません。本当はもっと重要な出来事を伝えている物語もあるかもしれないのに、それらの記録から漏れて消えてしまっていることがあるかもしれません。いずれにせよ物語に接する時は歴史を紐解くにしてもどれぐらい穴があるのだろうという意識は必要です。

物語、なかでも神話はその民族の知識の宝庫であり、世界観そのもの。古代から今に至るまでの社会の構造、その世界における自分たちのアイデンティティを探ることのできる面白いものですよ(了)


▶︎もっと深く掘り下げたい人へ、掘先生からのオススメの論文
Swanton, John R. (1905) Contributions to the ethnology of the Haida.  Memoirs of the American Museum of Natural History Vol. 8, pt. 1. Leiden: E. J. Brill.
(冊子体は入手できませんが,そのPDFがAmerican Museum of Natural Historyのサイトからダウンロードできるようになっています)





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▷▷シリーズ第2回「世渡り上手のお供に「物語」」は、5/17(火)更新します!

“大学”という迷路で悩み尽くした先にあるもの

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
「自分は何の為に大学で学ぶのか」という迷いのはじまりは大学が「自由」だからこそでした。では、なぜ大学は自由なのでしょうか?私たちが思っているよりもずっと複雑な世の中の真髄に立ち向かうということ、そのために必要なことを静岡大学人文社会科学部の上利博規先生が教えてくれました。悩み尽くし、限定された価値観以外のものを見つめ問ってこそ「大学生」であり、それが一人前への道なのかもしれない。




上利 博規(あがり ひろき)先生
静岡大学社会学科人間学講座教授。
アジアからヨーロッパまで幅広い文化を網羅。様々な分野を教えてくださる先生。学生時代は初めは理系を専攻し、「これ違うな」と悩む。音楽をやりたいという気持ちから1年留年し作曲の勉強をする。学生時代はアパートで彫刻をしたり、ひたすら映画を見ていたそう。静岡大学管弦楽団にも賛助出演。

梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。

鈴木 喜子(すずき よしこ)
常葉大学 造形学科3年(※取材当時)。




大学は、迷路というよりも、「森」。


一人前の人って色々なことを自分で選択していく必要がありますよね。何をどうして学びたいかを考えずに、与えられたカリキュラムをこなすだけで一人前になれる訳がありません。単位獲得に必死になるよりも大学生活の根本にはもっと別のことがあると思います。なにより一人の時間をたっぷり持つことが大切です。今勉強している学問や、教授が言うナントカ論だとかに、どんな意味があるのか、どこで役立ち、なにが出来るのか。自分と学問と社会との関係を考えるのが、「大学生」に必要なことなのではないでしょうか。

また、先輩と喧嘩したり、仲間と何かをやりとげたり。大学は、いろいろな経験をする中で「これいいな」というのを見つける場所でもあります。すごく悩んだり、感動したりすると自分が少し変わった気がしますよね。心揺さぶられる体験は感性を豊かにしてくれます。高校まではする事が決まっていてそれをこなせばよかった。しかし、大学には「自分の道」というのは用意されていません。それは自分で「自分の軌道」とはなにかを考えて、軌道を修正する場でもあるということです。

 


今の学生の可哀想なところは、ネットや携帯など情報が溢れすぎていて自分が今ここで何をしているのか、とじっくり考える時間が持てないところだと思うんです。高校は受験勉強しなければならないし、社会に出たら仕事をしなくてはならない。あなたたちが「自分は何の為にこれをしているのか」と悩むのは、大学が自由だからです。逆に考えない、悩まないままで大学生活を送るのはまずいんじゃないでしょうか。

また、今回の企画で「大学は迷路」と表現していますが、私はどちらかというと「森」だと思います。迷路というのはあらかじめスタートとゴールが設定されていて、行き方が解らないという物です。大学は違う。ゴールは設定されておらず、しかし確かに実り豊かな場所です。森には道も作られていないけど、多種多様な生物がいて、様々なことが起こっている。誰かが用意したゴールを意識から消したとき、何が見えてくるかを考えなくてはなりません。

 
限定された価値観にとらわれないために


大学は、色々なものがありすぎて迷う中で、自分にとって本当の物を掴む力をつける場所です。というよりも、いままで迷路がなかったことがおかしいんです。入学前に外国へ行って全く違う価値観とルール、視点があるってことを知っておくべきじゃないかな。できるだけ日本とは違うところへ。





戦後、日本は経済成長をして、バブル崩壊後に方向性を失いました。これからどうしよう、というときに過去にあったこと、歴史を知らずに何かしようなんて無理な話です。どのような論理で過去の何かが起こったのかを知らなくてはなりません。いまだに経済成長と言っている人がいますが、それは過ぎさった幻です。経済しか見えていない人は、これから生きて行くのは辛いのではないでしょうか。
 
今の学生達に言いたいことは、高校生のとき関心を持った職種や目的のみのために大学生活を過ごし、卒業していくのはとても寂しいということです。というよりも何をすべきかを高校で仕立てられてしまうことこそが問題です。高校生は目に見える範囲の印象で将来のことを決めてしまいます。しかし、知識が豊かに花開くにはその土壌が必要です。生きていると学生のとき興味がない、必要ないと切り捨てて来た知識が必要になることが多々あります。世の中はもっと複雑で、大学で勉強した理論では追いつきません。

表面的情報だけではない、現実で起こる出来事の、表から救い取れないものに気付いた時に悩みが始まります。そしてそれに立ち向かっていくには、決められた枠の中以外のものを見つめ、迷路の中で悩み尽くすことが重要なのだと思います。卒業後「大学のあの四年間は貴重な時間だった」と思えるように、自分に向き合う時間を作りましょう。(了)

合わせて読みたい!【大学迷路案内】バックナンバー


2016/04/05
大学生とは「境界人」である。
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。伊東明子先生(常葉大学 教育学部教授)に聞きました。

2016/04/11
「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか。比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。


2016/04/14
もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。
大学進学、就職……、人は数ある選択肢の中から自分の進む道を選びます。今回は大学進学を選んだことに悩む大学生が、高校卒業後すぐに料理人となった齊藤一也さん(割烹旅館「岡屋」板長)を訪ねます。

もしも自分が、《大学生》ではなく《板前》という道を選んでいたら。

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
大学進学、就職……、人は数ある選択肢の中から自分の進む道を選びます。今回は大学進学を選んだことに悩む大学生が、高校卒業後すぐに料理人となった齊藤一也さん(割烹旅館「岡屋」板長)を訪ねます。「もしもの自分」と「大学生である今の自分」はどのように違い、どのように同じなのでしょうか?何本にも枝分かれした道から自分の進みたい道を選び、我慢しながらも極める心得を学びます。



齊藤 一也(さいとう かずや)さん
東海道興津宿 割烹旅館「岡屋」の板長。
旅館周辺は幕藩時代、本陣、脇本陣を有する宿場町だった歴史のある場所。

■東海道興津宿 割烹旅館 「岡屋」
〒424-0205
静岡県静岡市清水区興津本町6(JR興津駅より徒歩約5分)
http://www.okaya18.com

梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。

樫田 那美紀(かしだ なみき)
静岡大学 人文社会科学部2年(※取材当時)。本号の副編集長。




選択した道に、近道なんてありません。


——工業高校を卒業されてすぐ料理人への修行の道に進まれたとのことですが、高校時代に進路を決める時に迷うことはありましたか?

(齊藤さん)私にはもともと中学生の頃から「自分の料理店を開きたい」という目標があり、早く高校を卒業して料理人の修行を始めたかったんです。実際の現場で修行することで技術を磨こうと考えていたし、両親にお金の負担をかけさせたくなかったこともあり、大学や専門学校への進学は全く考えませんでした。でも私が卒業した工業高校はクラスの八割が大学や専門学校に進学する進路を選んでいて、周りにはそういう道に進んだ同級生がたくさんいましたね。

そのような環境の中、私は板前修業という道を選び大学には行きませんでしたが、進学する周りの同級生を見ても特になんとも思いませんでした。高校を卒業した後は料理本で調べた東京の料理店に電話をかけて働かせてもらいたいと頼み、そこで2年ほど働きました。その後千葉や静岡など、様々な場所で料理人として働き、自分の料理の技術を高めるために努力しました。

実際の現場で働くことで、専門学校で料理を学ぶよりもずっと実践的な形で技術を身につけることができたと思います。下積み時代は寝る間もないほどたくさんの仕事に追われ、先輩に気に入られるよう努力しなくてはいけない、我慢することの連続でした。例えば修行中、仕事場の先輩から突然「この魚をおろしてみろ」と言われることがあります。うまく捌くことができれば、次はもっと大きな仕事を任せてくれるんですね。日々先輩から与えられるチャンスに応えられるよう、仕事時間以外のときも料理の練習をして、自力で自分の技術を高められるよう努力を重ねなければいけませんでした。

先輩に認められる仕事ができなければ料理人としては成功出来ないほど厳しい世界なんです。しかし長年持ち続けている目標のために、耐え抜くことができました。私はその後、26歳で独立し、念願の料理店を開きました。今の料亭では20年以上働いています。これからもこの好きな仕事を続けていきたいですね。



東海道17番目の宿場で、その街道沿いに位置する「岡屋」。県外からのお客さんも訪れるなど、興津の隠れた名店です。


仕込み中の齊藤さん。取材中の物腰柔らかな姿の裏に、厳しい世界を渡り歩いた根性と、負けず嫌いの精神が宿っています!

——高校卒業後すぐに料理の世界という厳しい社会に飛び込むことも目標を追う齊藤さんにとっては自然な選択だったんですね。ではその日々の中で、悩むことはあったのでしょうか?

(齊藤さん)もちろんありました。私は高校卒業と同時にこの世界に入りましたが、職場では15歳から働いている人もいます。私とその人たちの3年の違いは言葉にすると短いように聞こえますが、実際の現場で働いてみると、料理の腕は到底彼らにはかないません。やはり、悔しくもあったし、羨ましいという気持ちもありました。その差を少しでも埋めたいと、はやる気持ちがありましたね。

それから、職場の先輩との関係も気を遣うことが多く、追廻という雑用係をやったり、高下駄で足のすねを打たれたこともありました。周りはライバルばかりなので、毎日の気配りと負けん気の強さは、忘れないようにしていましたね。


——周りが皆ライバルという環境に身を置くのは、相当、苦しかったのではないでしょうか?

(齊藤さん)そうですね。しかしその自分の大好きな仕事をすることでお金を稼ぐことができ、ちゃんとご飯が食べられる。そして寝るところも与えられる環境に不満は感じませんでした。それに、私と同じ志を持った料理人とともに修行をしたり、様々な土地で働いたりすることで、人との出会いはたくさんありましたし、今も連絡を取り合えるような長年の板前仲間や知り合いが全国にいます。大学に進学することで人との出会いも情報もたくさん得ることができるのだとは思いますが、私のように進学をせず社会に出たとしても、そういう面では十分恵まれていました。

——自分と違う土地で育った人との繋がりが生まれるというところは大学生が大学生活を通して得られるものと共通しているように思います。

(齊藤さん)学校生活の過ごし方にしても将来にしても、選択肢がたくさん用意され、道が何本にも分かれているのだと思います。しかしその中で自分が、「本当にやりたい」と決断した一つの道を、我慢しながらも極めていってほしいと私は思いますね。

——大学か就職かという選択も、20代を生きた年代も違いますが、どこかでなにかに熱量を注いでいる姿は、大学生である私たちにとっても共通した「こうなりたい」と憧れるものなのではないかと思いました(了)



合わせて読みたい!【大学迷路案内】バックナンバー


2016/04/05
大学生とは「境界人」である。
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。伊東明子先生(常葉大学 教育学部教授)に聞きました。

2016/04/11
「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか。比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。

「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡とは?」

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
大学の中だけでなく、大学の外にも博識な人や知的好奇心を揺さぶられるようなものとの出会いがあります。最近は大学生の課外活動も活発ですが、課外活動に偏ると「私はどうして“大学”に進学したのか」を見失ってしまうこともある。では、「大学での学び」と「校舎を離れた学び」はどう重ね合わせることができるでしょうか?地域の文化関連機関が恊働で文化・芸術・教育を学ぶ場をつくる「ムセイオン静岡」に従事する比留間洋一先生(静岡県立大学国際関係学部助教)に聞きました。



比留間 洋一(ひるま よういち)先生
静岡県立大学国際関係学研究科助教。
ムセイオン静岡などの文化遺産教育に従事。専門は、文化人類学、ベトナム地域研究。京都の大学院を修了している。コーヒーに愛着があって、比留間先生のコーヒーを飲むために学生が研究室にくるんだとか。
■ムセイオン静岡について
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/outline/contribution/001/

梅島 千愛(うめしま ちえ)
静岡文化芸術大学4年(※取材当時)。本企画編集長。

野村 和輝(のむら かずき)
静岡大学人文社会科学部3年(※取材当時)。本記事執筆者。




校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡


——先生は「ムセイオン静岡」という団体に所属されているそうですが、「ムセイオン静岡」とはいったいなんなのでしょうか。

(比留間先生)ムセイオンという言葉は耳慣れないかもしれないですね。紀元前3世紀ころ、古代エジプトのプトレマイオス1世がアレクサンドリアに学術の中心となるセンターをつくりたいと考えてつくられた世界初の学問・教育・文化・芸術の総合施設です。狭い学術、専門分化された学術だけではなく、もちろん図書館もありますし、植物園や動物園、劇場など、そういった様々なものを複合してつくられたものなんです。だから、「ムセイオン」という言葉は「ミュージアム」の語源になったんですよ。

——世界史を思い出します。ムセイオン「静岡」ということは、静岡という土地にもムセイオン学術的な要素があるのでしょうか。

(比留間先生)静岡には多くの文化関連機関が密集しているんですよ。例えば、静岡県立大学のある草薙、谷田周辺だけをみても、静岡県立美術館、静岡県埋蔵文化財センター、静岡県立中央図書館と挙げられます。ムセイオン静岡には、そのほかにもグランシップや静岡県舞台芸術センター(SPAC)が入っていますが、日本平へ行けば動物園もありますよね。これだけみても、十分ムセイオン的な性格を持っています。

ですが、数年前まではほとんど交流がなかったんです。
時代の流れでもあったわけですが、できるだけ縦割りをやめて領域を取り払いましょうということで、「ムセイオン静岡」が生まれたんですよ。ひとつの圏的発想で、「ムセイオン静岡」というひとつの圏で括り、協力、交流しあうことで地域全体の活気が生まれますし、それぞれに新しい変化が生まれるんです。




△静岡県立大学に隣接する静岡県立美術館。現在、開館30周年記念展として「東西の絶景」が開催中(2016年)。
大学生以下は観覧料が無料(※一部企画展のぞく)。気軽に文化・芸術に触れることのできる施設です。


ムセイオン静岡のような、文化関連機関が互いに交流を持つようになった時代背景は、おそらく、ムセイオン静岡を立ち上げた時期が、実は、各機関が創設から20年、つまり人間で言えば、(学生の皆さんと同じ)「成人」になった時期にあたっていたんです。そこに、各機関が「ムセイオン静岡」を次なる成長に向けたひとつの挑戦として受け入れる素地があった。個人的にはこんな風に見ています。
 
またムセイオン静岡の生みの親ともいえる立田洋司先生(静岡県立大学国際関係学研究科特任教授)は、同じ圏として交流し合うことによって、地域全体の「文化的基礎体力」を底上げしましょう、と常におっしゃっています。つまり普段の生活に、静岡の文化に触れる時間を組み込んでほしいということです。

では今の学生になぜ「文化的基礎体力」が必要か。自分のことは棚に上げて言いますが、率直に言うと、「文化的基礎体力」の乏しい学生との会話はあまりはずまない気がします。また「文化的基礎体力」は、皆さんが今後、留学なり仕事なりで外国に出た時にも、何かの足しになると思います。例えば、新聞を日常的に読むクセをつければ数年後には、そうしなかった場合と比べて「知的基礎体力」が違っているはずですよね。それと同じで、「文化的基礎体力」を特に若い人、あなたたち学生につけてほしいと思ってます。それがムセイオン静岡の目的であり、キーワードなんです。


——なるほど、文化的基礎体力ですか。ですが、学ぶべきところがこんなにも多くあるのに、すべての学生が学びに行っているわけではないという現状がありますよね。学生からのアクションは見られるのでしょうか。

(比留間先生)そうですね。僕はムセイオン静岡のことを含む、文化に関わる授業をしているのですが、学生の中にも特に興味を示してくれている学生がいて、そういう学生は見ていればすぐにわかりますね。実際に美術館やSPACなどを訪れて、自分よりずっと年上の人や博識な方達と交流しているみたいです。そういう人たちとの交流は、互いに創作的な面での刺激を与えてくれますし、学生って目上の人から受ける影響って強いと思うんです。

さきほど説明した静岡の特徴としての補足になりますが、静岡は良い意味でコンパクトな街だと思うのです。だからこそ大人の人に出会い、接する機会が多い。大都市と呼ばれる場所では、「普段はなかなか会えないだろう」という職種の人と出会う機会が静岡では多い気がします。そしてそういう人たちもまた大抵は喜んで学生と接してくれたりしますよ。そんな繋がりを生かして成長した学生を僕はみていますし、自分の住んでいる地域に貢献するため頑張っているなと思う学生もたくさんいますね。とはいっても自分から動かなければ出会うことはできませんから、学生のみなさんには時間のあるうちに色々なところに行ってほしいです。


——やはり人との出会いが大事なんですね。私たち学生側も外部に目を向けるのがいかに自分に重要か、ということを考えなければならないと思いました。また、そのためにはまだまだ勉強しなければならないことがあるし、それが実を結んで社会に貢献できたらいい、とも思いました。私も静岡にあるたくさんの文化に触れながら、学びの場としての静岡とは一体何なのか、探っていきたいです。(了)



合わせて読みたい!【大学迷路案内】バックナンバー


2016/04/05
大学生とは「境界人」である。
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。伊東明子先生(常葉大学 教育学部教授)に聞きました。

大学生とは「境界人」である。

静岡時代(vol.29)【大学迷路案内】より
大学とは「迷路」のようなもの。そこにある学問も人も考えも多様で、何をどう学ぶかも自由。でも、「大学に何しにきたんだろう」と迷うことは不安で、辛いものです。自分が選んだ道のはずなのに、どうして「大学」はこれほどまでに私を悩ませるのでしょうか。発達心理学を専門とする伊東明子(常葉大学教育学部 教授)先生に聞きました。



伊東明子(いとうあきこ)先生
常葉学園大学教育学部心理教育学科准教授。
臨床心理学を専門とし、現在の研究内容はストレス対処と心身の健康に関すること。研究室にはゼミ生との写真や卒業生からのプレゼントがあり、学生と近い距離にいる先生。

梅島千愛
静岡文化芸術所属、本企画編集長(※取材当時)。
在学中、自分がなぜ大学にいるかの理由を見失い、本企画を立案。

須藤千尋(すとうちひろ)
静岡県立大学国際関係学部4年(取材当時)。
本記事の取材・執筆者。




大学時代は、アイデンティティを確立する重要な時期


——大学に入学してから3年たちますが、「大学にきて、そこで何をして、どうなりたいんだろう」と、日常のふとした瞬間にそれらのことを考えて、悩むようになりました。対人関係や行動範囲が高校までとは格段に広がって、様々な経験を積む内に、物事に向き合う時間が増えたような気がするのですが、大学生が迷い悩んでしまうのにはどんな理由があるのでしょうか?

(伊東先生)そうですね。「アイデンティティ」という言葉がありますが、大学時代は、そのアイデンティティ、つまり「自分とは何者であるのか?」という意識を確立する、あるいはしなければいけない重要な時期なんですね。高校まではある程度、親や先生の価値観に従って振る舞えば良かったのに、高校を卒業すると、次第に「もう大人なんだから自分がなんなのか考えなさい、向き合いなさい」なんて言われるようになり、個としてみられるようになってくる。

それは社会に出れば更に求められます。なので、この時期に自分を確立することが大事なんですね。そして、その上で、実は大学で悩むということ自体はとても意味のあるものなんです。むしろあなたたちにとってそれは健康な発達状態。そこから自分自身で試行錯誤して、色々な経験をして、自分のやりたいもの、自分が何なのかということがだんだんと形作られていくんですよ。発達心理学では、青年期は広いんだけれど、特にそういった10代後半から20代半ばくらいの人のことを、「境界人」や「周辺人」と呼んでいるんです。


——それは初めて聞く言葉です。なぜ、「境界人」というのですか?
 
(伊東先生)まず「境界人」の時期は、性的成熟による身体の変化や、心理的には気持ちが内向的になったり、自我意識の高まりがみられます。不安や反抗の態度など、心の動揺が顕著にあらわれるんですよ。青年は「大人と子どもの二つの面を持ち合わせていて、そこを行き来する」から、自分の足元が不安定になる。「私はどこに所属して、何をやっているんだろう?」って思ったりね。

大学生活の中で20歳をむかえ、法的には成人となるんだけど、境界人に変わりはないんですよ。自我が揺らいでいる時期に、著しい環境の変化が起こる大学生だからこそ、「大人なのか、子どもなのか」と考えてしまうのは当然だと思います。





自身と社会との相互関係の中で、心身は成長していく


——大学生は元々そういう時期の人間だからこそ、心にわだかまりをいだくのですね。ではそんな不安定な大学生の姿を、先生は身近に感じたことがありますか?

(伊東先生)昔、 静岡県青少年問題協議会で、高校や大学でアンケートをとったことがあるのですが、そこでの「今の社会には問題があると思う」という質問に対して、9割の若者は「そう思う」って答えました。だけど、「社会は自分たちの力で変えていけると思う」という質問に対しては、「あまりそう思わない」という回答の割合が多くみられたんですね。アクションを起こしたいという気持ちはあるんだけど、じゃあ実際に行動に移している人は、と考えると、すごく少ないなと思いますね。それから、「自分に自信がない」という学生が増えている傾向にあります。大人の敷いたレールからはみ出しちゃいけない、失敗しちゃいけないという意識が強くて萎縮してしまっている。それは私自身、学生と交流する中でも感じることがありますし、その意識が原因なのか、優柔不断で、決断する力がないなと思うこともあります。

——確かにそうかもしれません。私自身も、「決断力がない」と言われた経験が多々ありますし、自分でもそう感じています。

(伊東先生)今の子たちは決まりをよく守るし、素直で従順に生きていると思います。それが良いところでもあるのですが、常に何ものかに守られているということも理解しているからこそ、成功体験を積んだとしても、「これは自分の力じゃないんじゃないか」と疑ってしまうのではないでしょうか。今は、大人が子どもの失敗する姿をみたくないがためにお膳立てをしてしまっている部分も多くあります。

しかし、自信は、失敗することによって自然と身に付いていくものです。また、間違うというのはマイナスなイメージで捉えられがちですが、正しいやり方を導きだすものでもあります。悩みや不安は外部からの刺激で発生するものでもあるので、失敗や間違いといった、回り道に思われがちなものを無駄とは思わないことが心身の成長に繋がると思います。


——なるほど。思い返してみると、大学での講義が将来に直結する内容ではないと、無駄なことだと見なしてしまったり、大学での専門をダイレクトに就職に繋げようと考えたりと、回り道を嫌がることが多かったように思います。そういえば、この間、講義中に先生が「昔の学生は間違いを指摘すると何クソという気持ちがみられたけど、今の学生にそれをやるとシュンとしちゃうんだよね」ということを言っていました。伊東先生もそう感じることはありますか?

(伊東先生)確かに、昔は「間違ってる」って言ってしまっても良かったけど、今は言ったら傷ついちゃうんじゃないかって躊躇することも正直あります。私の時代は、怒られるとチクショーみたいな感じになったかな。例えば「こんな本も読んでいないの?」って言われると悔しくて、自分の足で図書館に行ったりとか、本屋さんに行ったりとかして、見返してやろうという気持ちがだいぶ強かったと思います。今の子は「でも、興味ないから」と流してしまうタイプの子が多くみられますね。


教え子から、お母さんのように慕われている伊東先生。取材中もたくさんの学生が出入りしていました。

——確かに、間違うこと、そして、その間違いを指摘されるということに対して、とてもマイナスなイメージを持っていて、臆病になっていると思います。

(伊東先生)そうですね。大人だって間違うとがっかりするし、寄り道だったなと、すごく損した気持ちになるから。そういう子が大学に入って、今までよりも広い世界の中に放り込まれたら、それは迷ってしまうよね。自身と、社会といった外部との相互関係の中で、自信がなくなったり、反対に逆境に強くなっていく。今までの自分から少しだけ成長した自分を形づくっていくのが、大学時代だと思います。

とにかく、大学時代に悩むことは当たり前で、それはまぎれもなく成長している証拠。迷うってことはそれだけ自分の人生に関して真剣に考えているってことでもあるからね。だから寄り道したり回り道を繰り返しながら、いっぱい迷って、立派な大人になっていくんですよ。


——迷っていることで悩んでいましたが、それは大人になるために必要なことの1つだったんですね。私自身、アイデンティティが確立できているか、と言われるとまだできていないのですが、残りの大学生活で色んなことに挑戦して、自分を捜していきたいと思います(了)



▷▷次回は、「校舎を離れた学びの場、ムセイオン静岡」を更新します。

日常遣いの食のおもてなし極意

人と人とを繋いでくれるのは「食事」だけではない。その場の空気、互いの所作も人と人とを繋ぐ空間を演出する。「おもてなしする側」から見た食と人とのつながりって?老舗寿司屋「寿し政」を訪ねると、そこには店主と客の境が次第になくなっていく空間がありました。


■山岸紀昭さん《写真:左》
寿し政高松店を切り盛りしている親方。
以前は東京の病院で栄養士として勤務していた経歴を持つ寿司職人。「子供が1 番大切なお客」と仰る親方。お店には子供が遊べるおもちゃや絵本が用意されていました。

■小泉夏葉《写真:右》
静岡大学 理学部3年。本企画編集長。
「どんな食べ物を食べたら人の心をいい方向に動かせるのか」という食の意味性を探るために企画立案。当初は食だけに視点を置いていたが、取材を通じて、空間や人にも着目してテーマを掘り下げていった。

■山口奈那子
常葉大学4年。本記事の執筆・撮影者。




◉静大近くのお寿司屋「寿し政」高松店
静岡市駿河区にあるお寿司屋さん。店内はお一人様でも気楽にお食事ができる温かな雰囲気。「1人のお客さんの後ろには何人もの人がいる」。この想いのもと、二代目山岸紀昭さんは全てのお客さんを大事にしている。店頭には狸の置物があり、子供からも「狸のお店」と呼ばれ親しまれている。



この空間に入った瞬間、家族になってしまう


誌編集長小泉(以下小泉):寿し政さんはいつから静岡にお店を構えているんですか?

寿し政山岸さん(以下山岸さん):私は二代目で、先代は長野県出身です。65年ほど前に静岡で「寿し政」を始めました。自分が高松店を継いでからは36年が経ちますね。静大が大岩キャンパスから今の静岡キャンパスに移る前からやっています。

小泉:36年……、親方一人で切り盛りしているんですか?

山岸さん:今現在は奥さん(女将)とアルバイトの子も一緒に切り盛りしています。一生懸命働いていてくれるので、安心して任せられます。36年やっていると、幼少期に店に来ていた子が親になって子供を連れて来たり、家族の人生を見守れるのが楽しいですね。

小泉:店内を見渡しても、適度な広さと照明、堅すぎない安心できる雰囲気ですよね。食事をする場づくりにおいて心がけていることはありますか?

山岸さん:お客さんの好みはある程度把握しています。お客さんが嫌いな物や病院で止められている物があったら覚えて絶対に出しません。言われなくてもお客さんの好みのものを出して、お客さんが安心して座っていられる状態を作るようにしています。
 
他にも仕事柄、街中だと落ち着いて食事ができない人もいますよね。うちは少し街中から外れた場所にあるので一人の人間としてリラックスしながら食事や話ができます。仕事の話は全然しません。いくらどこかの社長だろうと、うちに来たら「お客さん」だから。食事するのに立場は関係ありません。






小泉:噂によると、寿し政さんは「マイ箸」制度があるそうですね。

山岸さん:はい。中学生のアイディアから始まって他のお客さんにも広まりました。今でも定着しています。

小泉:ざっと棚を見渡しても、お皿だけで何種類もありますね。使用する食器や料理を出す順番にもこだわりや意味はありますか?

山岸さん:食器類は年二回、岐阜の問屋さんが新作を持ってきてくれます。盛りつけを想像しながら、「色が冴える食材には合うな」などバランスを考えて購入します。ちなみにお寿司は桶に大きな役割があるんですよ。

小泉:桶には大きなエビが描かれていますね。

山岸さん:寿司がのっている状態では絵柄が見えませんが、食べているうちに絵が出てきて、桶一つでお客さんが喜んでくれます。良い桶を使えばお客さんも気づいてくれるし、古い桶を使えばなんとなく安っぽく見えます。


▶︎寿し政は食品がガラスのケースに入っているので、お客さんも自分の目で食材を確認することができます。高校生の男の子には、ネタのサイズを大きめに。年配のお客さんにはネタを半分に切る。そこにも親方の優しさが隠れています。


カウンターで寿司を食す

山岸さん:こちらが寿し政のランチ。

小泉:赤身、エビ、サラダの軍艦巻き、いか、タコ、たまご……盛り沢山です。お味噌汁まで(食後のフルーツまたはコーヒー付)!いただきます!


▶︎写真は本日頂いた寿し政のランチメニュー(1,000 円)。ちなみに寿し政は学生アルバイトも多い。「給料は俺が出すものではなく、俺がお客さんから預かって渡すお金だよ」という親方の考えの下、お客さんを大事にする精神は従業員全員に受け継がれている。




山岸さん:お寿司はお任せで頼まれた時は味が淡白な物から濃い物の順に出して、味に変化を出します。お客さんが飽きないよう食事を出すリズムを大切にしています。特に静岡は食材が豊富な土地で、美味しい物を食べることに慣れていますからね。

小泉:そうなんですね。実はカウンターのあるお寿司屋さんに来るのは今日が初めてなんです。緊張していたけど、落ち着く雰囲気や美味しいお食事に気持ちもほぐされます。

山岸さん:よく赤身や白身のネタから食べ始めろと言うけど、そういうルールは拘らなくていい。ただ、知っておいて得する知識はあります。サラダやウニのような軍艦巻きは、逆さにすると具がひっくり返りますよね。その時にガリを箸でつまんでハケ代わりにして醤油をつけると具を綺麗に載せたまま食べられます。食べやすいですよ。

小泉:(実践中)。おお〜。

山岸さん:あと、お刺身についている菊の花。みんな食べないけど、菊の花びらを一つ摘まんで醤油の中に入れると、薬味にもなるし毒消しの役割も果たしてくれます。もし就職をして社長と食事に行った時にも、これをやったら一目を置かれるはずです(笑)。つまもそうだけど、お皿の上にのっている物は全部食べられるんですよ。






小泉:ただの飾りだと思っていました……。私は食には人と人を繋ぐ役割があると思っています。おもてなしをする側から見て、親方は食にどのような役割があると思いますか?

山岸さん:やはり食事を通して会話が成立している場面はありますね。例えば、顔見知りではないお客さん同士で、「これ美味しいよ」ってお勧めしてくれることがあります。あと、カウンターだからこそ生まれるお客さんとの会話。レストランと違って、カウンターの店は料理が美味しいだけではなく会話も楽しくある必要があります。だから自分も色んな情報を蓄えておく必要がある。例えば相撲に興味がなくても、お客さんに結果を聞かれたら答えられるようにしておきます。

小泉:食事と店の空間そのものが出会いの場になっているんですね。

山岸さん:ここの空間に入った瞬間にみんな家族になっちゃうんですよ。だから、ある程度の常連さんになると「いらっしゃいませ」じゃなく、「おかえりなさい」なんだよね。帰りは「いってらっしゃい」と言います。お客さんとの繋がりが深くないと商売は成立しません。美味しい物を食べて味わえる、なんとも形容し難い幸せを届けていきたいですね(了)


■寿し政 高松店
静岡市駿河区高松1-23-6
☎ 054-237-6066
しずてつジャストライン宮竹から徒歩約5 分。カウンター、お座敷、宴会場、駐車場有。



君と◯◯になりたい、飯を食おう。バックナンバー
静岡県立大学国際関係学部/小幡 壮先生

静岡産業大学経営学部/高城佳那先生

静岡大学大学教育センター/コルベイユ・スティーブ先生

物語に学ぶ!食と人の意味性

過去から現在にいたるまで、食にまつわる物語はどのようなものがあるのだろう? 物語から人が食とどう接してきたのか、食にどんな意味を見出したかが覗けるはず。文学の専門家 コルベイユ先生と本誌編集長が文学と食を談義する。食の意味は一つじゃない。


■コルベイユ・スティーブ先生《写真:左》
静岡大学大学教育センター准教授。
フランス文学や比較文学など様々な文学を研究。数多くの映画作品を研究する際、一つのテーマで視点を絞り、既に観たことのある作品も一から分析することを大切にしている。

■小泉夏葉《写真:右》
静岡大学 理学部3年。本企画編集長。
「どんな食べ物を食べたら人の心をいい方向に動かせるのか」という食の意味性を探るために企画立案。当初は食だけに視点を置いていたが、取材を通じて、空間や人にも着目してテーマを掘り下げていった。

■宗野汐莉
静岡大学人文社会科学部4年。本記事の執筆・撮影者。


食は美しいもの? むしろタブーだった

ーー先生のご専門はフランス文学ですが、文学作品には食のシーンはどのように描かれていますか?
 
(コルベイユ先生)16世紀のフランス文学を代表する作家にフランソワ・ラブレーという人がいます。彼の『ガルガンチュワとパンタグリュエル』は、巨人族のガルガンチュワとその息子パンタグリュエルの親子二代にわたる物語です。

当時のフランスは階級社会で、それを反映するように文学においても階級が存在していました。例えば、悲劇は階級の高いジャンルとされ、対極の喜劇は階級の低いジャンルとみなされていました。また、キリスト教の影響も色濃く反映されており、上方に位置するものは美しく、下方に行くほど下品であると考えられていました。特にカトリックの世界では天国と地獄が対極にありますからね。この思想は人間の身体にも反映されており、排泄物などはタブーとされ、生きる上で必要な食事は決して美しいこととは見なされていなかったんです。
 
従って悲劇では多くの場合が軽食、又は毒入りの食事の場面が描かれます。七つの大罪にもありますが「食べすぎ(暴食)は罪である」など、食べる行為そのものが階級レベルの低いものと認識されていたのです。
 
しかしラブレーの作品(喜劇)は、巨人がよく食べてよく排泄する描写が多いです。人を巨人に投影することによって人間の日常生活を表し、食事から排泄までを面白おかしく描写することによって新しい世界観を作りあげました。普段なら隠すべきことを文学作品という形で公の場に広めることで、これまでのフランス社会の階級を転覆させることに繋がったのですね。




ーー食が階級の低いものとされていたとは驚きです。でもそうした階級社会や食を卑下する社会に対して、人々が相反するメッセージを残していたことが分かりますね。
 
(コルベイユ先生)同じくフランスの作家にマーセル・プルーストがいます。彼自身の体験記『失われた時をもとめて〜スワン家の方へ〜』には、私がフランス文学の中で一番好きなシーンがあります。
 
著者は遠い過去のことを思い出そうとするも気持ちが入らず、うまく記憶をたどれません。しかし、ある時マドレーヌと紅茶を口にすることで不思議と記憶が戻ってきたという場面が描かれています。プルーストはこの体験をきっかけに本の続きが書けるようになり、美しい文学が書けるようになったのです。
 
実は私はカナダ出身なのですが、距離的な問題でなかなかカナダに帰れません。そんな中、二年前に母が亡くなり、いわゆる「おふくろの味」をもう一生食べることができなくなったんです。でも今まで日本にいて偶然、母の味と同じ味に出会ったことがあります。一瞬にしてカナダで食事していた時のことを思い出しましたね。当時の部屋の雰囲気、故郷の寒さ、一緒にいる人の笑い声もみな、食べた瞬間に全部思い出しました。まるでプルーストのように。この実体験から私にとって「食事といえば記憶である」と考えるようになったのです。




人が「生死」「人生」を考える時、食事のシーンが描かれる

(コルベイユ先生)小泉さんは今まで触れた文学作品のなかで印象に残っている作品はありますか?

ーー私は映画『ライフオブパイ』で、主人公の少年パイが海の上で生き残るために食料を調達しようとするシーンが印象的です。彼は道具も限られる中で試行錯誤して魚を釣り上げるのですが、魚は暴れて逃げようとします。必死になって石で殴ると魚は目を開けたまま動かなくなり、パイはその場で号泣していました。なんとも言葉に表せない複雑な気持ちが私の中に生まれたんです……。どうしてでしょうか?
 
(コルベイユ先生)これは20世紀に入って私たちの食と死の関係が劇的に変化したことに関係があります。昔は人々が田舎に住み、農場を営むことが一般的でしたよね?食料のために動物を飼い、時期になるとその命をいただくことがごく当たり前に行われていました。また、人間の平均寿命は今よりも短く、家で最期を迎えることがほとんどだったんです。つまり昔の人々は日常的に死を目撃しており、共存していたと言えます。
 
今、私たちが死ぬ時を想像すると、多くの場合は老いて、病院で死ぬことを想像しますよね。実際に、現代では病院で最期を迎える割合の方が高いそうです。つまり今の私たちの日常生活から死は切り離され、「見たくないもの」「知りたくないもの」に変わってきているということなんです。死が非日常的となった現代において、できるだけ死から離れるように社会が変化しているんですよね。スーパーに並んでいる肉を手に取るときは、あくまでも食材として認識するのであって殺された動物として結びつけることはしない、それが今の私達なんです。
 
ですから『ライフオブパイ』のシーンでも、普段は隠された死に直面したことでショックを受けたのだと考えられます。生きることと死ぬこと、そして食べ物は非常に強くつながっています。これを「生の循環」と言います。
 
プラトンの『晩餐会』やキリスト教の最後の晩餐会など、物語において生きることを考える人物、自分の人生を振り返るときなどは食事の場面がよく出てきます。そして人生の素晴らしさ、暗さを描写する時にも。




ーー物語のシーンから食が意味するものが分かってきました。では、現代文学からは今の食と私たちの関わりをどう捉えることができるのでしょうか?
 
(コルベイユ先生)今は食の安定供給が実現されるようになった時代です。それ以前の作品では、ごはんを食べられるか否かという極端な設定しかありませんでした。しかし、現代では経済力の無い人は安価なファストフード、経済力のある人はベジタリアンやビーガンなど、登場人物のキャラクター設定をする上で多様な選択ができるようになりました。
 
また、現代文学を考えるうえでSF文学は無視できません。食と結び付けられるSF文学の中には、人間は将来、現在のような食事をすることができなくなるという結末の作品があります。映画『ソイレント・グリーン』では、人口増加が著しく庶民は政府から支給されるクッキーしか口にすることができません。動物の肉などは一部のお金持ちしか口にすることができず、その量もほんの一口程度です。SF文学ならではの、極端でありえないと思われることが書かれています。
 
しかし、現実的に人口が増えていく中で人間と食べ物の関係のあり方や認識を変えていかなければならないことも課題です。安定的でかつ贅沢な生活に安住している人々が多い現代において、この作品は深い意味性を持っていると考えられますね。映画などの文学作品を通じることで、今の私たちの行動を振り返り見直すきっかけを得ることができるのかもしれません(了)







「コルベイユ先生と小泉編集長が世界の文芸作品から選ぶ、ベスト・オブ・テーブルシーン」!

下心がわかる?勝負飯を手に入れろ!


勝負飯とは、その飯を食べることでほぼ確実に仲良くなれる常套手段(道具)だ。
今回は、心理学を専門とする、静岡産業大学の高城佳那先生に「煮る系」「焼く系」「包む系」の3つに分けて、その意味性を徹底解析してもらいました!





「しずおかおでん」と「鍋」



煮る系①「静岡おでん」
温かさは人を開放的にさせる

江戸時代末期に屋台料理として広まった静岡おでんは今や定番の家庭料理へと変化しました。牛すじ、黒はんぺんなどの具を串刺しにし、出汁の味をしみ込ませるのが特徴。寒い季節は気分が内向的になります。寒さで筋肉が硬直し、身体が強ばる中で温かいものを口にすると、身体が高まり安心感を持つようになります。温かさは人を開放的にさせるんです。


煮る系②「鍋」
親しみが加速していく究極飯

鍋を囲み相手との距離が近くなると、人は好意を持ちやすくなるのです。これを「近接性」と言います。さらに一緒に鍋をつつき、同じものを食べることで、脳が相手を受け入れたように処理します。会話も増える分、自己開示が活発になり、普段話さないような事も話すように。秘密を共有することでより親しい間柄になったと感じることができます。

「バーベキュー」と「げんこつハンバーグ」



焼く系①「バーベキュー」
重要なのは役割分担と気遣い

そもそも自宅外で食事をすることは、人を興奮状態にさせます。「吊り橋効果」と同じく、普段と違う環境下で時間を共にした相手には好印象を抱く傾向があります。バーベキューでは準備が大変なほど、達成感が高まります。準備から食事に至るまでの過程で、信頼性や親近感も生まれます。重要なのは、役割分担で人と協力をし、協調した行動をとることです。自分の食欲を満たすだけでなく、周りを気遣うスペックが求められます。


焼く系②「げんこつハンバーグ」
食と色は蜜月関係? さわやかの秘密

肉には身体のリズムを調整する働きがあります。心のリズムも整えられるので、幸福感も得られます。さらに赤みがかった肉(暖色)は食欲を増加させま
す。視覚と嗅覚を遮断すると味覚を失ってしまうように、食と色には密接な関係があるのです。またさわやかの美味しさは「連合の原理」も作用していま
す(後述)。幼い頃、家族と食事をしたという幸せな記憶が蘇り、美味しいと感じさせているのです。


「たこやき」と「浜松餃子」



包む系①「たこやき」
小さなものは食欲をそそる

どうにも謎ですが挙げておきたい勝負飯がたこやき。今の学生は個性を求めていますから、「たこパ」ブームの秘密は何でも包めるアレンジの豊富さにあると思います。今後のたこやき動向が気になります。


包む系②「浜松餃子」
小さなものは食欲をそそる

浜松餃子は昭和30 年はじめに中国からの満州引揚民が浜松駅周辺に屋台を展開させたのが発祥。餃子を作る過程から食べるまでの一連の行動を共にすることで仲間意識が生まれます。仲間意識は一つひとつ手作りしていく中で、能力の個人差が出るものの徐々に出来に優劣を感じなくさせ、自然と肩を並べられるようになります。なかでも浜松餃子はネームバリューがありますから、食への付加価値が与えられ、浜松餃子を食べること自体で満足感は増します。





〈次ページ〉

すべての食には意味がある!文化人類学から紐解く、食の民族性とは?


今でこそ安定的に供給される食であるが、かつては隣接する集団と自分たちの集団の主食をずらしたり、食材一つひとつに意味が与えられていた。そもそも「食」は人間にとってどんなもの?文化人類学の専門家 小幡先生に聞きました。私たちが肉と火に惹かれる理由は民族性にあり!


■小幡 壮先生《写真:右》
静岡県立大学 国際関係学部 国際言語文化学科教授。
文化人類学、東南アジア文化論を専門とする。研究の過程で食文化に興味を持ち、アジアの食文化についての本も出版。毎日の晩酌は欠かせません。

■小泉夏葉《写真:左》
静岡大学 理学部3年。本企画編集長。
自身のこれまでの経験から、食は「人と人とをつなぐ力」があるのではないかと考え、本企画を立案。歴史、社会、文学など、様々な学問から論理的に食を掘りさげていく。

■田代奈都江《撮影・執筆》
静岡大学 人文社会科学部1年。本企画副編集長。
ちなみに上部写真内のおふたりですが、実際には飲んでませんので悪しからず(by田代)。


私たちは皆、狩猟民族? 食を「文化化」する

——もともと人間は飢餓に苦しまないように隣接する集団と自分たちの集団の主食をずらしたり、不可食物を叩いたり、焼いたり、蒸したりして食べられるようにしてきました。人間にとって食はどのような役割を持っていたのでしょうか?
 
(小幡先生)食に対する根源的な問題ですね。一番単純に言うと、人類にとって食は「エサ」です。他の動物と同様に人類もまず個体を維持するために食べなくてはいけません。
 
ただ「エサ」と言っても、人間と動物では食べるものに決定的な違いがあります。動物は馬だったら草、ライオンだったら肉、というように種によって食べるものが大体決まっています。これは動物には住むのに適した生息域があって、当然その環境にある植生、あるいは動物を食べるからです。
 
かつて人間はアフリカから世界に流出し、その先々で時に調理をしながら、自分たちが食べるものを見つけてきました。色々なものを食べる、要するに雑食です。生存欲求を満たすだけでは満足しなかったところに文化の始まりがあるわけです。




——文化は食から生まれたのですね。「煮る」「焼く」などの行為は文化人類学的にどのような意味を持つのでしょうか?
 
(小幡先生)人間が自然なものに手を加えようとすることを「文化化」と言います。自然の食材を文化化していくもの、それが料理です。
 
実は、文化人類学的に「煮る」という行為は、その中でも最も文化化が高いものです。「焼く」という行為も文化化はされていますが、火と網があれ
ばすぐに出来ます。一方で「煮る」または「蒸す」という行為は、火や鍋などの器、そして器に入れる水がなければ出来ません。そうした手の込んだもの、つまり文化化のレベルが高ければ高いほど特別な食べ物になるのです。

——特別な食べ物とは?
 
(小幡先生)煮る料理や焼き料理は、おもてなし料理に使われることが多いんですよ。例えば、鍋やバーベキューがそうです。煮る料理の鍋は特に仲のいい内輪だけ(4〜5人くらいの鍋を囲める人数)で集まって食べ、焼く料理のバーベキューは大人数で食べますよね。煮る料理が閉鎖的であるのに対し、焼く料理はオープンである違いはありますが、どちらも催し物であることは同じです。
 
ところで皆さん、「焼く」という行為はなんだかわくわくしませんか?文化人類学では、「人間が農業を始めたのは最近である」と考えます。つまり人類の長い歴史から考えると、そのほとんどが狩猟採集で生活をしてきたわけなんですね。「焼く」という行為に惹かれるのは、昔の人類が狩猟採集をして食料を獲得し、焼いて調理をしていた遺伝子が受け継がれている証拠なんですよ。



食の「暗黙の了解」。本来マナーは二次的なもの

——食はおもてなし料理にも使われるように、人と人をつなぐツールだと思います。一方で、食べ物の恨みで争いが起こるなど、人間関係を壊すこともあります。食の怖い面はどのようなものがあるとお考えですか?
 
(小幡先生)例えば木の実や山菜といった植物は比較的楽に採集できますが、イノシシはなかなか捕まえられませんよね。ですから昔はイノシシが穫れたら村のみんなで大人数で食べるというのが習わしでした。これもまたおもてなし料理です。
 
しかし、もしここで「イノシシが穫れたぞ。ウチだけで食べようぜ」なんてことをすれば、近所の人たちから「なんて卑怯なんだ、今度からあの人は呼ばない」と恨まれてしまいます。獲物が獲れたら皆で分け合うというのは暗黙の了解だったんです。「食べ物の恨みは恐ろしい」とよく言いますが、日常的に恨みを買うものといえばまさに食べ物で、「自分の持っていないものをあの人は持っている、羨ましい、欲しい」という気持ちが呪いの一種になるわけです。獲物を分け合うという例は、古今東西で共通だと思います。贈り物を交換し合う関係は物事も上手くいきやすいですし、人間関係も長続きするものです。




——確かに、食が安定的に供給されていることが当たり前に思っていました。いい面も強い面も持ち合わせた食、先生自身は食についてどのようにお考えですか?
 
(小幡先生)人間が食事をする際に最も大事なことは、その場面にふさわしい食べ方であるかということです。食事作法は日本や東南アジア、ヨーロッパ……どこの地域でもそんなにうるさくはないのです。結婚式などフォーマルな場で食べる場合は別ですけどね。マナーとは本来二次的なものなのです。


贈り物を交換し合う。人と人の間だけではない

——確かに。食が安定的に供給されていることが当たり前に思っていました。いい面も怖い面も持ち合わせた食、先生自身は食についてどのようにお考えですか?
 
(小幡先生)私は30〜40年前からフィリピンのミンドロ島のタジャワンという焼畑農耕民を研究しています。タジャワンは人口規模1500〜2000人の少数民族です。彼らは焼き払う森をどこにするか決めるときや、種を蒔くとき、収穫するときなど、事あるごとに儀礼を行います。

文化人類学はその民族の文化的特徴を調査することが目的ですから、彼らが自分たちの生きる世界をどのように考えているか知るために、私は儀礼に注目しました。彼らとの日常では様々な場面で儀礼が行われますが、儀礼を行うときにはいつも食べ物を神様にお供えしているということに注目したんです。



——お供え物ですか?
 
(小幡先生)日本でも彼岸に食べ物をお供えしたり、正月に神棚にお餅をお供えしたりしますよね?それと同じで、目に見えない神様にお祈りするときは必ず目に見える食べ物をお供えします。そしてそのお供え物はやはり彼らにとっての特別な食べ物なんですね。私自身、こうした民族性としての食に興味を持ち始めたわけなのです。

——確かにお供え物は調理された物です。そこに民族の特徴が現れるんですね。
 
(小幡先生)日本では主食とされる米が、西洋ではメインディッシュの付け合わせのような形で食べられるなど、文化・民族によって生じる好みの味も指向性も異なります。仏教に「小欲知足(しょうよくちそく)」という言葉があります。つまり、欲を小さくして、今あるもので十分だという生活を心がけなさいという教えです。

まさに日本人はこの言葉を肝に銘じなければいけないと思いますね。現代の日本人は贅沢に慣れて、日常と非日常の区別ができなくなっていると思います。普段食べるものと特別な時に食べるものを区別して、メリハリのある生活を心がけることによって、食とは何か、本当に美味しい味とは何かを知ることができるのではないでしょうか(了)

(取材・文/静岡大学 田代奈都江)


◉特集第2回「勝負飯を手に入れろ!」は、1月12日(火)更新予定です



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50年後も「残る美術」と「残らない美術」とはなんだろう?

連続特集【静岡美術50年史】(静岡時代:vol.40)
時間も世界も越えて、今ここに存在する美術作品から、私たちは何を思うのか?上原近代美術館学芸員 土屋さん、美術家 近藤さんと1世紀前に作られたゴッホの作品を鑑賞。 実は、「わからない」美術は私を映し出す鏡でした。



■三好景子(写真:中央)
本企画編集長。静岡大学教育学部4年。美術専修。
高校時代は理系科目を専攻していたが、進学時に「唯一自分が自信をもてる場所」として美術を選択。大学入学後、自分が思い描いていた美術の世界と現実のギャップに悩み、本企画を立案した。

■近藤 大輔さん(写真:左)
美術作家。常葉大学造形学部卒業。美術館へ向かう電車の中、ひたすらドローイング。静岡で活躍する他の若手美術家との交流も盛んで、今後の静岡の美術を切り開いていく一人。

■土屋 絵美さん(写真:右)
上原近代美術館 学芸員。大学時代は日本画を制作。上原近代美術館所蔵の「鎌で刈る人(ミレーによる)」は今年1 月~ 5月にベルギーのモンス美術館で開かれたゴッホ展に出展。
(取材・文/度會由貴:静岡大学4年)

ゴッホの幻の作品「鎌で刈る人(ミレーによる)」



島田市にある上原近代美術館が所蔵するゴッホの「鎌で刈る人(ミレー による)」。
1880年頃にゴッホが 画家を志してすぐに描かれたもので、尊敬するミレー原画による版画を模写したデッサン・シリーズです。現存する シリーズ唯一の作品が長らく所在不明となっていましたが、2006年に上原近代美術館に収蔵されたことで存在が世界に広く知られました。



時をかける美術

本誌編集長 三好(以下、三好):ゴッホといえばボリューム感のある油彩画ですが、ミレー原画の版画を模写していたんですね。

上原近代美術館 土屋さん(以下、 土屋さん):この作品は素描の最も基本的な教則を学ぼうと、何枚も繰り返し描かれたものの一つです。ゴッホはミレー原画による「野良仕事」シリーズの版画を全て模写していたんです。

ゴッホの手紙によるとそれらは全て破棄されたはずでしたが、唯一この一枚だけが残されていました。はじめはゴッホの甥が持っていたようですが、その後オークションに出品され、幾人かを経たあとに上原氏の手元に渡りました。


三好:「炎の画家」と呼ばれたゴッホ 初期の模写作品が今も残され、間近に見ることができるのは奇跡だと思います。 私も大学で美術教育を専攻していますが、 描いたものは全て残しておきたいと思うんです。 だから、模写を破棄したゴッホの気持ちがわかりません。

▲上原近代美術館には3つの展示室があります。ゴッホの作品は第3展示室に出品されています(2016年1月11日まで)


捨てるか、捨てないか 美術作品は作家のもの?

美術家 近藤大輔さん(以下、近藤さん):ただ、作家が作品を捨てるということは、必ずしもマイナスな感情で はないと思います。描いた瞬間以外はもういらないという純粋な感情かも。ゴッホも新たな芸術を生むために、ミレーの模写を捨てたんじゃないかな。

土屋さん:模写は昔からある一つの勉強法です。他人の優れた作品を真似して描くことでその技法を学びます。そうして次は自分が描きたいものを描いていく。ゴッホも最初にミレーの模写を描いた九年後、それをもとに油彩 画(オランダ、ファン・ゴッホ美術館 蔵)で再び同じ題材に取り組みました。最初の穏やかなデッサンとは異なり、ゴッホらしい鮮やかな色彩で描かれ、手元の草はうねるような動きで表現されています。

三好:確かに油彩画の作品は大胆な画面分割と色づかいはゴッホの画風が表れている気がします。こうしてこれらの作品が時代や海を越えて残されているからこそ、 作家の内面や美術家の相関関係、美術の流れが分かるのですね。
▲展示室から館内のラウンジへ移動。3人それぞれの立場から、美術作品の見方や意見を交わしました。


土屋さん:後世に伝えていかなければならない作品を、後世の人たちにバトンタッチすることが、学芸員である私の仕事の一つだと感じています。たま たま残った作品もありますが、結局誰かが価値を見出して、大事にしていないと残っていきません。実はこのデッサンがとても貴重であることは知っていましたが、世界の歴史の中でこれほど重要なものとは思っていませんでした。あるとき、ゴッホ研究の第一人者の方がオランダから調査に来られて、改めてその重要性を再認識しました。そうした価値を再発見し、守っていくことも学芸員の仕事です。

三好:ゴッホの作品にしろ、美術作品は全く異なる時代、世界との対峙がありますよね。なんだか人間の寿命とは違う次元を生きている気がします。私はそれが美術特有の面白さでもあり、人類を超えているような気がして怖い部分だと思うのですが。

人間と異なる時間軸を生きる美術作品


近藤さん:美術作品はある地点にいったらまた新しさが出てくるじゃないですか。だから寿命はあってないようなものなんじゃないかとも思います。

土屋さん:作品自体は劣化しても、作品自体の存在というのは生きていくんですよね。過去の作品の中にも、私たちが見て斬新なものはあります。これからは保存や修復の技術がもっと進歩していくと思うので、後世に残る作品も増えていくんじゃないかな。ただ、作品に手を加えることは、作家が意図していたものと違うものになりかねず、難しいところです。

近藤さん:送り出した以上、朽ちていくのは自然の摂理だと思うので、自分の意思は介在していなくてもいいと思っています。でも例えば、作品が誰かの目にとまって、誠意を持って残しておきたいと思ってもらえたなら、僕は修復してもらってもいいなと思いますね。自分が作ったものを世に出すということに意味があるので、そこから先は誰がどう見て、どういう広がり方をするかまで気にしません。そこに僕が意思を持ってしまうと、他人の評価を意識してしまって、作品の純度が下がってしまう気がします。

土屋さん:その後、世に残される作品の条件というのは、いま必要とされているかどうかです。それによって未来に残すか残さないかが決まっていきます。なかには「残さない」という判断をされた作品でも、未来の人が必要とするものもあるかもしれません。

後世に残される美術 究極論は好きか嫌いか




三好:では、私たちは作品をどのように見ればいいのでしょうか?

土屋さん:私が作品を楽しむ時には、自分にとって好きだと思うものを見ています。絵を見て好き嫌いに正解不正解はなくて、その人の感性で答えは変わると思います。

近藤さん:僕も同様に好き嫌いで見ます。すごく好きな作品があれば、なぜ好きになったんだろうと、筆のタッチや色、背景にある人物や時代背景などを探ります。すると自分が何に惹かれて、どこに引っかかったのか、自分との関連性が見つかって、作品を通して自分を知れるんです。

三好:でも、自由に作品を見ていいと言われたら、逆にどう見ていいか分からなくなります。特に現代美術って、見方に正解がある気がしてなんだか構えてしまいます。

近藤さん:実際、現代美術に限らず、正解というのは人それぞれ自分の中にあるもので、それは他人に左右されるべきではないと思います。よく考えれば当たり前のことですが、今は様々な情報に惑わされやすい時代なので、妙に構えてしまうのかもしれません。

土屋さん:現代では美術を取り巻く環境が、昔とは違うようにも感じます。今は誰もが自由に表現出来る時代です。現代美術はわからなくても、昔の作品を見るのと同じように、なぜそのように作家が表現したのかを見つめてみるのも良いかと思います。

三好:社会やその時代を生きる人にとって、美術の在り方は異なりますね。「分からないから」といって美 術に目を向けなければ、自分たちの時代を象徴する美術作品を残すことができないかもしれないし、たとえ残されたとしてもその美術作品と自分の関わりがないのは少し寂しい。一方で、同時代の作品がわからないのは、自分のわからないところが分かっていないのと同じなのかもしれませんね。心を揺さぶられる作品に出会えたとき、未知の自分に出会えるのかもしれません。






《上原近代美術館》

上原近代美術館は大正製薬名誉会長・上原昭二が長年にわたって蒐集、愛蔵した美術品の寄贈により2000 年春、伊豆・下田市に開館しました。伊豆の大自然に囲まれた美術館。邸宅をイメージにした内観で、自 分の家にいる感覚で美術品を楽しめるのが特徴。
住所: 静岡県下田市宇土金 341
HP:www.uehara-modaernart.jp

【静岡美術50年史】バックナンバー
(1)静岡で美術は可能なのか?/静岡県立美術館 学芸部長 泉万里さんインタビュー
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1582663.html

(2)理系からみる美術の本質/静岡理工科大学 奥村哲准教授インタビュー
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1583558.html

(3)静岡美術の50年史をつくろう!/静岡県の学生作の美術作品から過去50年の静岡美術史を振り返る
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1588512.html

静岡県の美術50年史をつくろう!

連続特集【静岡美術50年史】(静岡時代:vol.40)
静岡県には静岡師範学校時代からの静岡大学、常葉大学、静岡文化芸術大学とこれまで多くの学生美術が生まれてきた。
伝説の学生の美術作品に映る、大学生の欲求や不満、美的思想。かつてと今の大学生をつなぐ、静岡の学生美術50年史!




本展では、ここ50年の静岡県の大学生の伝説と言われる美術作品を集めました。
作品からはかつての大学生の迷いや葛藤、美的思考の変遷をご覧いただけます。
本展が静岡の学生美術を鏡に、大学生から見えた時代や風景へ踏み入れていただく機会となれば幸いです。

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Next▶︎▶︎
【美術はどこから来て、どこへ向かうのかーー】

“理系”から見る美術の本質

連続特集【静岡美術50年史】(静岡時代:vol.40)
元々、美術の本質は幾何学に基づく比例理論だった。そもそも人はなぜ美しいと思い、感動するのでしょうか?
人が美しいと思うとき、脳はいったいどうなっているの? 神経行動学を専門とする奥村先生に聞く、美術と科学の関係。





■奥村 哲(おくむらてつ)先生 《写真:中央》
静岡理工科大学 総合情報学部 人間情報デザイン学科 准教授。
歯学部卒業という意外な経歴をもち、解剖・ 生理・薬学を駆使して、脳神経の可能性を追求してい る。先日産まれたご長男にメロメロの様子でした。



「美しい花」があるのか、「花の美しさがあるのか」

――人はどういったものを「美しい」と感じるのでしょうか?  

(奥村先生)例えば花を見て「美しい」と感じるとき、人によって感じ方は異なります。 では、そもそもその「美しさ」はどのようにして存在するのでしょうか。  

ここでひとつ質問をしてみましょう。この世界には「美しい花」があるのか? それとも、「花の美しさ」があるのか? 花の美しさだけを花から取り出して、どこかへ持っていくことは出来るでしょうか。


――花がなければ美しさも分からないので、美しさだけを取り出すことはできないと思います。  

(奥村先生)確かにそれは難しそうですね。だとすれば「花の美しさ」という概念そのものは存在しなくて、「美しい花」と いう物がそこに在るということになります。では、何に美しさを感じるのか。 このとき二つくらい考え方があって、 まず一つはあなたが言ったように、物のなかに美しさを見出す考え方です。 美しさだけを取り出すことができないので、物質である花そのものが美しけ れば美しいということになります。

その対極にあるのが、「美しい」と いう属性を花自身が纏っているという 考え方です。美しさが物質と切り離された状態で存在するということになります。こうした理想の美の存在は昔から議論されていて、美術作品や画家の中には、この理想の美というものを絵 や彫刻などによって表現しようとした人もいます。ならばその美しさはどこにあるのか? もしかしたら脳の中かもしれませんね。




――確かに。では、絵を描くとはどういうことなのでしょうか?  

(奥村先生)普段、人は何かを描こうとしたとき、「○○はこういうものだ」という頭の中の概念で描こうとします。唐突ですがちょっと鳥の絵を描いてみて下さ い。目や鼻、くちばし、翼など、鳥の特徴をつかんだ絵になりますよね。でも現実にこんな鳥はいませんね。この鳥はあなたの頭の中の思い込みを描いたものなのです。  

他方で、視覚で捉えたものを画像として脳に刷り込んでいく記憶法(フォ トグラフィックメモリー)により、まるで写真のような絵を描く人もいます。水玉の服を着た人を描く場合、彼らはその水玉の数やしわに隠れている 位置さえも精密に再現することができます。逆に普通の人は「この人の服は 水玉模様だ」と言語化してしまうので 水玉の数なんかはいい加減にしか描け なくなってしまう。  

ただそれは、画像の記憶をもとに描くことに思考がないというわけではありません。言語を用いて概念化するのとは違うということです。


――どういうことでしょうか?  

(奥村先生)例えばサルやゾウが描いた絵を見た ことはあるかな? 結構、いい絵を描くんだよ。言語能力を持たないサルやゾウが絵を描くということは、彼らは言語以外の方法で考えているということです。例えば、色で考えて描いているのかもしれないよね。  

あるいは、ラスコーの洞窟壁画にも近いことが言えます。ラスコーの洞窟壁画は、およそ一万五千年前の先史時代、おそらく、言語がまだそれほど発達していない時代に描かれたという説があります。つまり木々も動物も何も かもが言語化されていない状態で描かれた絵。本来、そういう言語で考えない思考というものは誰にでもあるんだけど、言語化した時には忘れてしまう。  

言語で世界を認識する人たちには言 葉で抽出できることしか描けないのかもしれない。でも、絵をみるときには 作者の言語化できない考えを感じているはずです。それが美術作品をみた時の感動や心を動かされるってことに繋がっているのかもしれません。






――美しさには言葉以外の思考も含まれているのですね。とはいえ、どうしても言語で考えがちです……。  

(奥村先生)例えば、花ってなんで美しいんだろう? 一つには、花の持つ色の鮮やかさですよね。実際に存在する花の種類 は色鮮やかなものが多いけれど、でも生物学の視点で言えば地味な色の方が 花を食べにくる動物に見つかりにくいはずです。進化のなかで変化してきた わけですが、そう考えると花は美しさを誰に見せているのでしょうか。  

一つの考えとしては、鮮やかな色によって虫を惹き付けるという植物の戦略が考えられます。植物が子孫を残すためには受粉しなくてはいけません。 蝶の目にはヒトと違って紫外線が見えます。紫外線で見る花はオシベやメ シベのところがとても目立って見えます。カラフルで美しい花の「美しさ」 は生きるために美しい。美しさは生き るためにあるのかもしれませんね。


脳の中で美のシグナルはドーパミン 「美」は生物の生命力や楽しさに宿る

――「美術は生きる力」と言いますが、 花の美しさにおいても通じる側面があるとは驚きです。  

(奥村先生)僕が研究している小鳥にジュウシマツという種がいます。この鳥はお父さんの真似をして一生懸命に歌を練習す るんです。その集大成として歌でメスを誘惑する。そのとき、大きく目立つ 声で歌っていたら敵に襲われるリスクが高まりますよね。ですが、あえての ハンディーキャップを持ちながらも美しい声を響かせることが、「元気に生きている」というセクシーなシグナルになる。歌を学ぶだけの能力があり、 歌って踊るだけの体力を持つという生命力や遺伝的な資質の高さを示しています。ジュウシマツは子孫を残すため、生きるために歌っているんです。

――生きていくうえで「美しい」という感情は不可欠ということでしょうか?  

(奥村先生)確かにそういう事になりますね。ただ、僕は美しさは楽しさからも生ま れたと思いますね。実は ジュウシマツは元々は羽毛が少し茶色なんです。 羽毛の濃さは外敵から身を守り、捕食圧を下げる為のものです。二百年前に描かれた絵にもそれは見て取れます。



しかしその後、人に飼われ、外敵に襲われるリスクがなくなるなかで今ではすっかり白くなってきている。そしてもっと派 手な歌を呑気に歌うようになっていま す。リスクを負ったなかで生命力を示す ためにより美しい声を持つようになる という面もあると思いますが、実はそもそも歌ったり学習しているときの鳥 の脳ではドーパミンという物質が出ています。ドーパミンは、例えば、上手くいかなかったことがやっと成功した 時に分泌される。腹側被蓋野という脳の深いところから分泌されて、脳全体に広がります。すると、その時の思い出が良く残って、学習が成立していく んだよね。  

鳥が純粋に楽しく歌っているとき、 つまりドーパミンが分泌されているときに活動する脳部位は、ヒトが鏡を見 て化粧をしている時や何かに見惚れて いる時に活動する部位と似ています。 つまり、美しく変わっていく自分、またはその変わっていく状態を楽しいと感じている可能性がありますよね。生 物が生きるために存在する「美しさ」 もあれば、楽しくて、つい夢中になって続けるからこそ生まれてくる「美しさ」もある。そうした言語化できないものを表現するのが美術だとすれば小鳥の歌や野山に咲く一輪の花の生き様 のなかに「美しさ」の本質が隠されているのではないかと思います(了)





奥村先生の過去記事はこちらをチェック!
2014/06/12
恋のメカニズムを教えて!〜脳科学から検証する、恋愛理論〜
連続特集:「静岡時代の恋愛論」「恋」や「恋愛」は、感覚的でよくわからない。理由があるにしても、どれも後付けな気がしてしまいます。論理的に「恋」を検証したら、私たちの身体の中では一体、何が起こっているのでしょうか。「恋」に科学的な視点を向けて、「人が何故恋愛をするのか」、理由を探っていきます。脳科…




静岡で美術は可能なのか?〜美術土壌論〜

連続特集【静岡美術50年史】(静岡時代:vol.40)
美術館に美術作品を収蔵するということは、その美術作品を歴史化するということ。
世界各国からどんな作品を、どんな基準で集めているんだろう ? その価値って?静岡県立美術館の学芸部長の泉万里さんに聞きました。



■泉万里(いずみまり)さん《写真:中央》
静岡県立美術館 学芸部長。日本美術史学者。
専門は 日本中世絵画史で、屏風絵や絵巻物を扱った研究をされている。東北大学文学部、大阪大学大学院文学研究科にて日本美術史を学んだ。


■三好景子(みよしけいこ)《写真:左》
静岡大学4年生。本企画の編集長。

■宗野汐莉(そうのしおり)《写真:右》
静岡大学3年生。本記事の筆者。

(取材・文/静岡大学 宗野汐莉)

「こわれやすい美術」文化的価値を残していく


―― そもそもなぜ美術品を収蔵するのでしょうか?

(泉さん) 端的に言うと、美術品はこわれやすい動産なのです。放っておいたら、どこかへ行ったり、劣化してしまいます。 例えば、明治時代の廃仏毀釈です。日本の仏教美術の名品が寺から離れ、海を渡り、ボストン美術館などに収蔵されました。そこで大切に管理されているとはいえ、日本の宗教、社会、歴史的観点からみても重要な作品を日本に留めることができなかったことは残念です。美術館や博物館が収蔵すること で文化的価値のある作品を日本に留め、大事にすることができます。美術館によって収蔵基準は異なりますが、静岡県立美術館の場合、収蔵基準は5項目あります。

17 世紀以降の日本または西洋の風景画、近代以降のロダンを中心とした国内外の彫刻、 20 世紀以降の美術動向を示す作品、静岡県ゆかりの作家または作品、富士山をモチーフとした作品です。1986年の開館当時は「17 世紀以降の日本または西洋の風景画」を主として収集していました。その後、ロダンの彫刻「考える人」を寄贈していただいたことを きっかけに、ロダン館を一九九四年に開館します。そうして収蔵基準が、近代以降のロダンを中心とした国内外の 彫刻、今を生きる私達を囲む美術品、 静岡県という地元で活躍してきた作家の作品、富士山をモチーフとした作品など徐々に増えていきました。






――時代によって変わる部分と変わらない部分があるのですね。
ちなみに、 美術品の購入にはどのくらいのお金がかかるのでしょうか?
 

過去に購入した作品のなかで高額なものは一点で数億円になります。実際にどれだけの金額が使われてきたかは 『静岡県立美術館年報』(ホームページ 「美術館概要」に公開)で公表されて います。今は、どこの美術館も作品購入予算は削減され、展覧会を開く経費も減っています。その打開策として複数の美術館が合同で一つの展覧会を企画する巡回展がよく行われています。  

現在、当館では山梨県立博物館と合同で「富士山〜信仰と芸術〜」展を開催しています(※現在は終了)。古より信仰の対象とされ、芸術の源となった富士山の文化的意義を示す為、富士山に関わる文化財を一堂に集めた展覧会です。互いの学芸員の強みを活かして、当館は絵画、 山梨県立博物館は古文書や民俗学、彫 刻といった仏教史、信仰の分野からこの展覧会を成り立たせています。美術館だけでなく、神社仏閣や個人、コレクターの方など、色々なところからお借りしながら、富士山と文化に関わる歴史的変遷や、信仰を起点として生み出された造形をご覧いただけます。




静岡は絵画、山梨は古文書や民俗学。互いの学芸員の強みを活かす

――社寺や個人の方からも作品をお借りするんですね。驚きです。  

(泉さん)出展作品の一つに山梨県の江原浅間 神社の御神体である神像があります。 女神像を背中合わせで三方に配し、中央に如来の半身を配しています。富士山の神様は古くから女神であると考えられていますが、それを造形として確認できるのは平安時代に造られたこの神像が最古のものです。その地域の信仰の篤い方々によって何百年と守られてきた神像ですので、展覧会にお借りする事も簡単ではありません。山梨県の学芸員がお願いを重ねて、今回お出まし頂いているのです。  

他方で当館の収蔵品も、他の美術館 や博物館、海外へ貸し出す場合もありますが、日本の美術品はデリケートな 紙や絹が基本です。当館の収蔵品にしても、誰かからお借りする美術品にしても、長い時間、誰かの手によって守られてきたものを、いま私達が壊すわけにはいきません。作品を守ることも学芸員にとって重要な仕事です。あまりの責任の重大さに寿命が縮んでしまいそうな思いです。




誰かの手によって守られてきた今、私達が壊すわけにはいかない

――美術館に限らず社寺や個人の方が美術作品の価値を認識し、残されてきたことで後に分かることがあるのですね。ただ、例えばロダンの彫刻など同時代を生きた作品でないものに、今を生きる私達はどのような価値を見出すことができるのでしょうか?  

(泉さん)作品にはそれぞれ生まれてきた背景、社会、歴史があります。これらの要素が全て凝縮し美術品という形となって残るのです。それが歴史を越えて、現代の私達の元にあるということの面白さがあります。例えばロダンの『地獄の門』が発表された19 〜 20世紀 は、今で言う現代美術として捉えられたでしょうね。私達も今の現代美術に対して衝撃を覚えますが、『地獄の門』 も同じだっただろうと推測できます。  

いつの時代も、その同時代を生きる作家の評価は定まりません。今は注目されていない作家でも、百年後には世界的に有名な作家となっているかもしれないし、逆に忘れ去られているかもしれない。ものの価値を決めるのは最終的には時間です。現代美術を収蔵するときは、同時代人としてその作品をどうとらえるかだけでなく、後世の人 達に誇れる収蔵品となるか、学芸員はとことん考えます。  

必要なのは想像力です。想像することで作品に対する昔の人の見方や思いを呼び起こすことができ、美術品の 知的な面白さを発見できるはずです。 様々な時代の美術作品や文化財と対話できるのが美術館です。時間を越えた作品が癒しや和みを与えてくれる瞬間もあります。ふっと現実を忘れさせてくれる美しさへの陶酔、自分が解放されるチャンネルとして美術作品や文化財を利用してみてください。





















ー静岡県立美術館ー
http://spmoa.shizuoka.shizuoka.jp
静岡県立美術館では、オーギュスト・ロダンの作品32 体を常設展示しています。屋内展示であるため保存状態は良好です。




■もっと深く掘り下げたい人へ泉さんからのオススメ本!
 アーロン・エルキンズ『偽りの名画』. 1991. The mysterious press 出版 .


神様は私たちを幸せにするの?〜静かな岡の神探し:総論編〜

連続特集【静かな岡の神探し】(静岡時代:vol.39)

【本特集は全国学生フリーペーパーの祭典SFF2015にて「心惹かれる一冊」に選ばれました!!】
講評はこちら→http://sff-web.com/kokoro.html

人間はみんな「正しくありたい」と思うのは同じなのに、どうして人の考え方はこうも違うのだろう。人が神に惹かれる理由を、哲学を専門とする松田先生に聞きました。古代の人の思考や文化、慣習から考える神様幸福論。実は、誰もが無意識に神をもっていたのです。




松田 純先生《写真:中央》
静岡大学 名誉教授。
専門は哲学、生命倫理学。西洋哲学、現代の医療・生命科学・バイオテクノロジーがもたらす倫理問題に取り組む。ロボットスーツHAL を難病者の治療に役立てるための治験のプロジェクトにも関わっている。


■山口奈那子(やまぐちななこ)《写真:右》
常葉大学[瀬名キャンパス]4年生。本企画の編集長。

■渡會由貴(わたらいゆき)《写真:左》
静岡大学4年生。本記事の執筆者。


(取材・文/渡會由貴)


法律さえ守っていれば社会は成り立つのか?


ーー人はみんな「平和でありたい」と思うのは同じなのに、宗教は争いの種にもなります。どうしてでしょうか?
 
(松田先生)宗教はもともと、神などの超越的なものへ人を結びつけ、人と人とを結びつけるものと考えられますが、歴史を振り返ると、宗教ほど、人と人とを分裂させ、対立させ、争わせてきたものはないとも言えます。
 
例えば、キリスト教とイスラムとの対立の歴史は長く、十字軍とオスマン帝国との対立など、戦争を含む激しいものでした。キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、元をたどれば同じ神を崇めています。同じ創造神を崇拝しているのに、なぜ対立するのかと思われます。しかし同じ神を信仰の対象としているからこそ、信仰の正統性をめぐって、かえって対立が根深いわけです。
 
国家と宗教の関係では、現代の多くの国は、政教分離の原則をとっています。そのなかでも、フランスの政教分離政策(ライシテ)は最も厳格です。ムスリムの女性たちのスカーフ類をイスラムの象徴とみなして、学校での着用を禁止する法律を二〇〇四年に制定し、学校からスカーフを排除しました。こうした政策は、国家と宗教との関係をかえって難しいものにしています。


ーー国家と宗教は切り離せませんね。国家を成り立たせるうえで神はどのように関係してくるのでしょうか?

(松田先生)ドイツの哲学者ヘーゲルは政教分離を積極的に主張したことはほとんどありません。むしろ「宗教は国家の基盤だ」ということを強調しています。文字通り捉えると、権力者が神の代理人として国を統治する古い神権国家の考え方のように聞こえますが、これはきわめて現代的な問題に通じます。現在、わたしたちは法治国家に暮らしていますが、法律や規則がちゃんと整備されていれば、国家は成り立つのかという問題です。



ーーどういうことでしょうか?
 
(松田先生)法と道徳という問題でもあります。法律は基本的に、してはいけないことを定めて罰する、あるいは損害賠償を命じるという役割があります。法は人を外から強制するものですが、人々が生活する上で必要な、「他人への思いやり」や「助け合い」は強制できるものではありません。それは道徳の問題です。
 
ドイツのベッケンフェルデという憲法学者は「宗教は国家の基盤だ」というヘーゲルの言葉を現代のなかで解釈し直し、手続き的な正義が形式的に守られるだけで、国家は存立できるのかと問いかけています。法の整備によって最小限の秩序を保つことができれば、社会や国家はうまくいくのか、ということです。
 
ヨーロッパでは「連帯」ということが強調されます。日本風に言い直せば、相互扶助、支え合い、助け合いです。こうしたものが下支えしなければ、社会や国家はうまくいかないのではないか、という問いです。
 
連帯は、フランス革命のスローガン「自由、平等、博愛」のなかの博愛から発展したもので、現在ではカトリックの社会倫理学でも重要な概念です。元をたどれば、キリスト教の隣人愛です。他の文化圏では、仏教の慈悲、中国思想における仁愛などが、それに対応します。こうした道徳心の源に宗教があります。
 
現在においても、なおこうしたものが生きているから社会は存立していますが現代国家は、この「文化資源」をただ食いつぶしているだけではないのか、その資源が枯渇したとき、社会や国家はどうなるのか、ということがベッケンフェルデや、それをうけて哲学者のハーバマースらが問うていることです。ヘーゲルは、政教分離の原則以上に重要な問題をわたしたちに投げかけています。




▲「この話ならこの本」と、先生の鞄の中からは次々と参考図書が登場! 本の裏表紙の余白には、先生のメモがぎっしり。


科学と宗教は相反しない。科学をきわめると宗教的境地に達する


ーーそう考えると、人が神に惹かれる理由もわかります。でも、本当に存在するか確証のない神を、なぜ信じることができるのでしょうか?
 
(松田先生)最近は脳研究が盛んですが、人間が神を見出した理由を脳研究などの成果をもとに論じた興味深い本(ジェシー・ベリング『ヒトはなぜ神を信じるのか――信仰する本能』)があります。人間の脳には自分の心を他のものに投影する働きがあります。自分の心の動きを参考にして、他人の心理を読むとか、「相手の立場に立って、ものを考える」という働きです。これは人間特有のものです。
 
この投影作用から、「いつも自分を見張ってくれている人格を持った神」という感覚が生み出され、さらに、神は人間が悪いことをしたら罰を与え、善いことをしたら幸せを与えてくれるという信仰が生まれます。自分の心を他のものに投影し、心をもった他者のことを考えることができるという人間の脳の特徴から、神への信仰が生まれるという説です。ちなみに、山口さんは科学と宗教は対立するものだと思いますか?


ーーはい。科学は宗教を否定しているイメージがあります。
 
(松田先生)科学と宗教の対立といえば、ガリレオが宗教裁判にかけられ地動説を撤回させられたという例が有名です。しかし、科学と宗教は最終的には一つになることができると私は考えています。現に、その道をきわめた偉大な科学者のなかには、宗教的境地に達した人が多くいます。アインシュタインは「宇宙的宗教感覚」ということを語り、これこそ「科学的探究の最も強力な、最も崇高な動機だ」と言いました。マックス・プランク(「量子論の父」と呼ばれたドイツの物理学者)は、科学は「真実に対する愛と畏敬の念を深める。畏敬の念は、知識が前進するたびに、われわれを存在の神秘と向き合わせる」と語っています。

▲難解なドイツの哲学者ヘーゲルの考え方を順をおって丁寧に教えてくださった松田先生。学生にも人気の先生です。



物質や宇宙の成り立ちを考察する物理学や宇宙科学の分野だけではありません。ミクロな生命科学分野でも同様のことが言えます。わたしたちの体は六〇兆個の細胞からできています。顕微鏡でしか見ることができないひとつひとつの細胞は、とても複雑な構造をしています。さらにミクロな世界におりると、細胞核があり、そのなかにDNAがあります。二〇世紀の生命科学は、生命現象の究極の単位の謎を解き明かしました。

ところが、人類の知がこのミクロな世界に達したとき、逆に、超マクロなつながりが見えてきました。生命はすべてつながっている。生命の源は宇宙にあるということです。宇宙創成の科学者、佐治晴夫はこれを「すべては、ひとつのものから始まった」「からだは星からできている」と詩的に表現しています。これは、禅や曼荼羅や修験道、アニミズムなどの境地に近いのではないでしょうか。


ーー宗教と科学は根底でつながっているんですね。世界はどうしたら宗教とうまく付き合っていけるのでしょうか?

(松田先生)「宗教」と称するものがじつにさまざまであるため、一概に言えませんが、人々を精神的に高めるような宗教には、愛、慈悲、仁愛、誠実といった人間が生きていく上で不可欠なものが共通してあるように思います。これらの表現の違いや、宗教儀礼や習慣の違いを超えて、この共通なもの(かけがえのない文化資源)について対話を通じて共通理解をもつことが、対立を超えて和解に達する道ではないでしょうか。それがわたしたちが生き延びていける道ですが、まだまだ時間はかかりそうです。

ーー神の境地は難解ですね……。でも、文化資源を大切にすることは世界共通のように思いました!(了)


■もっと深く掘り下げたい人へ松田先生からのオススメ本!
 佐治晴夫『からだは星からできている』春秋社/2007 年


【静かな岡の神探し】バックナンバー
(1)「神とはそもそも何なのか?」〜静かな岡の神探し:入門編〜/静岡県立大学国際関係学部 飯野勝己先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1567949.html

(2)「静岡の神的物語を深堀り!神×仏(+編集長)の神学対談」/
静岡浅間神社権禰宜 宇佐美 洋二さん・長興寺住職 松下 宗柏さん
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1575473.html

(3)「静岡県の大学は、古代聖地の上に立っている!?」
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1577078.html


静岡県の大学は、古代聖地の上に立っている!? 〜6千年前の静岡県地図を辿る〜

連続特集【静かな岡の神探し】(静岡時代:vol.39)

【本特集は全国学生フリーペーパーの祭典SFF2015にて「心惹かれる一冊」に選ばれました!!】
講評はこちら→ http://sff-web.com/kokoro.html

6千年前の静岡県と大学の位置関係の謎!

大切な場所、触れてはならない場所というのは、時代が代わり、大切さの意味が変わってもなんとなく維持されるものだろう。
静岡県の地の拠点は、古代の信仰の拠点の上に知らず知らず建っている!?

<静岡県の大学の大半が6千年前の海岸線に沿って建っている不思議!>
▲縄文海進期は海水面が高く、内陸まで広がった湾の海岸線に沿って信仰の場がつくられていた。ちょうどその上に、びっくりするくらいに現代の大学の立地が符合する。完全な例外は東海大学海洋学部だが、そういえばここは「海の大学」である。ぶれてない。なるほど、納得である。
※学術的裏付けはまだない大風呂敷です。


ただの深読みか?にしては辻褄が合いすぎる

図書館に行くと、『静岡県史』という一冊の厚さが広辞苑ほどあるたいへん立派な本が数十冊ずらーっと並んでいる。いちばん最初の巻である「通史編1・原始・古代」を開くとすぐに上のような地図が載っている。いまから9千〜6千年ほど昔、縄文海進と呼ばれた古代の静岡県の地形図である。当時の地球は温暖期で、海面の高さが現在より最大5メートル程度高く、内陸の相当部深くまでが海だったようだ(地形図見ると現在の久能山なんて独立した「島」になってますね)。
 
で、この古代の海岸線に現在の静岡県の地図を大雑把に重ねると、不思議なことに、そこには大学が建っていることが多いのである!もうお分かりと思うが、寺や神社も同じく多い。古代の日本人は、海と陸の「境界」の土地を神聖視し信仰の場をつくったという。現在の神社や寺が古代の沿岸地帯に集中するのは恐らく古代の名残りだ。時代が変わってもなんとなく「大切な場所」は手付かずで残されるだろう。後世の人間が大学をそのような土地に建てたのは偶然ではなさそうだ。



静岡市@縄文時代

<6千年前の海岸線を現在の静岡市の地図に重ねると……(だいたい)オカルトすれすれ都市解釈!>
▲静岡県営の文化施設である東静岡駅前のグランシップと総合運動場。グランシップはかつて海の中にあって、巨大な船の形をしている。運動場はかつての陸にあり、新体育館が竪穴式住居をモチーフにしたデザイン。完全に偶然だろうけど、やたらと腑に落ちる。これが都市の無意識か。

都市は古代からの人々の信仰によって形作られる

上図は静岡市中心部の現在の地図と古代の地形図をものすごく大雑把に(すまん)重ねたものだ。グレーで塗った部分が古代の海、紙白の部分が陸地だったエリアだ。寺や神社と重なるように大学が建っている。

明治5年まで、駿府城には「駿府学問所」があった(『静岡時代37号』特集「時代は移れど学生は悩む、の系譜〜小和田美智子先生」内に明るいですが、「駿府学問所」はいわばのちの東京大学の原形になったような学校です)。地図を見る限り、旧幕府の政治的中心都市はどうも、浅間神社〜清水山にかけての、呉服町〜鷹匠町静鉄沿線「信仰の一本道」に沿ってできあがっているようだ。同エリアは現在でも繁華街や閑静な住宅地が続く。双璧は久能山エリア。日本創世神話で有名な草薙神社のすぐ隣りに建っている県立大は象徴的だ(同大は古墳群でもある)。

わざわざ地図を開かずとも、街中を歩いていて、ひとつ通りを超えると「なんか雰囲気が変わったぞ」みたいなことって普通にある。案外そこは古代から続く信仰の境界線かもしれない。


【編集長と副編集長が実際に歩いてみた!】▶︎▶︎



静岡の神的物語を深堀り!神×仏(+編集長)の神学対談

連続特集【静かな岡の神探し】(静岡時代:vol.39)

【本特集は全国学生フリーペーパーの祭典SFF2015にて「心惹かれる一冊」に選ばれました!!】
講評はこちら→ http://sff-web.com/kokoro.html




■松下 宗柏(まつしたそうはく)さん《写真:左》
長興寺 住職。
本取材中には東京外国語大学時代に磨かれた英語が頻繁に飛び出し、取材陣もびっくり。
研修で海外に行ったり、自宅へ留学生を迎えたりと国際色溢れるお人柄。

■宇佐美 洋二(うさみようじ)さん《写真:右》
静岡浅間神社の権禰宜として神明奉仕をしている。
大学時代には2 月極寒期の川へ入水し、禊を行ったことも。現在も社務の前には水を浴び、心身を清めています。

■山口 奈那子(やまぐちななこ)(写真:中央)
常葉大学[瀬名キャンパス]4年生。本企画の編集長。

■山田 はるな
静岡大学3年。本記事の筆者。

(取材・文/静岡大学 山田はるな)

キリストは天からはじまり、日本は「地」からはじまる


本誌編集長 山口:神社とお寺では「神」の捉え方はどのように違うのでしょうか?

浅間神社神職 宇佐美さん:よく日本の神は「GOD」と認知されていますが、実際には「GOD」は一神教のキリスト教が掲げる絶対神です。日本の場合、アニミズムといって、山や川、水、雷、地震などの自然や自然現象にも神々が宿るという多神教の考えです。日本は農耕民族ですから、理屈なしに自然を崇めるのです。

長興寺住職 松下さん:歴史もほかの宗教と違い、原始時代からあると言われていますね。あと違いといえば、仏教、特に禅は自覚の宗教です。経典や教義を説くことによって神仏の教えを言語化します。でも神道は言葉はいりません。感応道交、つまり感じるんです。

宇佐美さん:神道のことを「随神の道」ともいうのですが、「神のご意志のままに」という意味です。何か願いがあるのなら、人が解決するのではなく、人が神に仕え、神にしていただくという感覚です。主体が人ではなく、神なのです。一方、仏教は人が主体ですよね。

松下さん:人間はつい理屈や分別心からの言葉を発してしまいます。禅仏教においてはこれらの解放、すなわち無我になることから始めなければならない。神道は禊で身心を清め、禅の場合は呼吸法で行います。自分が無我になった時、初めて天地と一体となり、自然や命の力を自覚します。プロセスは違うけど、神様の教えに出会うんです。その体系があるから対立しません。





山口:仏教は唯物論で、究極的には「自然現象の背後に神などいない」という考え方だと思っていたのですが、松下さんは「神」という存在をどのように考えていますか?

松下さん:仏教は神様なしに語ることはできません。理屈でいえば仏教と神々とは直接には関係ないのですが、同時に受けいれていくのが日本の特徴です。奈良時代に仏教を浸透させていくために、聖武天皇らが奈良の大仏をお造りになったり、国分寺を建立したりしました。

宇佐美さん:「本地垂迹説」という神仏習合の考えがあります。仏が仮の姿である神の姿でこの日本に現われるという思想です。神仏を拝むということが自然の営みで、それが日本人の感覚です。

松下さん:ウクライナからの留学生をホームステイで受け入れた時に、「神道と仏教が平和的に共存しているのはありえない」と言われましたよ。

宇佐美さん:日本で親しまれている仏教は、もともとの仏教とは異なるんですよね。土着信仰である神道と深く関わって展開したため、山岳信仰に基づく修験道にその結びつきが典型的に現れています。日本には八百万(やおよろず)の神々といって多くの神々がいますが、仏もGODも外国の神として受け入れ信仰してきました。

松下さん:ただ受け入れたものの、日本人の土着の文化や精神では受け入れ難いものもありますよね。例えば、色んな花の種が日本に入ってきて、それぞれが日本の土壌に合わせて花が咲いているようなもの。これをよしとするのが日本です。



山口:日本はその土地や文化にあわせてうまい具合に宗教を取り込んでいるんですね。

松下さん:キリスト教は絶対神々のいる天からはじまるけど、日本は地からはじまるんです。

宇佐美さん:そうそう。日本の場合、農耕民族になってから神を感じるようになりましたが、農耕民族は一カ所に定住するため、そこで生きるためにコミュニティをつくるんです。そのコミュニティの中心になるのが神社のある区域でした。「社会」という言葉は、「社(やしろ)で会う」という意味です。昔、神社を中心に村ができたことから生まれた言葉です。

松下さん:神々が降りるから祈り、お参りする。そこに人が集まります。

宇佐美さん:静岡浅間神社も、はじめは神社という建物はなく、一帯が杜でした。杜自体が不思議なものを感じる神域であったため、そこにだんだん建物ができ、人々は神社を参拝するようになったんです。まさに地からはじまっていますよね。ちなみに、「静岡」という地名の由来は静岡浅間神社のある「賤機山(しずはたやま」に由来があるんですよ。

種をまけば根付く土壌がある。神はいるのではなく「在る」もの


山口:神社やお寺は山の近くにある法則性に疑問を抱いていました。山そのものが神なのでしょうか?

宇佐美さん:静岡浅間神社の中の「浅間(あさま)神社」は1100年前に富士宮の浅間大社(本宮)から分祀されました。浅間神社は富士山を拝む信仰です。富士宮にある山宮浅間神社は本殿を持たず、遙拝所の先に富士山があるという原初的なつくりを今に伝えています。ちなみに、神を数える時「一座、二座」と言うのですが、実は山も同じ数え方なんですよ。

松下さん:お寺も山を背負っていますね。仏教でも神道でも地の神様に挨拶をします。どこにも属さず、そこにずっとある土地の力を神と名付けています。



山口:「山」が私たちの社会をつくりあげるうえで、目に見えないエネルギーの源泉になっていたんですね。そうしてかつての人たちが大切にしてきた場所や文化、思想は今の時代にも残っているのでしょうか?

宇佐美さん:古代の人が大切にされていたものが山にあると思います。文物を流通する中心もこの賤機山でしたし、神や古墳が祀られた場所です。それに、実は常葉学園は浅間神社から始まったんですよ。創立者の木宮泰彦さんはお寺の息子さんでしたので、戦後すぐに当初は臨在寺を借りて学校を開こうとしたところ事がうまく運ばず、そこで浅間神社の北回廊を借りて仮校舎とし学校を開いたのが始まりなんですよ。常葉という名の由来、常緑樹も神道にまつわるものなんですよ。

山口:では、もしも自然破壊や人間の神に対する記憶・の欠如によって、土地から神がいなくなってしまったら、これまで大切にされてきた静岡の土地や社会構造はどうなってしまうのでしょうか?

宇佐美さん:「神が居なくなる=人が居なくなる」ということだと思います。

松下さん:そう。種をまけば根付く土壌がある、これは神々が宿っているからです。元からあるもので、いなくなるものではありません。そうして古代から脈絡と人の営みは続いてきました。現代文明でも、気(生命力)を養わなければ気が枯れてしまいます。だから、大地を汚してはいけない。皆さん意識はしていないかもしれないけど、神々は人間を幸せにしてくれているんです。

山口:やっぱり、山に神はいるんですね。神と仏が争うことなく存在している日本は素晴らしいと思いました。


■もっと深く掘り下げたい人へのオススメ本!
 松下宗柏さん推薦!
▲大法輪閣編集部『仏教・キリスト教・イスラーム・神道どこが違うか』大法輪閣. 2001年


宇佐美洋二さん推薦!
▲竹田恒泰『古事記 完全講義』学研パブリッシング.2013年


【静かな岡の神探し】バックナンバー
(1)「神とはそもそも何なのか?」〜静かな岡の神探し:入門編〜/静岡県立大学国際関係学部 飯野勝己先生
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1567949.html

「神とはそもそも何なのか?」〜静かな岡の神探し:入門編〜

連続特集【静かな岡の神探し】(静岡時代:vol.39)

【本特集は全国学生フリーペーパーの祭典SFF2015にて「心惹かれる一冊」に選ばれました!!】
講評はこちら→http://sff-web.com/kokoro.html

安全を保障してくれるわけでも、存在が本当かどうかも分からない神。それでも神は私たち人間にとって必要なの? 言語哲学を専門とする静岡県立大学の飯野勝己先生に聞いた、「神」の起源。そこから見えたのは、私たちのいるこの世界とわたしの、「存在そのもの」の不思議だった。




■飯野勝己(いいのかつみ)先生《写真:左》
静岡県立大学 国際関係学部 准教授。専門は哲学、言語哲学。最近は言葉のコミュニケーションにおける力のあり方や、言葉の暴力性について研究。大学教員になる前は、平凡社に勤め、平凡社新書編集長等を歴任。


■亀山春佳(かめやまはるか)
静岡英和学院大学4年生。本記事の筆者。

■山口奈那子(やまぐちななこ)《写真:右》
常葉大学[瀬名キャンパス]4年生。本企画の編集長。


(取材・文/亀山春佳)

自然に発生したには緻密で不自然なこの世界

ーー「神」という概念はどのように成立したのでしょうか?
 
(飯野先生)「神」という概念が生まれたのは、「この世界はなぜあるのか」「なぜ世界はこのような構造になっているのか」「なぜ私はここに存在しているのか」というような根拠や原因、不思議な感覚、畏敬の念が根本にあると思います。
 
よく考えてみると、この世界は人間を含めた生物など、自然に発生したものにしては、ものすごく精密にできていますよね?
物理法則なども非常にシンプルな数式で表せます。数学のような抽象的なものと、現実の法則がなぜこんなにもぴったりと一致する構造になっているのか。普通の感覚では理解し難いわけです。そうすると、聖書に書かれているような「神」という自然から超越した存在を考えないと説明がつかない気がしてきます。
 
旧約聖書の『創世記』には、神が世界を言葉によって創造した様子が書かれています。「光あれ」と言ったら光が生まれ、「水の間に大空があって、水と水とをわけよ」と言ったら空と海が分かれる。また新約聖書の『ヨハネによる福音書』には、言語を強調するような書き方がされています。「はじめに言ことば(ロゴス)があった。言は神とともにあった。言は神であった。その言ははじめに神とともにあった」と。「ロゴス」は言葉であると同時に論理です。つまり、「神=言葉=論理」です。論理によって、この世界はなぜかちょうどうまい具合に、比較的安定した形で成立しています。聖書をかいた人が科学的なマインドを持っていたわけではないと思いますが、結構言い当てている気がして面白いなと思います。






ーー論理によって創造された世界は、例えば地震など、すべてが人間にとって良いものばかりではないですよね。なぜ「少し不具合の起こるような世界」がわざわざ造られたのか不思議です。
 
(飯野先生)神様がいるのなら、悪や災いの存在はなぜあるのかということですよね。
諸説ありますが、神は人間を「自由な行為をする存在」として創った、自由を与えられた人間は善いこともすれば悪いこともする、それは神様の責任ではない、という考え方が一つあります。あるいは、人間という不完全な存在が身勝手な視点でみるから災いなのであって、偉大な神の視点からみると災いではない、という考え方とか。これらはどちらかというと、神を全知全能であり、完璧な善なる存在とみるキリスト教的な考え方です。一方、我々日本人に身近な多神教では、普通に悪さをする神がいますよね。どちらの世界も災いがさまざまに起こるということです。
 
それでも人間が神を求める理由は大きく二つあると思います。一つは、「この世界はなぜあるのか」という自然の起源を考えるから。原因の原因を遡っていくと、無限に遡ることになってしまうから、哲学ではそうではなく第一原因、「不動の動者」といった何物にも動かされずに他のものを動かす存在が語られることがあります。一神教的世界観の「神」に通じる考え方です。
 
一方、世界で起こる様々な出来事や自然現象に魂や霊的な存在を感じて、自然現象を人間に対するメッセージと捉えていく、そういう感性は多神教的です。そうしたアニミズムの範囲は狭まっていますが、今も在り方としては同じだと思います。人間は自分とは異なるものに自分と同じような心を認め、コミュニケーションを行っています。そう考えると、神とは「他者」なんじゃないかな。例えば、我々は誰も見ていないところでも悪いことはしにくいですよね。自分のなかに神の目というか、一般化した他者の視点を持っていて、善かれ悪しかれ自分を律している部分があると思います。だからコミュニケーションや社会が成り立っているわけで、言葉を可能にする人間の根本的な能力や、倫理・道徳の面で、人間は神という存在を潜在的にもっているのだと思います。




現代は科学や国家、メディア、教育が神の肩代わりをしている

ーー確かに神とのコミュニケーションは聖書や祈り、預言者など対話のみです。でも、本当に言葉だけで、神の存在を信じられるのでしょうか?
 
(飯野先生)キリスト教の神学では、神の存在を理論的に論証しようという営みが強いです。また、聖書ではモーセの十戒のように神の声は堂々と描かれています。ですが、日本のような多神教では、あまり言質をとることはありません。その違いは論理や言葉を使って、ロジカルな捉え方をする文化であるか否かが影響していると考えられます。
 
そもそも抽象的な概念や現象は、言葉を与えられて初めて輪郭がくっきり見えるようになります。本当は昔からあるんだけれども気づいていなかったんじゃなくて、言葉が与えられていないのはある意味、存在しないことなんですよ。
 
同時に、言葉は単なる音や記号ではなくて、物理的な力に匹敵するし、人を動かすこともできます。例えば、なにか約束をしたら、自分も相手も拘束することになりますよね。言葉が交わされる前は何もない平衡状態だけれども、言葉を他者に投げかけることによってバランスの変化が生じます。言葉のコミュニケーションというのは、いわば貸し借りの関係の様なものです。
 
それがよく表れているのが、キリスト教における神と人間との間に結ばれる契約です。「父と母を敬え」「人を殺してはならない」とかね。与えられた言葉に対して、応えなくてはならない。そこに力も生じるし、それに反するといろいろよからぬことが起こる。




ーー言葉が宗教で果たした役割は大きかったんですね。言葉により「神」という概念を誰もが認識しやすくなりますが、その言葉の力や人の意識は時と共に薄れてしまう部分もありますか?
 
(飯野先生)潜在的に神を必要とする心は構造としてあると思います。今は存在の根拠や不思議の対象としての神と、信仰の対象としての神が分裂している状態にあります。では、前者の神の肩代わりをしているものは何か。それは日常的な常識や科学、メディア、教育、国家といったものでしょう。かつての宗教はデパートのようなもので、いまの科学やメディア、教育の持つ機能、礼儀作法や道徳、倫理などをすべて包み込んで、人間の共同生活、社会生活を支える大きな役割を果たしてきました。社会の構築や生活習慣は、昔は神話や宗教の教義によりつくられていたんだけれども、それがどんどん分業化していったわけですね。

神の肩代わりとして機能しているものの例としては、「経済的な繁栄を追究しなくてはいけない」というような絶対的な価値、善です。何かしら世の中を支える原理を、社会にしろ、政治にしろ、国家にしろ必要としています。現代の社会には、神ならざる神が姿や形を変えて、ある種の信仰のように存在している。場合によっては人々を圧迫するような構造もありますが、そういう神や信仰のようなものを設定しないと社会が落ち着かないという部分もあるんじゃないかな。もちろん無条件の信仰のような構造になると、それがよからぬことにもつながるので、批判的にみることも大事です。
 
根本的な謎から出てこざるをえないような神もあれば、社会の価値観の原理原則のなかに信仰の構造のようなものとして働いている神もいれば、日常のなかに名残としてある霊的な意味での神もある。いつの時代も、神と呼ぶかは別として、我々の生活のなかに関わっているし、残り続けていくだろうと思います(了)



■もっと深く掘り下げたい人へ飯野先生からのオススメ本!
 上枝美典『「神」という謎―宗教哲学入門』 / 世界思想社.2007 年

ワークの掟【その4】〜"はたらく"の疑問にお答えします。ワークルール一問一答!〜

ワークの掟(その4)〜はたらく生存戦略!ワークルール一問一党〜
新聞やテレビ、先輩から耳にする、働くトラブル……。社会人の世界はそんなにも厳しいものなのでしょうか。鉄板ネタから学術的なネタまで、そもそもなぜこのような問題が起こるのか?一般社団法人ワークルールの女性社労士のお二人に聞きました。







■鯉渕ヒロミ(こいぶちひろみ)さん
社会保険社労士。
これまでに、およそ1万人の学生に講座を実施してきました。
鯉渕さん自身は「人前で話すのが苦手」と言いますが、参加者からはわかりやすい解説だと好評です。





■鈴木麻祐子(すずきまゆこ)さん
社会保険社労士。
社会保険労務士法人への勤務、労働局への勤務経験を経て、社会保険労務士事務所ダブルブリッジを開業しました。
高校生のワークルールへの理解を深めるためセミナー活動も行っています。



■一般社団法人ワークルール
2014年4月1日設立。
大学生、専門・専修学校生、高校生などの若者に対し、社会で働く上で必要な、ワークルールの基礎、多様な働き方の情報を身につける機会を提供している。県内外問わず、大学、高校生を対象にワークルールの出張講座も開講。
また、労働法がわかりやすく解説した冊子『知っておきたい ワークルールの基礎知識』(通称:青い本)は、現在静岡県版と全国版が発行されている。キャリア支援関係者の他、大学・高校生のあいだで好評を得ている。
http://www.workrule.jp



問1:入社誓約書を書いたら、もう内定辞退できない?


答.法的には問題なし。とにかく早めの決断をせよ!

そもそも内定(入社)誓約書には、大きく二つの機能があります。それは、企業と内定者の間でかわす仮の労働契約と、労使関係を結ぶためのお互いの意思表示確認という機能です。会社によって呼び方や誓約書の有無には違いがありますが、お互いの意思確認という点では非常に大事な誓約です。

ただ実際のところ、誓約書に法的な拘束力はありません。だからといって、簡単に辞退を考えてしまうのはトラブルの元です。「入社日二週間前の辞退であれば法的に問題ない」とも言われますが、企業は内定をだした学生の入社を前提として、年間計画を立てています。急な内定辞退は大変な迷惑がかかります。皆さんご存知のように、その印象は自分の大学や後輩にも影響を与えてしまいます。難しい判断だとは思いますが、辞退をする場合はなるべく早く報告しましょう。そのときのポイントは、「明確な意志」と「誠意」をみせること! 会って話して、謝罪しましょう。

かつても今も、就活は学生優位の売り手市場と言われています。しかし、今はかつての景気がいい時代と比べると、企業側も余裕がありません。厳選して採用をしていて、内定をだした学生は必ず確保したいとう風潮が強くなっています。そのため、過度な囲い込みや「終われハラスメント」も問題になっています。でも逆に、そういう企業の対応や態度が、その会社に就職するかどうかの判断材料にもなりますよ。





問2:求人と時給が違う……。これってブラックなの?


答:求人票はあくまで「広告」。善悪の判断基準を自分で持つ!

ドーモやアイデムなど、求人誌に掲載するにあたり事前審査があるものはよいのですが、街中の張り紙には注意が必要です。最低賃金よりも低い賃金で働いているなど違和感を感じたときは、雇用主に確認しましょう。ポイントは契約時に交わす労働条件通知書や求人票を持っていくことです。契約書と実際の労働形態が異なる場合は、即時契約を解除できます。ただ、時間が経つほど、自分もその労働条件を認めていることになります。目安としては六ヶ月かな。

「ブラックバイト」という言葉も流行っていますが、経済の破綻により、2005年頃から従来の企業と労働者間のアメとムチの関係が崩れてきました。企業が労働者に与えるアメ(安定した給与など)が難しくなったことにより、ブラックという考え方が広く拡散したんです。「どうせアルバイトだから」といって、転職を繰り返すと、その後の働き方や自分の履歴書を汚してしまう可能性もあります。

実際、私たち社労士も企業の方から「この人を雇っても大丈夫か」など採用について相談を受けます。そのときに見るのは「一カ所に三年以上いられたか」「転職の回数」です。アルバイトを転々としているのなら目的を聞きます。ですから学生側も、自分の価値観や善悪の判断の基準を定めておくことが大切です。働く知識を増やし、自分のもつ権利を最大限利用して、「ここなら私は働いていける」という場所を見つけてください。






■お知らせ
「働く人の知っとくゼミナール」開催!
日時:11月7日(土)
場所:一般財団法人 静岡県教育会館 特別会議室(地下)
時間:14:00~16:30(セミナー・質疑応答・個別相談)
▶︎講座の詳細はコチラ


■ワークの掟:バックナンバー

「先輩に学ぶ、ルールの必要性」
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1474140.html

「社会の仕組みを知って、ブラックを回避せよ!」
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1474215.html

「ワークルール史の分岐点を探せ!」
http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1475603.html



「自分のものさしを知る」ための、本のたしなみ方〜静岡時代の「本」論【4/4】〜

静岡時代4月号(vol.38):静岡時代の『本』論《4》
本は、今の自分ではわからないことを言語化・論理化する起点を持っています。参考書や文献など、本と接する機会が増える大学時代。得られる情報の幅を拡げ、吸収した知識を自分の糧として学生生活に活かすためには、どのような着眼点を持って本を読めば良いのでしょうか。1冊の文学作品を通して、県内高校教師の原田まや子さんと読書対談を行った現役大学生が『大学生の本の読み方』を学んでいきます。




■原田まや子さん(写真:右)
静岡市立高校国語科教諭。静岡大学人文学部言語文化学科卒。静大・酒井教授の著書『「ノルウェイの森」を語る』で5年前に対談した事がある。原田さんは授業の際、何通りもの読み方を用意することで、幅を持たせているそうです。

■度會由貴 (写真:左)
静岡大学4年。本好きな女子大生。
図書館や書店によく足を運び、本に囲まれた生活を送っている。「なぜ自分は本に惹かれるのか」という問いを出発点に、今回の企画をつくりました。

■漆畑友紀
静岡英和学院大学2年。
古典文学、現代文学を好んで読む大学生。当記事の執筆担当者です。

対談に使用した文学作品
■村上春樹『ノルウェイの森』
主人公の「僕」が親友のキズキや直子、そして大学で出会った緑との関係の中で、青年期に誰もがぶつかる 、愛・性・対人関係にもがき、成長していく物語。現代の若者たちと重なりつ つも、少し異なった価値観を持ち、異なった生き方をしている主人公達を知ることで、今生きることを考えさせられます。だからこそ大学生の今、読んでおきたい作品です。
(静岡大学人文社会科学部言語文化学科教授《※取材当時》 酒井英行先生 推薦)


本が代弁してくれるもの


(本誌編集長:度會)『ノルウェイの森』は大学時代の話のため、共感する部分が多くありました。例えば主人公「僕」の親友である 直子の、年齢だけが大人(二十歳)になって、中身が伴っていないのではないかという感覚です。また、「僕」の 大学の友人である緑の、わからないということを隠さないところにも惹かれ ました。原田さんは大学時代に『ノルウェイの森』を読んだことがあるそうですが、当時感じたことはありました か?

(原田さん)当時の私は、ちょうど直子の生き方と境遇が重なっていました。直子と同じで他人とうま く関わることができず、社会に適応できていなかったんですね。一方、緑のように身近な人を失う経験もしました 。まさに、直子と緑の置かれている状況 から自分を客観視することができました。自分がただモヤモヤしたまま言い表せないものを、村上春樹が代弁してくれたように思いましたね。

(度會)本から新しく言葉を獲得することは、本から自分をつくる営みですよね。例えば、「僕」の先輩の永沢が、本について「時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくない」と言います。時間が生み出す価値は私の中にもある概念だったのですが、「時の洗礼を受ける」 という表現の仕方ってすごい!と感じました。

(原田さん)そうですね。思い返せば、卒論を書く時、初めて自分は消費者側ではなく、生み出す側の立場になったのだと思えましたね。それまでは自分なりの方法で勉強していたとしても、すでに出来上がった巨大な社会から知識を貰うことを繰り返していたんです。「これはこういうものだ」と自分で論文を書いていくとき、それまでに本でもらった言葉から生み出していく感覚がありました。



言葉にできない何かを言語化・論理化していく


(度會)本は自分の中の「わからない」という気持ちを言語化・論理化するための起点をもっていますよね 。そういう意味でも本は自分をつくるインフラだと思います。しかし必ず言語化できるわけじゃないですよね。『ノルウェイの森』では、「僕」は親友のキズキと直子の自殺を受け入れようと、「死は生の対極としてではなく、 その一部として存在している」という真理を提示しています。私はこれに関して何とも解釈できませんでした。身近な人を失った経験がなく、その痛みとか穴をまだ理解できていないんです 。二人がどうして死んでしまったのかも私には謎のままに終わってしまいました。

(原田さん)キズキと直子の死の原因ってわからないですよね。ただ 「僕」には届かない他人だったということです。震災以降、「つながり」 や「絆」という言葉がたくさん消費されている気がします。だけど、他人と本当の意味で繋がるということは難しい、という地点にまずは立たなければなりません。その地点に立つことをこの作品は教えてくれます。

(度會)なるほど。作品の中で象徴的にでてくる「恋愛」「性」に対しての考え方も理解し難いものでした。みんな孤独の埋め合わせのように恋愛をしていて、大学生の恋愛の域を超えている気がしました。だからなのか、この人に感情移入した!という人はいませんでした。

(原田さん)『ノルウェイの森 』は『源氏物語』に似ていると言われています。『源氏物語』は光源氏と関係をもった様々な女性が描かれています 。『ノルウェイの森』も同様に、主人 公「僕」を通して、直子や緑などの女性、あるいは「僕」と寮で同室の突撃隊といった人間が照らされているんですよね。

(度會)確かに似ていますね!

(原田さん)みんなまんべんなく魅力を持っているんです。感情移入できないけど、様々な人間性を知っておくことが必要です。突撃隊のように、どこか欠けている不器用な人の人間性を認めるって、難しいけど大事ですよね。私は高校教師として毎年300人の生徒とすれ違っていきますが、その人達をどう「眼差し」ていくかという根幹は本からもらったものだと感じています。





「いつでも卵の立場に立つのが小説だ」


(原田さん)ちなみに、度會さんが緑に憧れた部分は、物語中盤で緑が大学のシステムに疑問を投げかけるところですよね?

(度會)はい。周りの大学生達は、わかったような顔をして難しい言葉を使い、わからない緑を馬鹿にするんです。でもそういう人たちが大企業に就職していく。緑はわからないから質問するし、わかったふりするのが当たり前な社会におかしいって言える女性なんです。

(原田さん)ここってとても大事だと思うんです。村上春樹の有名な演説に「壁と卵」の話があります。「壁 」を社会のシステム、「卵」を人の個々の魂と言い換え、卵は、壁を前にいつでも無力です。でも春樹は「いつでも卵の立場に立つのが小説家だ」と言います。社会が提示する物語にはある種の意図が含まれていて、私たち卵はそれを相対的にみなくてはいけない。

本はインフラってその通りだけど、システマティックでなくてもいいんです。今の社会に順応するための基盤をつくっていく必要はなくて、むしろシステムに相対する力が必要です。


(度會)そのためには自分をどうつくればいいのでしょうか?

(原田さん)今は情報化社会で 、知りたいことがすぐ手に入ります。 そのなかで小説の良さは、その時はわからないけれど、どこかでその人のベースになり、なんらかの形で自分の人生に影響していくことだと思います。 そこから自分なりの物語をつくっていくんです。知的な営みをしている今の大学生に求められていることだと思います。

(度會)今は解釈できないことも、全部自分の中にとどめておいて、 自分を社会化する材料にしていくんですね。わからないこともたくさん吸収して、そこから痛みを伴いながらも自分の物語をつくっていけたらと思います。



このお話をもっと深く掘り下げたい人へ原田まや子さんからのオススメ本!
◉ 小森陽一「大人のための国語教科書」角川書店.2009 年.

「読みたい本」との出会い方とは?〜静岡時代の「本」論【3/4】〜

静岡時代4月号(vol.38):静岡時代の『本』論《3》
古書店は、本の仕入れから価格決め、販売まですべてをこなす本のスペシャリストだ。 彼らは本にどんな価値を見出し、誰にどんな体験を届けようとしているのだろう? 浜松で古書店を営む田村夫妻に聞いた、私のまだ知らない「読みたい本」との出会い方。




■田村直美さん(写真:右から2人目)
時代舎古書店の店主さん。静岡女子大出身。学生の頃の趣味が古本屋巡りだった。

■田村和典さん(写真:右から3人目)
時代舎古書店で直美さんを支えるお父さん。静岡大学出身。書籍の説明や本に対する想いのひとつひとつに熱を感じられました。

■度會由貴 (写真:右)
静岡大学4年。本が大好きな静岡時代4月号(vol.38)編集長。

■河田弥歩(写真:左)
静岡大学2年。本との出会い方を知るべく取材にむかった、静岡時代4月号(vol.38)副編集長


■本に対する自分のものさし。「絶対価値」を持つ。



ーー本の価値はどのように決められるのでしょうか?

(時代舎)本には、本と読者との間で決まる「絶対価値」があります。例えば、百円均一でも自分の人生を変える出会いってあるでしょ?逆に十万円の本でも、読んでみたらつまらないこともある。読者が決める価値ですから、古書業者は流通価格だけを決めます。
流通価格は、〈絶対価値×希少性×人気度〉で決まります。人によって本の絶対価値は違いますが、本そのものの本質は変わるものではありません。例えば、 聖書には絶対的な価値があるけど、無料で配っているものですから普通は売れません。それがグーテンベルクの聖書だと一冊が十億円になる(希少性)

しかし、ヨーロッパでは需要があってもイスラム圏や仏教圏では需要がない (人気度) 。このように、流通価値と本の持つ絶対価値は違うというのがポイントです。


ーー人によって違う本の絶対価値をどのように選別するのですか?

(時代舎)うちの店は文学、郷土史、人文系の本が多いですが、雑誌や漫画だけで棚を埋める古書店もあります。同じ古書店でも選別するふるいの目が違うため、何をセレクトするかがお客さんを選ぶキーワードになります。  

古書店に訪れるお客さんは 、本を読む人の中でも更に深く読みた い人、自分の生まれる前の本に出会いたい人です。クラスにいる、うんと本好きの一人を集めた中の、更に5%くらいかな。どういう本を選ぶかというと 、「新刊で手に入らない本」「他の古書店に置いてなさそうで、うちのお客さんが欲しそうな本」を選びます。 新刊書店はいまニーズがある本を売りますが、現代という局面ではなく時代を切り取るのが古書店です。うちは江戸時代くらい前までの本を扱っていますね。でも、それぞれの店舗で完結しているのではなくて、古書店はみんなで手分けして読者に本の価値を届けようとしているんです。






ーーどういうことでしょうか ?

(時代舎)世の中にはありとあらゆる人間活動の本があって、それをお客さんに届けるのは一人、或いは一つの組織ではできないことです。新刊書店では、その店舗でお客さんに売る分が全てですが、古書店の場合は業者同士で行われる古書市があります。

例えば 、他の店で百円で売っていた本を、自分は千円と評価して売るなど、市場そのものが金融みたいなんですよ。そういうやり取りを繰り返して、あるべきお店、持つべきお客さんの元へ本が届くように市場全体で取り組んでいるんです。本のなかでも古書は、奈良時代からずっと蓄積されているものです。それ自体が歴史を持っています。 新刊じゃありえない出会いの面白さがあるんです。一冊一冊の本がもう死んでしまった人の人格を持っていて、そこに残影なり怨霊なりの形で残ってるわけでしょ? つまり、古書は情報的な知の部分と、歴史や過去の人が生きていた時代や思想と出会うという 二つの側面があるというわけです。

実際に「本は出会い」と言うお客さんはいます。これを逃したらもう会えないという思いはあるようです。以前、大阪のお客さんが来て、何万もするような本を「探してたんです! 買うので送ってください」 いうことがありました。時代を切り取り、その本とお客さんを繋ぐのが私たちの仕事です。「ようやく出会えた」とスキ ップして帰っていく姿を見ると嬉しいですね。



■人生で読める本は二万冊。学生時代に本に出会う。

ーー時代と出会うのが古書店の魅力なんですね。でも、なかなか「自分のためにあるような本」を見つけるのは難しいです。どうしたら自分の本に対する絶対価値を見つけられるのでしょう?

(時代舎)学生時代は文学全集や叢書で色んな本と大量に出会うのもいいと思います。容易に見つけられるものではないし、例えば四十歳過ぎになって、ふと「あの本が自分のコアにある 」と思い出すこともあります。二十年前の本はもう新刊書店にない場合もあ って、なかなか見つからないこともある。その時は古書店がキーワードになります。  

ただ、ここで静岡県の古書店が苦戦しているのが、「十八歳の過疎」という問題です。最も本を読む時間があるのは、十八歳から三十歳くらいです。ですが、静岡県をはじめ地方都市は、高校卒業後に都会の大学へ進学する人が多いです。そのまま都会で就職したとしたら、帰ってくるのは三十歳過ぎ。つまり、一番本が読める層が過疎なんです。加えて浜松市は昔から欲しいものを買うのではなく、必要なものを買う町だと言われています。だから、なかなか難しいわけ。



古書店には、流通業者として、今売るだけでなく、次の時代へ本を残していく繋ぎの役目もあります。古書というのは買ったら自分のものだけど 、その本自体は時代の海の中にあるから自分だけのものではないんです。昔のように 図書館や公民館に寄贈できない今は、古書店やリサイクルショップなど、色んな方法で海に帰ります。

そうして次の時代の人たちが彼らの感性で必要とする本をピックアップして、また役立てていくんです。その時に価値ある本をなくしちゃいけな いから、本を補修するとしてもどこを直したか分からないくらい綺麗に直す 。残すことが重要なんです。

それに だんだんと歳を取って 、自分の一番ディープな部分に触れる本を読むなら、原本で触れるときっと違うものに出会えると思いますよ。 その本をもう一度読みたいんじゃなくて、その本の形でよみがえる自分のなかのコアな青春の部分に出会うんです。古書店は二十年、四十年、百年と時代の奥へ行く縦構成です。時代を越えた、その本時代が持っている輝きや煌めき、絶対価値の高い本との出会いが、古書の魅力です。(取材・文/河田弥歩)




■「古本のタイムトンネ ルへようこそ:時代舎古書店」
浜松市中区松城町106-13
☎ 053-4 53-1334 (火曜定休)





100年後の静岡県にも残る本の条件とは?〜静岡時代の『本』論【2/4】〜

静岡時代4月号(vol.38):静岡時代の『本』論《2》
静岡県には何百年も前から残され続けている本があります。その名も『葵文庫』。そもそも本は、なんのために残され、社会や地域、そして私たちにとってどんな価値をうむのでしょうか。今回は静岡県立中央図書館で司書を務めている渡辺勝さんに、残された本から読み解く静岡県と学問の歴史を伺いました。




■渡辺勝さん〈写真:中央〉
静岡県立中央図書館 調査課一般調査係。葵文庫が必要な理由、書物が人や社会を動かしてきた背景を熱く語る姿から、葵文庫への探究心が伝わってきました。 渡辺さんの一押し葵文庫は家庭百科事典「厚生新編」!

■度會由貴 (わたらいゆき)〈写真:右〉
静岡大学4年。本が大好きな静岡時代4月号(vol.38)編集長。

■小泉夏葉(こいずみなつは)〈写真:左〉
静岡大学3年。本記事執筆担当者。渡辺さんのお話を読者へわかりやすく伝えるため、本文からプロフィール文まで、一生懸命執筆していました。


◉江戸の学びを静岡県へ。人や社会にとっての『本』論



(静岡時代)静岡県立中央図書館では、江戸幕府が収蔵していた貴重書を「葵文庫」として永年保存していますが、そもそも江戸にあったものがどうして静岡にきたのでしょうか?

(渡辺さん)「葵文庫」は江戸幕府が持っていた 資料で、幕府の教育・研究の責任者だった林家にあった本の一部が静岡にやってきたものです。
大政奉還が行われ、江戸幕府が終焉したあと、徳川家がどうなったか知っていますか? 今まで日本の統治者だった徳川家は地方の一大名という形で静岡(駿府)の城主となりました。 その時、幕臣たちには選択肢が与えら れました。明治政府に鞍替えする人、武士を辞めて江戸で商売を始める人、 将軍様とともに静岡へ下る人、薩摩・長州に反発して戦争を起こした人もいました。いわゆる戊辰戦争ですね。しかし結果としては静岡へ下る人は少なくなかったようです。

駿府移封にあたり、徳川ゆかりの人と物とがごそっと静岡にやってきました。人の移動でさえ大変です。書物を運ぶのはなおさら手がかかるのに、どうして貴重な資料を静岡まで持ってきたのか。それは江戸幕府で学んでいた西洋の優れた文化を、そのまま静岡の地でも学んでいこうという想いがあったからなんです。そのために駿府城内に駿府学問所が開設されています。持ってこれなかった資料は国会図書館や東京大学などに残されました。




(静岡時代)静岡県立中央図書館に収蔵されるに至った経緯はあるのでしょうか?

(渡辺さん)駿府学問所が廃止されると 、江戸幕府の資料(江戸幕府旧蔵資 料)は、静岡大学の前身である静岡師 範学校に移動しました。その後、今の県庁の隣に「静岡県立葵文庫」という名前で図書館が設立され、ここに収められました。ここは図書だけでなく、静岡の文化事業を担う一大センター だったそうです。江戸幕府旧蔵資料を市民へも公開したんですよ。昭和四十五年に現在の場所に図書館が移転し、「静岡県立中央図書館」になりました。この際に、今まで親しまれてきた「葵文庫」という名前を江戸幕府旧蔵資料の愛称にしよ うとなりました。

つまり、「葵文庫 」には 二つの意味があるんです。一つは県庁の隣にあった頃の図書館、もう一つが 現在の江戸幕府旧蔵資料を指す言葉ですね。


(静岡時代)「葵文庫」にはどのような本があるのですか?

(渡辺さん)「葵文庫」 は和漢書が一二六一冊、蘭・仏・英・独などの洋書が二三二五冊あります。洋書のほうが多いです。これは江戸幕府が西洋の技術を積極的に取り入れようとしていたから です。その中でも早急に学ばなければならなかったのが兵法、つまり兵事・軍事技術です。『熕(こう)鉄全書図 』には大砲を作るうえで必要となる製 鉄所の作り方が載っています。韮山反射炉を作る際にも、同種の資料が実際に用いられていたんですよ。他に城の作り方を書いた『築城典刑 』や軍用馬の飼育法をまとめた『相馬略』、また『三兵答古知幾』『仏蘭西答屈智幾』といった戦術書などがあります。





(静岡時代)残された本からどんなことがわかるのでしょうか?  

(渡辺さん)書物はある程度まとまり に なることで価値を生みます。「葵文庫」は一冊一冊の価値も非常にあるけれど、「葵文庫」全体を見ると、徳川 幕府が何をしようとしていたかがわかります。多数の洋書があることから、 鎖国で西洋の情報をシャットアウトしているように見えて、実際には西洋の 技術を書籍をもとに学んで研究しようとしていたことが読み取れます。また駿府移封にあたり、 持 ってくる資料を選んできていますよ ね。そこから当時どんな本が重要だと判断されたのかがわかります。

(静岡時代)「 葵文庫」に限らず、 残されていく本に条件はあるのでしょ うか?

(渡辺さん)まず一つは、単純に内容が重要、面白い本が残ります。昔、本は基本的に写本という形で流通していました。写本は手書きですから、手間がかかります。読んで面白くなければわざわざ写したりしませんよね。「葵 文庫」でいうと、先ほどの『熕鉄全書 図』は違う名前で同じ内容の資料がた くさん出てきています。それだけみんなが求めていて、重要な内容の資料だったということです。大量の写本が出回ったため、燃えたものがあっても、今に残っています。時代の淘汰に対して 、数が勝ったんですね。

そしてもう一つ考えられるのが、ある人が重要だと思って、たまたま残るように保管していたという 場合です。これはまさに「葵文庫」に言えることです。『厚生新編』は幕府の翻訳事業で作られた家庭百科事典です。これは部外秘で作られたためオリジナルしかありません。でも今に残っているのは、江戸幕府の資料として大切に保管されてきたからですね。




(静岡時代)残された本はこれからの社会や静岡県にどんな影響をもたらすのでしょうか?  

(渡辺さん)本は生もの的なところがあります。当時は、流行していた情報や必要とされていた情報が載っているものが売れます。それらが五十年、百年たった今にも通ずるかというと、どうしてもややズレてしまいますよね。しかし、残された本から当時の情勢や必要とされた情報を知ることができます。ニュース的な価値から歴史的な価値へと資料の持つ価値が変わってくるんです。

例えば、福沢諭吉の『学問ノスゝメ』 は当時のベストセラーでした。明治時代より前は、生まれによって身分が決まってしまう時代です。そんな中、突然「自由」と言われてもどうすればいいかわからない。そんな人たちが新時代を生きる上で指針とした本が、『学 問ノスゝメ』でした。「勉強した人が豊かになり、偉くなっていくんだ」という一つの指標になっていたのです。 これは今に通ずる部分もあるし、当時こういう考えで人々にうけたんだっていう二側面で今知ることができます。 ニュース的な価値と歴史的な価値に明確な境目があるわけではないですね。


(静岡時代)なるほど。でも、なかには流行していたと考えられるのに、散逸してしまったものもありますよね?  

(渡辺さん)先ほどの写本の話から言うと、やはり面白くないものは残っていきませ ん。ただ、重要な資料でも不運にもすべてが燃えてなくなってしまった場合 もあります。偶然残ったもの、残らな かったものと言ってしまえばそうです が、数によってその偶然の確率が上がるのは事実です。

(静岡時代)では、これからの未来にはどんな本が残されていくのでしょうか?

(渡辺さん)まず、図書館の仕事は情報を求めて いる人に、その情報が載っている本を届けることが仕事です。利用者のニーズを把握し、すべての本をすべての読み手に結びつけようとしています。

ニーズは社会の流れによって変化するので、その変化に合わせて本を選んでいくことが必要です。ただし、ニーズだけで判断してしまうと、大衆に受けたものが価値ある本だということになってしまいますよね。少数の人しか手にとらなかった本でも、内容が重要であれば置いておくべきです。その判 断もとても重要です。また、当館は静岡県に根付いた資料や静岡県の歴史を語る資料も未来のために残していかなくてはいけません。図書館としての役割を担うためにはどの要素も大切ですから、その選定は司書の腕の見せ所だと感じています。(取材・文/小泉夏葉)




■静岡県立中央図書館
静岡市駿河区谷田 53-1
※葵文庫はこちらをチェック!
「Digital 葵文庫」 http://www.tosyokan.pref.shizuoka.jp/aoi/



どうして人は「本」を読むの? 〜静岡時代の『本』論【1/4】〜

静岡時代4月号(vol.38):静岡時代の『本』論
「自分」をつくる知恵も行動様式も使う言葉も、きっと、その下部構造(インフラ)は大学時代に形成される。そのインフラの代表が、「本」なのではないでしょうか?「本」から得られる情報はジャンルに富み、膨大で、時に疑問を解決する手段になったり評論や小説の言葉が私たちの思考の道具になっているのだと思う。つまり、先生や親の言葉も知恵も実は「本」から生み出されたもので、「本が人をつくっている」のかもしれない。今回は、静岡大学で日本文化を専門とする小二田誠二先生に、本の歴史を遡りながら、人と本の関係を伺いました。




■小二田誠二(こにたせいじ)先生〈写真:中央〉
静岡大学人文社会科学部言語文科学科教授。専門は日本文化。実録と呼ばれる分野で、江戸時代の情報伝達を材料に、「四谷怪談」などの怪談や敵討事件の事実と虚構について研究。春には山菜採取に出かける。先生の研究室に入ると、製本の技術が身につく。

■ 度會由貴 (わたらいゆき)〈写真:左〉
静岡大学4年。静岡時代38号(本シリーズ編集長)

■三好景子(みよしけいこ)〈写真:右〉
静岡大学4年。本記事執筆者。


◉静岡県でつくられた本が日本人の思想の礎となった



(静岡時代)私は「本」=自分をつくる「インフラ」だと考えています。そもそも本ってどんなものなのでしょうか?  

(小二田先生)買ったけど読んでない本や通読した本で、自分の生涯のリストをつくったら、きっと自分を理解するにはすごい資料になりますよね。そういう意味では、本がその人を形成していると言えると思います。それに、もともと静岡県は本とつながりのある土地です。日本の鋳造金属活字の発祥地なんです。「駿河版銅活字」といって、徳川家康の命によりつくられました。浜松に漂着した中国人が技術責任者となり、貨幣の鋳造と同じような方法で活字をつくったと言われています。当時、家康が駿河版銅活字で印刷したのは、国を治めるうえでの考えや工夫が書かれた本でした。江戸時代は大きな侵略も内戦もない泰平の世でしたよね。文治主義の背景にはこの駿河版があったわけです。

ただ印刷に関する技術はすぐに江戸へ普及したため、その後それほど静岡県の出版に影響を与えていません。地方の寺子屋の教科書なども江戸でつく私たちは「本」で獲得した言です。しかし、静岡県でつくられた本のなかには、日本人の思想の礎になったと言えるものがあります。明治につくられた『西国立志編』と『自由之理』です。欧米の成功事例や政治学に関する書籍を、中村正直が発行とほぼ同時期に翻訳しました。静岡県でいち早く出版されたんですよ。


(静岡時代)個人だけでなく、社会や日本 人をつくるうえで、本は昔から価値あるものとして扱われてきたんですね。

(小二田先生)一方で、一冊の本の価値って誰かが決められるものではないですよね。少し話は変わるけど、先日古書市の企画で八〇年代のバンド「ジャーニー」の記録映画のチラシを売ろうとしたんだけど、誰も買わないんですよ 。だから「誰もいらないみたいだし、破りますね」ってその場で私が破ったら、そこにいた人はみんな動揺してしまったの。さっき自分にとって価値がない(買わない)と判断したものだけど、年月が経っているということだけで何かものに価値を見出すんだよね。本の価値なんて誰にも分からない 。

だけど、本の価値を社会が決めてしまって、検閲される本も過去には多くありました。今、私たちは本を自由に選べる社会だと思います。でもそういう社会は、伝説的なライブラリアンによってつくられたものなんで す。そういう人たちが静岡にもいました。



一九九六年に静岡市立中央図書館が収蔵していた『タイ売春読本 』を廃棄するよう市内の市民団体から 要求がだされたことがあります。そのとき「静岡市の図書館をよくする会」の佐久間さんという方が異議申し立てをしたんです。そういう本の存在を社 会から隠してしまうことの方が犯罪だ 、と。今、ヘイト本を書店に陳列するかどうかも問題になっているけど、陳列 しているからこそ私たちは判断できる。でなければ私たちは判断力を失ってしまいます。


(静岡時代)社会的に本の内容が取捨選択されることがあるのですね。今は本を自由に選べる時代とのことですが、小二田先生は本から自分の思考法が形成されたといった体験はありますか?

(小二田先生)人生においてすごく影響を受けた本はあります。
私が研究者を目指したきっかけは、学生時代に読んだ松田修さんの『複眼の視座̶日本近世史の虚と実』という本です。江戸文学の研究者が歴史上の事実の根本的な疑問を、認識の問題として論じています。語り継がれている説はあくまでそれを伝えている人たちの認識であって、どれが本当の事実なのかは分かりま せん。例えば、キリストやナポレオンはいなかった説なんて聞いたことがなかったので、衝撃を受けましたね。歴史学からも文学からも取り残されているジャンルがあるということを知っ て、それが今の研究にもつながっています。また最近は、本の探し方も変化していますよね。ネットで本を買うと「あなたへオススメ」って出てくるけど、誰かが関連付けた本って自分にとってはあまり意味をなさない。私は図書館にいくと、目当ての本の周辺の本と背後の棚の本を見るようにしています。本を探すという経験をすることで自分だけの関連付けができ、新しい発想に繋がることがあります。






◉メディアはメッセージ。『本』という媒体自体に意味がある。

(静岡時代)本棚から自分の思考をつ くることにつながるって、面白いですね。

(小二田先生) この発想は「本という媒体」であることが重要です。ただ一方で、本は「本 という媒体」じゃなきゃだめなのかと疑問にも思います。影響を受けている本ならなおさら、本が「本という媒体」であることはあまり意味をなさないんじゃないかな。夏目漱石の『こゝろ』 を初出の朝日新聞で読んでも、青空文庫で読んでも伝わるメッセージは同じはずなんですよね。

(静岡時代)でも、得られる情報は一緒だとしても、書店に行きたくなるし、お気に入りの本は手元に持っておきたい。本が本である魅力って何なんでしょう?

(小二田先生)『メディア論』で有名な、文明批評家のマーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言っています。凄く不思議な言葉ですよね。メッセージを伝えるものがメディ ア (媒体)なのに、その媒体自体にもメッセージがあるだなんて。どういうことかというと、高級料亭の食べ物を、学食のお皿によそった途端にまずくなるようなものなんです。メッセージは食べ物で、メディアは器。器が違うだけで別物に感じるんですよね。媒体によって意味が違うというのは、人間だ から当然あること。本の内容を知っていることと、本を持っていることは全然違う。だから、 我々は一点ものの本が欲しくなったり、高いお金を払ってでも本を持っていたくなるものなんですよ。



(静岡時代)これから本はどうなっていくのでしょうか?

(小二田先生)情報にはフローとストックがあります。実用書など更新頻度が高く、常に流れていくものがフロー。生産や創造において有用性をもつもの、つまり資本となるのがストックです。フロー情報は特段、後に残す必要がありませんから電子化されていくでしょう。一方、 ストック情報は、本という媒体でこれからも享受されていくと思います。そういう意味でも本は人や社会をつくるインフラと言えるのかもしれません。ストック情報には芸術や文学など文化資本も含まれます。私も日本文化の研究者として、縁あって自分の手元に来た本は、次の世代に絶やさず残していかなければと思っています。今まで本という媒体に馴染んできたのに、 我々の代でなくなってしまうのは悲しいですからね。 (了)

■このお話をもっと深く掘り下げたいひとへ 小二田誠二先生からのオススメ本!
松田修 .『複眼の視座―日本近世史の虚と実』. 角川書店 .1981


男は現実を、女は夢を見る?〜モラトリアムの男脳、女脳〜【4/4】

静岡時代12号(vol.37):モラトリアムの男脳、女脳【4/4】
行動や思考法など、正反対の考え方をもつ男と女ですが、モラトリアムの時期を過ごす大学生は大学生活において一体どんな違いがあらわれるのでしょうか?今回は、県内の男女学生2人がモラトリアムを扱った映画「フランシス・ハ」を鑑賞し、物語・登場人物に対するそれぞれの意見を交わしました。静岡産業大学で発達心理学を専門とする菊野春雄先生にもご協力いただき、男女の考え方からモラトリアムの男脳、女脳を徹底分析しました。





■菊野春雄(きくのはるお)先生
静岡産業大学 経営学部 教授。
専門は発達心理学、認知心理学。大人と子どもの違いや子どもの物事への認識の仕方について研究。40 代でモラトリアムを達成した時、「世界は自分のためにあるんじゃないか」とすら思えたそうです。

[聞き手]
■木下莉那(きしたりな)
常葉大学4年(取材当時)。本誌編集長。
大学卒業後、現在は就職先の東京で新しいスタートを切っています。

■野村和輝(のむらかずき)
静岡大学4年(取材当時)。本記事の取材・執筆者。

[取材協力]
■静岡シネ・ギャラリー
静岡市葵区にある映画館、静岡シネ・ギャラリーではサークル等でのグループ鑑賞や上映会企画にも対応しています。お気軽にご相談ください。
TEL:054-273-7450
http://www.cine-gallery.jp/


◉ハンパな私で生きていく。映画『フランシス・ハ』

対談の題材となるのは、モラトリアムを代表する映画『フランシス・ハ』。
親友とルームシェアをして、楽しい毎日を送る27歳の見習いモダンダンサー・フランシス。しかしダンサーとしても中々芽が出ず、彼氏と別れて間もなく、親友との同居も解消となる。もがいて壁にぶつかりながらも、自分の人生を見つ直し、前向きに歩き出していく青臭く美しい物語です。






◉いつも夢見るのは女たち?

女子学生代表・木下:『フランシス・ハ』は特に女性のモラトリアムを描いた作品です。私は何度失敗しても、夢や自信を持ち続けるフランシスに共感しました。私も大学時代というモラトリアムの間、とにかく行動主義でしたから。

男子学生代表・野村:でも現実的な判断ではないところも多々ありましたね。

木下:物語冒頭の「彼氏と同居をするか、親友とのルームシェアを継続するか」の選択を迫られたシーンとか?

野村:フランシスは迷った結果、親友とのルームシェアを選んだけど、僕だったら二つ返事で同居します。フランシスは見習いダンサーで、定職がありませんから。彼氏に養ってもらうこともできたはずだし、その方が堅実です。

木下:私はフランシスと同じです。結婚も意識しはじめる年齢だけど、親友も大事です。それに今、同居を解消したら、親友を困らせてしまうじゃないですか。考えられませんね。

菊野先生:意見が割れましたね。ちなみに僕は野村君と同意見です。男性は「I」、女性は「We」で物事を考えるんですよ。男性は自分第一、女性は人との関係を大事にするということです。

木下:確かに自分だけのことを考えれば、彼氏も好きだし、同居したい気持ちは山々です。だけどできません。

菊野先生:考え方の構造が違うんです。男性は問題解決型の思考をします。自分が直面した問題に対して合理的な行動を取るのです。女性は情緒型の思考、周囲の人間との関係を重視する行動を取ります。発達心理学者バロン=コエーンの言う、システム脳と共感脳です。





◉男がひとつずつ積み上げるものを、女は同時に複数積み上げる

木下:では、物語中盤でフランシスが見習いダンサーもクビになり、勤めていたバレエカンパニーの事務員をやらないかと誘われた場面がありましたよね?フランシスはダンサーにこだわって、「別会社から誘われてるわ」なんて嘘をついてまで断っていましたが、男性からしたら考えられないのですか?

野村:夢も大事だけどまず職探しです。

木下:私はぶれずに夢を追う姿に共感できます。今しかできないものなら尚更です。

菊野先生:男女における生き方の文化の違いですね。男性は段階型で、女性は同時並行型なんですよ。女性は自分が将来のことを思案したとき、考えなければいけないことがたくさんありますよね?

木下:仕事、結婚、出産でしょうか。あとフランシスもそうでしたけど、結婚して子供もできて、落ち着いてきた周囲の人間を見て嫉妬したり、焦ることはあるかも。

菊野先生:女性の場合、例えるならいくつものブロックを並行して積み上げなければいけないわけです。一方男性は、一つのブロックだけを満足するまで積み上げたらその次を積み上げる、という考え方をします。

木下:つまり男性の方が最短ルート?

菊野先生:モラトリアムは、自分が何者かという答えを見つけるために悩み苦しむ期間です。比較的、男性の方が楽に過ごせるでしょうね。女性はより辛い期間になるかもしれません。

木下:迷うことがこんなに辛いとは……。決めてくれたら楽なんですけど。

菊野先生:本当に自由とはある面で幸せで、ある面ではかなりつらく苦しいですよね。ですが、モラトリアムは人間にしかないものです。悩み苦しんだことも大人になるための立派な糧になるんですよ。



◉「もう死んでもいい」。——それがモラトリアムの真のおわり

野村:大人といえば、物語中盤で怖かった場面があります。職も失い、親友とも確執が生まれ、自分の居場所を見失ってしまったフランシスが、同世代の友人達と会食している場面です。友人への嫉妬や自分への焦りから、周りの話に合わせられなかったり、感情的になってしまったりして周囲から冷めた目で見られますよね。「社会に出たら、フランシスみたいな人はやっていけないのか」と怖くなりました。僕自身は、自分らしさを貫こうとするフランシスの必死さが伝わってきて、応援したくなったんですけどね。

菊野先生:私もかわいらしいなあと肯定的に捉えていましたよ。

木下:え!私は違います。空気が読めないフランシスに呆れてしまいました。周りを困らせるし我慢するところだと思います。抑圧している自分を見ているようで痛々しかったですね。

野村:男女両方の考え方を知っておいた方がよさそうですね。でなければ無意識のうちに身を滅ぼしそうです……。何をもって大人というのでしょうか?

菊野先生:端的に言えばモラトリアムを達成するということです。私は40代までモラトリアムでしたよ。モラトリアムが終わったかと思うと、第二、第三と次のテーマが出てくるんです。アイデンティティが変わっていくんですよ。40代になってようやく「これでいいんだ」と思えるようになりました。

野村:仕事におけるアイデンティティの確立など、男性の本当のモラトリアムは少し遅いのかもしれませんね。

菊野先生:どう生きていくかを死に物狂いで考えて、納得できるようになると、今までの世界が急に素晴らしく思えて、人生を初めて楽しいと実感しましたね。ですが、モラトリアムの達成は終了ではありません。「これでもう死んでもいい」そう思えた時が、モラトリアムの終了です。(取材・文/野村和輝)

■このお話をもっと深く掘り下げたいひとへ菊野春雄先生からのオススメ本!
・サイモン・バーロン=コーエン.『共感する女性脳、システム化する男脳』. NHK 出版. 2005







[取材協力]
■静岡シネ・ギャラリー
静岡市葵区にある映画館、静岡シネ・ギャラリーではサークル等でのグループ鑑賞や上映会企画にも対応しています。お気軽にご相談ください。
TEL:054-273-7450
http://www.cine-gallery.jp/


モラトリアムの男脳、女脳シリーズ
【1】モラトリアムって一体なんだ?→ http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1479019.html
【2】"大学モラトリアム"の歴史とは?→ http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1479882.html
【3】モラトリアムの思考論→ http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1480895.html


モラトリアム思考論〜モラトリアムの男脳、女脳〜【3/4】

静岡時代12月号(vol.37)巻頭特集:モラトリアムの男脳、女脳【3/4】
モラトリアム時期における人間関係や将来にたいする葛藤や迷いは人それぞれのせいか、定義づけすることは中々難しい。でも、「こうしたほうがいい」「男はこうして、女はこうする」といった、HOW TOやハッキリした答えがあれば、悩みは軽くなっていく気がする。今だからこそ、私たち大学生が考える事って? モラトリアムに男女の差はあるの? 今回は、静岡県立大学の武田厚司先生に、人の成長過程を通して紐解くモラトリアムの定義をお伺いしました。




■武田厚司(たけだあつし)先生〈写真:右〉
静岡県立大学薬学部薬科学科教授。
神経科学や生理学を専門に研究している。幼少期のトラウマで人前で話すのが未だに苦手だそう。しかし、学生が楽しめる授業にするための努力を惜しまず、自分の授業には自信があるという学生想いな先生でした。

[聞き手]
■木下莉那(きしたりな)〈写真:左〉
常葉大学大学4年(取材当時)。本誌編集長。
大学卒業後、現在は就職先の東京で新しいスタートを切っています。

■山口奈那子(やまぐちななこ)
常葉大学3年(取材当時)。本誌副編集長。
本記事、執筆担当。現在は就活の真っただ中。




◉男女の差というよりも家族や社会の影響

(静岡時代)生物学からみて、モラトリアムにおける男女の性差、成長過程に違いはあるのでしょうか?
 
(武田先生)生物学に限らず、一般的に見て男性と女性でモラトリアムの違いはそんなにないと思っています。ただ、男性と女性で違いがあるとしたら、生理的な体のつくりの違いが多少は関係しているかもしれません。例えば、大学を卒業するまでの期間で人生について考えたり、母親になるということを強く意識したりするのは女性ですよね。男女の決定的な違いはやはり「出産」。出産は女性にしかできない必然的な運命です。

その点では、最近、20代や30代で出産する人が多いけど、出産期のことを考えて自分の人生設計を考えることは普通のことだと思います。女性が20代、30代手前となる大学時代に、将来について不安を抱く傾向は強いでしょうね。一方、男性は「家族を持って父親になるかも」っていう仮定だけで終わるんです。出産がない分、男性はあまり深く考えないから将来についてあまり焦る姿がみられないのかもしれません。

(静岡時代)女性である私からしたら、焦りが全く感じられない男性が理解できませんでした。
 
(武田先生)置かれている環境は男女で違ってきますね。将来とるべき選択肢は、女性と男性では、家庭のなかで頑張るのか、それともお金を稼いで家族を支えるのかという異なる意識がお互いに働くかもしれません。ただ、念を押しておきたいのは、それは生理的な生態の男性と女性の違いではなくて、性別上の運命という話。結局はそれを各々がどう捉えるかなんです。確かに女性は、結婚のことを考えて将来を焦ってしまう人もいると思うけど、全員がそうではない。男性も同じですよ。いい人がいたら父親になりたいと思うし、夫・父親という立場で家族をもって支えていかなくてはならない時期は来ます。
 
また、女性だからといって男性ホルモンが作られていないわけではなく、男性も女性も両方を持ち合わせています。量的なバランスの問題です。男性ホルモンがたくさん分泌されていたら男性的になるかもしれないし、女性ホルモンがたくさん分泌されていたら女性的になるかもしれない。だから性差というよりも結局は、自分というのは社会によって変わっていくものだと思うんですよ。



(静岡時代)どういうことですか?

(武田先生)自分というものを見出すうえで、選定的なものはかなり大きいと思います。まず挙げられるのは親の影響ですね。避けられないものですし、そこで考え方がある程度出来上がっているはずです。小学校、中学校の頃には、人格は家庭環境で大半の人が決まっているでしょうね。人に言われてもなかなか変わらない。変わる人ももちろんいますけどね。
 
変えられるとしたら、それが社会です。学校やアルバイト、趣味でもいいです。社会と触れ合って自分の考え方に影響を与えるような人との巡り合わせや環境があることで、自分は変わっていくのだと思います。ただ、それは誰かが教えてくれるものではない。
 
重要なのは、自分がどう思えるか。大学であれば、そこで自分が見えていないものを見れて、興味をもてるかどうかなんですよ。大学に限らず、学校へ行くということは、家族だけじゃない社会へ出ていくということ。自分が試されて成長させられる場です。大学を出るまでは同じことの繰り返し。モラトリアムのはじまりは大学ではなくて、学生時代はすべてが自分の将来について考えるはじまりだと思います。

◉社会へ出れば位置づけなんて変わっていく。思考力が重要。

(静岡時代)確かに、私たちはモラトリアムを社会に求めます。これまで家族内の自分でなんの問題もなかったのに、いつからか大学という社会的な場所に自分の居場所はつくれるのか思い悩んでいます。もちろん卒業後も心配です。
 
(武田先生)実は私は大学生の頃、お荷物学生だったんですよ。静岡薬科大学出身でね、研究室も友達が多くて楽な研究室を選びました。不純でしょう?4年になって就活をして、あまり勉強もしないまま製薬会社に受かってしまった。その時にふと、「自分は面接も駄目だったし、試験もできなかったのに、このまま社会に出てやっていけるのかな?」って思ったんですよ。社会でちゃんとやっていく上で、「人とは違うものがないと勝負にならないじゃん?」と、そういうものを感じたんでしょうね。それで大学院に進んだんです。それが私の人生の転機。研究生をやっていた時から変わらないといけないので頑張りましたよ。だから、最初から自分で考えてたわけではないんです。周りの影響力はすごいですよ。



(静岡時代)武田先生は大きく人生が変わったんですね。モラトリアムから抜け出して、「わたし」を確立するためには具体的にどうすればよいでしょう?
 
(武田先生)世の中だいたい同じようにチャンスはあります。人間、知らない間に試されて成長していくものです。自分で見える視野を広げていくことが重要。モラトリアムのなかで、どれだけそのチャンスに気づけるか・掴めるかの分かれ道は、思考力にあるんじゃないかな?問題をどう発展的に考えられるか。そこに男女の差はないと思います。
 
しかし、残念ながら多くの人は気づかないですし、将来について深く考えられない学生は、圧倒的に多いです。だから、研究室で実験をして、自分のスキルを磨いていくわけ。でも、将来その人たちが研究を続けるかはわからない。やってもやらなくてもいいんだけど、その研究を通じて、どこに問題があって、どうやったら解決できるか。自分で自分を磨き上げる重要な訓練期間が研究室です。その結果、研究が好きなら研究者になればいい。

だから、最終的には何をやってもいいわけです。自分のやりたいことを明確にして、その中でできる人間になればね。研究も壁にぶつかったら、それはやり方がまずいのか、考え方がまずいのか、そういうことを自分で考えることができるかが重要です。富士山を5合目で見るのと、遠くから見るの、頂上から見るのとでは見える景色も見栄えも違います。つまり自分の立場によって、物の見え方が違うということです。



 特に社会に出れば、位置づけはどんどん変わっていきます。そうして色んなところから景色が見られるようになればいいですよね。そのためにはやっぱり自分のスキルを磨いて、思考力を身につけること。私も大学4年間を過ごして思うけど「分からない」ということが大学生活だと思います。そういう状況から抜け出したいと思う人は、自分の好きなことや興味があることをいち早くみつけることです。早ければ早いほど成功する可能性も高いよ。そうすれば目標が定まってやるでしょう?その時、自分が積極的にできるか、言われたことをやっているかで、それが本当の自分なのか分かるはずですよ(了)
(取材・文/山口奈那子)



モラトリアムの男脳、女脳シリーズ
【1】モラトリアムって一体なんだ?→ http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1479019.html
【2】"大学モラトリアム"の歴史とは?→ http://gakuseinews.eshizuoka.jp/e1479882.html